2018年09月20日
健診結果に大いにビビる
年に一度、必ず健康診断を受けるようにしている。
今年も9月の初めに受け、先日その結果が届いたのだが、生まれて初めて要精密検査の判定をいただいてしまい、驚きのあまり、結果報告書の最初のページにでかでかと書かれた「D2」(要精密検査)の文字を思わず二度見してしまった。しかもまったく気にもかけていなかった目の検査でひっかかってしまったのである。
「左目眼底に 視神経乳頭陥凹拡大」
視神経乳頭陥凹拡大? (しかしこの凹っていう字は(凸もそうだけど)私には一生漢字に見えることはないだろね)
何のことやらさっぱりわからない。
さっそくネットで調べてみた。すると、視神経乳頭陥凹拡大は「緑内障の疑いがある」という意味だという何やら不穏なことが書いてある。パソコン前でしばし硬直・・・。
緑内障?緑内障って・・・たしか不治の病で、最終的には失明に至ることもあるという怖ろしい病気じゃなかったか?
さらに調べると「近年は30〜40代にも増えている低年齢化傾向にある病気」だとか「自覚症状はなく、あるとしてもせいぜい肩こりや頭痛、眼精疲労」なとど、なんだか自分にも当てはまるようなことばかりが書かれている。しかも自分には全く無縁だとは言えない病気であることも発覚した。なんと数年前に他界した母方のおばが実は緑内障だったというのだ。おばは90才ぐらいまで生きたけれども、晩年まで目に不自由している様子は全くなかったので全然気づかなかった。どうやら適切な治療とケアのおかげで、ずっと小康状態を保ち続けられていたらしい。
「うぅぅ・・・。おばちゃんも緑内障だったとは。さすがにヤバいかも・・・」
健診結果が届いたのは折しも秋の三連休の真っ最中。なんとなく病院に行くのが怖くて「このまま休みが明けなければいいのに」と年甲斐もなく子供じみた気持ちになったりもしたが、やはり一刻も早くはっきりさせておきたいという気持ちの方が勝り、連休が明けると同時に思い切って近所の眼科に駆け込んだ。
特に予約もせず訪ねていったのだが、受付で来院の理由を話すと大丈夫、診てくれるという(後からわかったのだが緑内障の検査はほんとは予約制だったらしい・・・反省)。先ずはひととおり視力検査や眼圧を測る検査があり、そのあと先生によるより詳しい問診と診察があった。特に問診の際は、予め問診票に書いておいたおばの緑内障のことについてけっこうくわしく聞かれた。遺伝的要素がかなり関係する病気なのかもしれない。
診察の次は視野検査と眼の撮影。この視野検査が緑内障かどうかを判断するのに非常に重要な検査なのらしい。初めての経験だったがこれがなかなか緊張した。右目左目と片目ずつで機械をのぞき、光の点滅が見えたらボタンを押して知らせるという検査なのだが、この際、視点はまっすぐ真ん中に固定させておかなければならない。光の点はあちこちで光るのだが、これを目で追ってはいけないのである。なのでバチっと視点の中心近くで光ることもあるし、なんとなく今目の端の方で光ったような・・・ということもある。光の大きさも明るさも一定ではない。くっきり大きく光る場合もあれば、ぼんやり小さく光る場合もある。光はピっという音とともに出るのだが、ときには音だけが鳴るひっかけも含まれている。だから音だけが聞こえて光が全然見えない状態が連続して続くと、ものすごく焦ってしまうのだ。
何かうまくいかなかったような気がして、軽く魂を抜かれたような状態でぽけーっと待合室で待っていると、再び先生の診察室に呼ばれた。おそるおそる入っていくと、先生が私の検査結果のデータを出して待っていた。結果から言うと、私は現時点では緑内障ではなかった。ほっ。
まず、私の視神経乳頭陥凹拡大(視神経乳頭の中心にあるへこみが大きくなることらしい)は左目だけでなく、両目に見られるということだった。しかしこのへこみが大きい人がみな緑内障にかかるというわけでもないらしい。私の場合はたしかにへこみはあるけれども、眼圧の数値も正常。画像検査や視野検査の結果も全く問題なく、この状態で「緑内障の疑いあり」とすることには「僕は否定的ですね」と先生はおっしゃった。さらに「この状態なら、毎年毎年検査を受けることもないと思いますが、もしまた健診でひっかかるようことがあったら検査を受けにいらしてください」と言われた。
検査にかかった時間は約1時間半ほど。費用は初診料も入れて約5千円だった。何事もなかったわりには思わぬ出費となってしまったが、とりあえず安心を買えただけでもよかったかもしれない。
それにしてもよもや自分が、たった一時でも失明の不安にさいなまれることになろうとは思ってもみなかった。あの連休中に感じた恐怖と不安は忘れられない。今まで婦人科系のことや他のことばかりに気がいって、目のことは全くおろそかになっていた。しかし振り返れば、目の疲れを感じることはしょっちゅうだし、普段から目にやさしいことをしているとはとてもいえない。この生活を続けていれば、いつ目の病気になってもおかしくないだろうということに今さらながら気づいた。
これからは目の健康にも重々気を配らなければ・・・。
目が見えるということの大切さと有難さをつくづく思い知らされる出来事だった。
今年も9月の初めに受け、先日その結果が届いたのだが、生まれて初めて要精密検査の判定をいただいてしまい、驚きのあまり、結果報告書の最初のページにでかでかと書かれた「D2」(要精密検査)の文字を思わず二度見してしまった。しかもまったく気にもかけていなかった目の検査でひっかかってしまったのである。
「左目眼底に 視神経乳頭陥凹拡大」
視神経乳頭陥凹拡大? (しかしこの凹っていう字は(凸もそうだけど)私には一生漢字に見えることはないだろね)
何のことやらさっぱりわからない。
さっそくネットで調べてみた。すると、視神経乳頭陥凹拡大は「緑内障の疑いがある」という意味だという何やら不穏なことが書いてある。パソコン前でしばし硬直・・・。
緑内障?緑内障って・・・たしか不治の病で、最終的には失明に至ることもあるという怖ろしい病気じゃなかったか?
さらに調べると「近年は30〜40代にも増えている低年齢化傾向にある病気」だとか「自覚症状はなく、あるとしてもせいぜい肩こりや頭痛、眼精疲労」なとど、なんだか自分にも当てはまるようなことばかりが書かれている。しかも自分には全く無縁だとは言えない病気であることも発覚した。なんと数年前に他界した母方のおばが実は緑内障だったというのだ。おばは90才ぐらいまで生きたけれども、晩年まで目に不自由している様子は全くなかったので全然気づかなかった。どうやら適切な治療とケアのおかげで、ずっと小康状態を保ち続けられていたらしい。
「うぅぅ・・・。おばちゃんも緑内障だったとは。さすがにヤバいかも・・・」
健診結果が届いたのは折しも秋の三連休の真っ最中。なんとなく病院に行くのが怖くて「このまま休みが明けなければいいのに」と年甲斐もなく子供じみた気持ちになったりもしたが、やはり一刻も早くはっきりさせておきたいという気持ちの方が勝り、連休が明けると同時に思い切って近所の眼科に駆け込んだ。
特に予約もせず訪ねていったのだが、受付で来院の理由を話すと大丈夫、診てくれるという(後からわかったのだが緑内障の検査はほんとは予約制だったらしい・・・反省)。先ずはひととおり視力検査や眼圧を測る検査があり、そのあと先生によるより詳しい問診と診察があった。特に問診の際は、予め問診票に書いておいたおばの緑内障のことについてけっこうくわしく聞かれた。遺伝的要素がかなり関係する病気なのかもしれない。
診察の次は視野検査と眼の撮影。この視野検査が緑内障かどうかを判断するのに非常に重要な検査なのらしい。初めての経験だったがこれがなかなか緊張した。右目左目と片目ずつで機械をのぞき、光の点滅が見えたらボタンを押して知らせるという検査なのだが、この際、視点はまっすぐ真ん中に固定させておかなければならない。光の点はあちこちで光るのだが、これを目で追ってはいけないのである。なのでバチっと視点の中心近くで光ることもあるし、なんとなく今目の端の方で光ったような・・・ということもある。光の大きさも明るさも一定ではない。くっきり大きく光る場合もあれば、ぼんやり小さく光る場合もある。光はピっという音とともに出るのだが、ときには音だけが鳴るひっかけも含まれている。だから音だけが聞こえて光が全然見えない状態が連続して続くと、ものすごく焦ってしまうのだ。
何かうまくいかなかったような気がして、軽く魂を抜かれたような状態でぽけーっと待合室で待っていると、再び先生の診察室に呼ばれた。おそるおそる入っていくと、先生が私の検査結果のデータを出して待っていた。結果から言うと、私は現時点では緑内障ではなかった。ほっ。
まず、私の視神経乳頭陥凹拡大(視神経乳頭の中心にあるへこみが大きくなることらしい)は左目だけでなく、両目に見られるということだった。しかしこのへこみが大きい人がみな緑内障にかかるというわけでもないらしい。私の場合はたしかにへこみはあるけれども、眼圧の数値も正常。画像検査や視野検査の結果も全く問題なく、この状態で「緑内障の疑いあり」とすることには「僕は否定的ですね」と先生はおっしゃった。さらに「この状態なら、毎年毎年検査を受けることもないと思いますが、もしまた健診でひっかかるようことがあったら検査を受けにいらしてください」と言われた。
検査にかかった時間は約1時間半ほど。費用は初診料も入れて約5千円だった。何事もなかったわりには思わぬ出費となってしまったが、とりあえず安心を買えただけでもよかったかもしれない。
それにしてもよもや自分が、たった一時でも失明の不安にさいなまれることになろうとは思ってもみなかった。あの連休中に感じた恐怖と不安は忘れられない。今まで婦人科系のことや他のことばかりに気がいって、目のことは全くおろそかになっていた。しかし振り返れば、目の疲れを感じることはしょっちゅうだし、普段から目にやさしいことをしているとはとてもいえない。この生活を続けていれば、いつ目の病気になってもおかしくないだろうということに今さらながら気づいた。
これからは目の健康にも重々気を配らなければ・・・。
目が見えるということの大切さと有難さをつくづく思い知らされる出来事だった。
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