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2016年07月24日

ラジオ体操&青空映画界

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どんぐり公園のラジオ体操に参加してきました(^^)

体操もせずに写真を撮っていたので、少し不審がられました(泣)

ヤクルトは390本配ったそうで、もらってない人も含めると500人ぐらい参加されてました!

さすが都内最大級\(^o^)/

昨日の青空映画界も400人弱の参加だったそうです。

高輪消防署からお借りした防災DVDにはウルトラマンが!!

皆さん楽しんで見られてました。

公園のはじっこで子供達が騒いでるので、見るとセミが手の届きそうな所に。

渡されたお菓子の箱で捕まえました(”^^)v

明日も晴れみたいなので、是非ラジオ体操にいらしてください(^^)/

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2016年07月16日

こどもとファッション 小さい人たちへの眼差し

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本日から、「こどもとファッション 小さい人たちへの眼差し」が庭園美術館で開催されます。

今年は世界中でファッションの展示会が行われていますが、こどもにスポットを当てた展示は日本だけのようです。

1枚目の左側のスカートは男の子ようだそうです!昔はスカートからズボンに履き替えるのが大人への階段だったみたいですね。

庭園美術館でツイートしたら、なんと1日で3000リツイートだったそうです\(◎o◎)/

長ズボンも労働階級→こども→大人と履くようになり、コルセットをしなくなったのも、人形→こども→大人の順だそうです。

今のファッションの世界はこども服の影響を多大に受けているんだなあと思いました。

長ズボンをなぜ、こどもから履くようになったのか?はわかっていないようですが、個人的には、家庭が裕福になって布の生地を多く使う贅沢品としてか、はたまたハイハイを始めると、こどもの膝が床にこすれるからか?なんて事を考えるのも面白いかもです(^^)

こども服は汚れやすいため現存するものも少ないので、展示会自体が貴重になります。興味がある方は是非行ってみて下さい(^^)/

<こどもとファッション 小さい人たちへの眼差し>
会期:2016年7月16日(土)~8月31日(水)
会場:東京都庭園美術館(本館・新館)
休館日:第2・第4水曜日(7/27、8/10、8/24)
開館時間:10:00–18:00 (入館は閉館の30分前まで)
*8/5、8/6、8/12、8/13の4日間は、夜間開館21:00まで(入館は20:30まで)
観覧料:一般1100円、大学生(専修・各種専門学校含む)880円、中・高校生・65歳以上550円

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2016年07月06日

朝香宮家と庭園美術館

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朝香宮家と庭園美術館

先日の「メディチ展」の取材で、朝香家当主、誠彦(ともひこ)氏と御一緒させて頂き、色々とお話しを伺う事ができました。

1983年に都立美術館として、一般公開されれている庭園美術館は、1933年に完成し1947年まで、朝香宮一家が暮らした邸宅です。

朝香宮家は 鳩彦(やすひこ)王が1906年に創立された宮家です。

鳩彦王は、1910年5月に明治天皇第8皇女、允子(のぶこ)内親王とご結婚され、1921年に白金台の御料地1万坪を下賜されました。

鳩彦王は、1922年にフランスに留学され1923年4月パリ郊外で交通事故に遭われ、看病の為渡欧された妃殿下とともに1925年まで長期の滞在を余儀なくされました。

当時フランスは アール・デコの全盛期で、1925年にはパリで現代装飾美術・産業美術国際博覧会(通称アール・デコ博覧会)が開催されました。

朝香宮ご夫妻もこの年の7月9日に美術局長ポール・レオンの案内で博覧会を見学されています。

帰国後は高輪の旧邸に住まわれましたが、事故にあわれた鳩彦王には生活しづらく、1929年より白金台の敷地に新邸建設の計画をすすめられ、アール・デコの粋を集めた朝香宮邸は1933年に竣工しました。

妃殿下は建築が完成した年の11月にご逝去されますが、朝香宮家は第二次世界大戦後までこの地に住まわれました。その後、1947年10月に皇籍離脱し、朝香家と称し住まいを熱海に移されました。

誠彦氏は4歳の頃までこの邸宅に暮らしており、池でカエルを取ったり階段を転げ落ちたりと、わんぱくな思い出話を聞かせて頂けました。

美術館の2階の寝室が細かく区切られている理由も、寝言やいびきが原因だったそうです(^^)

色々とお話しして頂いた誠彦氏は、親しみやすいお人柄でした。

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