2016年03月01日
パチンコ換金がなぜ今議論ニコ生なっているのか
こんな記事が載っていました!
驚きをもって見られている「パチンコ釘問題」への警察介入
昨年末、マスメディアにおいて大きく報じられることとなった「パチンコ釘問題」でありますが、メーカー団体側からは2月中旬に約5万台におよぶ自主回収リストが開示され、これより順次市場からの撤収を始まる模様です。今回の撤去リストはあくまで第一次調査結果に基づくものであり、最終的な回収台数は50万台から90万台にまで及ぶ可能性があるとも言われておるところ。業界にとっては非常にダメージが大きく、非常に難しい問題構造を孕んだものとなっておりますが、その辺に関しては以前かなり詳細な解説記事を書きましたので未読の方はそちらをご参照ください。
「パチンコ釘問題」を世界で最も判り易く説明してみる
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takashikiso/20151224-00052762/
ということで、現在、少なくとも表面上は警察介入を真摯に受け止め、粛々と事後処理を進め始めているパチンコ業界でありますが、本音の部分ではやはり一連の釘問題に対する警察介入に納得いかない方々が多いのが実情。そもそも「釘の変更」は数十年に亘って業界に存在して来たものであり、そこに警察が「あたかも今、問題が発生した」かの如く急に切り込んできたものに対して、「それを放置してきたのは寧ろ警察だろ」的な意見が業界各所から聞こえてくるのが実態であります。ただ個人的には、どんな状況があろうとも「違反は違反」であり、長年業界が抱えて来た本問題を業界全体で正しく償った上で、改めて「何故このような状況が保持されてきたのか」という構造問題に切り込むのが本件への正しいアプローチであろうと考えています。
もう一つの批判対象:三店方式
このように長らく「当たり前」として認知されてきた釘問題に警察が介入したことで、かねてからパチンコ業界の抱えるもう一つの問題として語られてきたパチンコ特有の賞品流通方式、「三店方式」についても改めて議論が起きています。三店方式とはパチンコ店が「買取り専用」の特殊な賞品を客に払出し、それを「古物商」と称する専門買取り業者が顧客から買い受け、更に第三者となる賞品流通業者を介してそれがまたパチンコ店に戻るというパチンコ業界特有の賞品流通方式のこと。パチンコ店自身は現金を払い出す事はないものの、このような商品流通方式を利用することによって結果的に消費者がパチンコのゲーム結果から現金を獲得することが出来てしまう為、ここには必ずパチンコが「実質賭博」になっているという批判が付いて回ります。
但し、釘問題と比較して三店方式に関してはもう少し精緻な論議が必要なのが実態です。この三店方式についての現在の法的な位置づけを理解し、どういう形が望ましいかを議論することは、パチンコや競馬、競輪までもを含んだ我が国の賭博行政、ひいては社会における賭博そのものの在り方論につながります。まず、現在の法的な位置づけをみてみましょう。
第一に、我が国の風営法はパチンコ店がゲームの結果に対して賞品の提供を行うことを明確に認めており(法第十九条)、彼らの賞品提供自体は法律に沿って行われる正当な行為であること。一般的には「我が国の刑法は賭博を禁じている」と単純図式で語られがちでありますが、実は刑法の規定する賭博罪には「一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りではない」(法第185条)という「但し書き」規定があり、実は「罪を構成しない賭博」も我が国には存在しています。風営法はその刑法の定めるこの例外規定に基づいてパチンコ店の賞品提供を認めているものであり、もしパチンコ店の賞品提供を違法とするのならば、店が違法行為を行っているというよりは風営法そのものが刑法規定に抵触しているという前提で論議を行う必要があります。
第二に、このようにしてパチンコ店から賞品の提供を受けたプレイヤーには、自らが獲得した賞品を売却する自由があるということ。我が国の憲法は国民の経済的自由権を認めており、個人が取得した財産を如何様に処分するのもまた自由。上記風営法の規定に基づいてパチンコ店から払い出された賞品の売却行為自体も法律上は何ら問題のない行為であり、それを押し止めることは出来ないということであります。
このような説明を行うと「パチンコ店が賞品を出す事自体は問題ないんだ。寧ろ問題となるのは換金にしか使用されない特殊な賞品を利用し、それを還流させている点なのだ」という定番の主張が出てくるのが常でありますが、この主張を行うにあたっては次に紹介する第三のポイントを考慮に入れて頂かなければならなりません。それは「現在の三店方式は、寧ろそのような一般的な賞品のみが流通していた時代に生じていた問題を解決する為に生まれたものである」という点にあります。
そもそも現在、パチンコ業界に見られるいわゆる「三店方式」は、業界に対する暴力団の介入を防止する為の「自衛策」として業界への導入が行われたものであります。元来パチンコ賞品の定番と言えばタバコやガム、チョコレートなどの菓子類であったワケですが、かつてこれら賞品を獲得してパチンコ店から出てくる顧客を路地裏などに無理やり引き込み、「格安でそれらを譲れ」として脅す行為が暴力団関係者によって町場で行われていました。彼らはそのようにして顧客からパチンコ賞品を半ば「脅し取った」後、そのままパチンコ店の裏口に廻り、今度はパチンコ店を脅してその賞品をより高値で売り付ける。実はこのようなパチンコ賞品売買による「利ザヤ」が、日本の暴力団にシノギとして流れていた時代が長らく存在していたのです。
現在のような「買取り専用」の特殊な賞品を使用し、業界全体による一種の統制下で行われている賞品流通の在り方は、かつて存在した暴力団の介入をパチンコ業界から排除するために、警察による「言外の」指導を受けながら(警察自身は絶対にそれは認めないが)、現在の形へと確立が行われてきたもの。先述のとおり法律上、パチンコ店が賞品を提供することと、プレイヤーがそれを転売する行為自体はそれぞれ個別の事象として法的に認められている行為であるワケで、三店方式を害悪視して単純にそれらを廃止して一般的な賞品の提供のみに限定したところで、かつての「より不健全」な状態が復活するだけであるとも言えるワケです。
パチンコ換金是非論、二つの方向性
となると、原則的にはその先に2つの「あるべき」論というのが発生してきます。一つ目は、現在のような「実質賭博」のサービスが行われている事の「そもそもの原因」は風営法がパチンコ店に賞品提供を認めているからであり、そのような賞品提供行為そのものを禁止すべきだという主張。当然ながらこれは一つの主張の方向性であるワケですが、一方で考えなければならないのは、先述のとおり現在の風営法規定は刑法による「一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りではない」とする賭博罪の例外規定に論拠しているということです。この規定は世俗的に存在する軽微な賭博行為(例:会費制パーティでビンゴ大会を行い賞品提供するなど)を過剰に取り締まることがないように設けられたものであり、この種の主張を行う場合にはこの刑法規定をどのように処するべきかという論議とセットで語られなければならないという事であります。
一方、これと相対する形で存在するのが、特殊な賞品を介在させるという三店方式の「不明瞭さ」が社会的批判を生む原因なのだとするならば、それら賞品流通方式の存在を寧ろ明確に法で規定してゆくべきだという論。もしくは、この論から更に一歩踏み込む形で「店内での直接換金を認めるべきだ」などとする論は、パチンコ業界内でも特に急進的な一部のグループによって長年に亘って主張が為され続けてきたものであります。これら急進派はパチンコ業界内では新興のグループである為、この様な主張は長らく業界内では「トンデモ」扱いをされてきたのが実情ではありますが、2014年にはこれら換金法制化案が自民党の風営法改正を検討する議員連盟にまで持ち込まれ、その後も少しずつ形を変えながら国政の場において粛々と語られている状況にあります。
【参考】「パチンコ税で2000億円」の皮算用
http://blog.livedoor.jp/takashikiso_casino/archives/8425390.html
ただし、この主張においてもやはり論議は刑法に帰着するワケで、「一時の娯楽に供するもの」という例外はあるものの、法が特別に認める公営事業以外の賭博を、刑法が原則的に禁じていることの本旨が没却してしまうような制度の在り方は、それはそれで非常に大きな問題が出てくる可能性がある。我が国で賭博を禁ずる刑法第185条は、
賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。
という非常にシンプルな一文のみで構成されるものではありますが、実はその背景には多岐にわたる様々な論議が必要となるものであるということが判ります。
そして、カジノ合法化論議へ
更に言えば私の専門の「ど真ん中」となる我が国のカジノ合法化論議こそが、この刑法論の極致とも言えるものです。現在、衆議院に提出されている我が国のカジノ合法化と統合型リゾート導入を推進する「IR推進法案」はこれまで我が国で存在してきた公営賭博とは異なり「民間事業者に直接、賭博事業の運営権を付与する」ことを前提に論議が行われている民営賭博の合法化案であります。実は、私自身はこのカジノ法制案に関しては必ずしも諸手を挙げて賛成をしているワケではなく、パチンコ法制論と同様にもう少し慎重な刑法論を行う必要があるという立場ではありますが、いずれにしてもこの法案が成立した暁には、その後に先述のパチンコ換金の法制化論が引き続き、ひょっとするとその先には現在は公営となっている競馬や競輪などの民営化論が出てくるかもしれない。実は現在、衆議院に提出されているIR推進法案は、パチンコや競馬、競輪までもを含んだ我が国の賭博行政全体の行く末を占う試金石ともなる法案でもあるといえるです。
そして、その大前提となるのが刑法が原則的に禁じているにも関わらず、様々な形で既に日本にその「例外」が存在してしまっている賭博そのものの「在り方」論であります。繰り返しになりますが、賭博を原則的に禁ずる刑法第185条自体は非常にシンプルな一文のみで構成される法文ではありますが、それに連なる我が国の賭博行政、パチンコ行政など様々な分野にその影響が広がる非常に広範な規定であるということ。是非、皆さんには今一度、この規定に関して思いを巡らせて頂きたいと思うところであります。
全国の等価店情報はここ
驚きをもって見られている「パチンコ釘問題」への警察介入
昨年末、マスメディアにおいて大きく報じられることとなった「パチンコ釘問題」でありますが、メーカー団体側からは2月中旬に約5万台におよぶ自主回収リストが開示され、これより順次市場からの撤収を始まる模様です。今回の撤去リストはあくまで第一次調査結果に基づくものであり、最終的な回収台数は50万台から90万台にまで及ぶ可能性があるとも言われておるところ。業界にとっては非常にダメージが大きく、非常に難しい問題構造を孕んだものとなっておりますが、その辺に関しては以前かなり詳細な解説記事を書きましたので未読の方はそちらをご参照ください。
「パチンコ釘問題」を世界で最も判り易く説明してみる
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takashikiso/20151224-00052762/
ということで、現在、少なくとも表面上は警察介入を真摯に受け止め、粛々と事後処理を進め始めているパチンコ業界でありますが、本音の部分ではやはり一連の釘問題に対する警察介入に納得いかない方々が多いのが実情。そもそも「釘の変更」は数十年に亘って業界に存在して来たものであり、そこに警察が「あたかも今、問題が発生した」かの如く急に切り込んできたものに対して、「それを放置してきたのは寧ろ警察だろ」的な意見が業界各所から聞こえてくるのが実態であります。ただ個人的には、どんな状況があろうとも「違反は違反」であり、長年業界が抱えて来た本問題を業界全体で正しく償った上で、改めて「何故このような状況が保持されてきたのか」という構造問題に切り込むのが本件への正しいアプローチであろうと考えています。
もう一つの批判対象:三店方式
このように長らく「当たり前」として認知されてきた釘問題に警察が介入したことで、かねてからパチンコ業界の抱えるもう一つの問題として語られてきたパチンコ特有の賞品流通方式、「三店方式」についても改めて議論が起きています。三店方式とはパチンコ店が「買取り専用」の特殊な賞品を客に払出し、それを「古物商」と称する専門買取り業者が顧客から買い受け、更に第三者となる賞品流通業者を介してそれがまたパチンコ店に戻るというパチンコ業界特有の賞品流通方式のこと。パチンコ店自身は現金を払い出す事はないものの、このような商品流通方式を利用することによって結果的に消費者がパチンコのゲーム結果から現金を獲得することが出来てしまう為、ここには必ずパチンコが「実質賭博」になっているという批判が付いて回ります。
但し、釘問題と比較して三店方式に関してはもう少し精緻な論議が必要なのが実態です。この三店方式についての現在の法的な位置づけを理解し、どういう形が望ましいかを議論することは、パチンコや競馬、競輪までもを含んだ我が国の賭博行政、ひいては社会における賭博そのものの在り方論につながります。まず、現在の法的な位置づけをみてみましょう。
第一に、我が国の風営法はパチンコ店がゲームの結果に対して賞品の提供を行うことを明確に認めており(法第十九条)、彼らの賞品提供自体は法律に沿って行われる正当な行為であること。一般的には「我が国の刑法は賭博を禁じている」と単純図式で語られがちでありますが、実は刑法の規定する賭博罪には「一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りではない」(法第185条)という「但し書き」規定があり、実は「罪を構成しない賭博」も我が国には存在しています。風営法はその刑法の定めるこの例外規定に基づいてパチンコ店の賞品提供を認めているものであり、もしパチンコ店の賞品提供を違法とするのならば、店が違法行為を行っているというよりは風営法そのものが刑法規定に抵触しているという前提で論議を行う必要があります。
第二に、このようにしてパチンコ店から賞品の提供を受けたプレイヤーには、自らが獲得した賞品を売却する自由があるということ。我が国の憲法は国民の経済的自由権を認めており、個人が取得した財産を如何様に処分するのもまた自由。上記風営法の規定に基づいてパチンコ店から払い出された賞品の売却行為自体も法律上は何ら問題のない行為であり、それを押し止めることは出来ないということであります。
このような説明を行うと「パチンコ店が賞品を出す事自体は問題ないんだ。寧ろ問題となるのは換金にしか使用されない特殊な賞品を利用し、それを還流させている点なのだ」という定番の主張が出てくるのが常でありますが、この主張を行うにあたっては次に紹介する第三のポイントを考慮に入れて頂かなければならなりません。それは「現在の三店方式は、寧ろそのような一般的な賞品のみが流通していた時代に生じていた問題を解決する為に生まれたものである」という点にあります。
そもそも現在、パチンコ業界に見られるいわゆる「三店方式」は、業界に対する暴力団の介入を防止する為の「自衛策」として業界への導入が行われたものであります。元来パチンコ賞品の定番と言えばタバコやガム、チョコレートなどの菓子類であったワケですが、かつてこれら賞品を獲得してパチンコ店から出てくる顧客を路地裏などに無理やり引き込み、「格安でそれらを譲れ」として脅す行為が暴力団関係者によって町場で行われていました。彼らはそのようにして顧客からパチンコ賞品を半ば「脅し取った」後、そのままパチンコ店の裏口に廻り、今度はパチンコ店を脅してその賞品をより高値で売り付ける。実はこのようなパチンコ賞品売買による「利ザヤ」が、日本の暴力団にシノギとして流れていた時代が長らく存在していたのです。
現在のような「買取り専用」の特殊な賞品を使用し、業界全体による一種の統制下で行われている賞品流通の在り方は、かつて存在した暴力団の介入をパチンコ業界から排除するために、警察による「言外の」指導を受けながら(警察自身は絶対にそれは認めないが)、現在の形へと確立が行われてきたもの。先述のとおり法律上、パチンコ店が賞品を提供することと、プレイヤーがそれを転売する行為自体はそれぞれ個別の事象として法的に認められている行為であるワケで、三店方式を害悪視して単純にそれらを廃止して一般的な賞品の提供のみに限定したところで、かつての「より不健全」な状態が復活するだけであるとも言えるワケです。
パチンコ換金是非論、二つの方向性
となると、原則的にはその先に2つの「あるべき」論というのが発生してきます。一つ目は、現在のような「実質賭博」のサービスが行われている事の「そもそもの原因」は風営法がパチンコ店に賞品提供を認めているからであり、そのような賞品提供行為そのものを禁止すべきだという主張。当然ながらこれは一つの主張の方向性であるワケですが、一方で考えなければならないのは、先述のとおり現在の風営法規定は刑法による「一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りではない」とする賭博罪の例外規定に論拠しているということです。この規定は世俗的に存在する軽微な賭博行為(例:会費制パーティでビンゴ大会を行い賞品提供するなど)を過剰に取り締まることがないように設けられたものであり、この種の主張を行う場合にはこの刑法規定をどのように処するべきかという論議とセットで語られなければならないという事であります。
一方、これと相対する形で存在するのが、特殊な賞品を介在させるという三店方式の「不明瞭さ」が社会的批判を生む原因なのだとするならば、それら賞品流通方式の存在を寧ろ明確に法で規定してゆくべきだという論。もしくは、この論から更に一歩踏み込む形で「店内での直接換金を認めるべきだ」などとする論は、パチンコ業界内でも特に急進的な一部のグループによって長年に亘って主張が為され続けてきたものであります。これら急進派はパチンコ業界内では新興のグループである為、この様な主張は長らく業界内では「トンデモ」扱いをされてきたのが実情ではありますが、2014年にはこれら換金法制化案が自民党の風営法改正を検討する議員連盟にまで持ち込まれ、その後も少しずつ形を変えながら国政の場において粛々と語られている状況にあります。
【参考】「パチンコ税で2000億円」の皮算用
http://blog.livedoor.jp/takashikiso_casino/archives/8425390.html
ただし、この主張においてもやはり論議は刑法に帰着するワケで、「一時の娯楽に供するもの」という例外はあるものの、法が特別に認める公営事業以外の賭博を、刑法が原則的に禁じていることの本旨が没却してしまうような制度の在り方は、それはそれで非常に大きな問題が出てくる可能性がある。我が国で賭博を禁ずる刑法第185条は、
賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。
という非常にシンプルな一文のみで構成されるものではありますが、実はその背景には多岐にわたる様々な論議が必要となるものであるということが判ります。
そして、カジノ合法化論議へ
更に言えば私の専門の「ど真ん中」となる我が国のカジノ合法化論議こそが、この刑法論の極致とも言えるものです。現在、衆議院に提出されている我が国のカジノ合法化と統合型リゾート導入を推進する「IR推進法案」はこれまで我が国で存在してきた公営賭博とは異なり「民間事業者に直接、賭博事業の運営権を付与する」ことを前提に論議が行われている民営賭博の合法化案であります。実は、私自身はこのカジノ法制案に関しては必ずしも諸手を挙げて賛成をしているワケではなく、パチンコ法制論と同様にもう少し慎重な刑法論を行う必要があるという立場ではありますが、いずれにしてもこの法案が成立した暁には、その後に先述のパチンコ換金の法制化論が引き続き、ひょっとするとその先には現在は公営となっている競馬や競輪などの民営化論が出てくるかもしれない。実は現在、衆議院に提出されているIR推進法案は、パチンコや競馬、競輪までもを含んだ我が国の賭博行政全体の行く末を占う試金石ともなる法案でもあるといえるです。
そして、その大前提となるのが刑法が原則的に禁じているにも関わらず、様々な形で既に日本にその「例外」が存在してしまっている賭博そのものの「在り方」論であります。繰り返しになりますが、賭博を原則的に禁ずる刑法第185条自体は非常にシンプルな一文のみで構成される法文ではありますが、それに連なる我が国の賭博行政、パチンコ行政など様々な分野にその影響が広がる非常に広範な規定であるということ。是非、皆さんには今一度、この規定に関して思いを巡らせて頂きたいと思うところであります。