子守神社 (こまもり神社)
◇鎮座地:千葉県千葉市花見川区幕張町2丁目 990
◇最寄駅:京成線「幕張駅」駅〜850m、総武線「幕張」駅〜1.1km
◇御祭神:奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、大己貴尊(おおなむちのみこと)
◇御朱印:あり→宮司さん出張のため拝受できず。
◎参拝日:2018年 8月18日
※子守神社は、「こもり」ではなく、「こまもり」と読みます。創建は、1194年。古くは「素加大王神社」とも称された、幕張地区・総鎮守の神社です。
【参道】
◆一之鳥居
〜こちらの参道は、近隣住民の生活道路との兼用です。鳥居の手前までの両サイドには民家が並び、この先の狛犬手前に横道があり、神社横を抜けて北方に抜けられます。
〜画面右下の白っぽい建屋は、「天神社」です。
◆手水舎
〜簡素な手水舎ですが、肝心かなめの水は素晴らしかったです。清らかな水が水盤からあふれ出ていました。
◆水盤
〜水盤には、九曜紋と月星紋が合わさった「九曜月星」の神紋が刻まれています。千葉県のとくに東京湾岸沿いの神社らしいです。
【社殿】
◆拝殿
〜均整のとれた美しい木造社殿。唐破風と注連縄のアールが作り出す、楕円形が絶妙です。
◆狛犬越し
〜何もかもが新しめなので、調べたところ、2007年に大改修が行われていました。
◆拝殿軒下
〜「九曜月星」の神紋は、妙見絡み。また、当地が豪族・千葉氏やその臣下の領地であった、ということが容易に想像できます。
◆懸魚(けぎょ)
〜九曜月星を中心とした彫金&龍の木彫りで構成された「懸魚」。龍は羽が生えているように見えます。
◆拝殿・斜めから
〜破風の美しさが際立つ拝殿の屋根。本殿の屋根も遠望できます。
◆本殿
〜ガラス張りの覆い屋。本殿が見えるように、との配慮なのでしょうが、陽光が反射して見えにくいです。また、夏になると、内部はかなりの高温になることでしょう。そのため、社殿が傷みそうな気が・・・。→あまりの暑さに、神さまが悲鳴をあげているかもしれません。
〜千木、鰹木、そして流造。これだけ美しい屋根を持った「覆い屋」は、そうそうお目にかかれるものではありません。
【境内社】
@厳島神社
〜木製の両部鳥居、狛犬、神池、神燈、と一通りのものが揃った境内社です。
◆狛犬
〜右足を持ち上げるこのポーズ、きちんとトレーニングされた猟犬の所作です。
◆神池
〜厳島神社内の池ですから、小さくて狭くても「神池」です。
◆御祭神
〜厳島神社ですから、当然、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)です。
◆神紋
〜六角形×三個の組み合わせは、「三つ盛り亀甲」(みつもりきっこう)と呼ばれています。
そもそも、亀甲紋は北方を守護する玄武(亀)を表します。出雲大社や香取神宮がこの紋を使っています。前者は、大陸や朝鮮半島への備え。後者は、蝦夷(=東北地方)。まさに、北方守護です。
A稲荷社と天神社
◆稲荷社
〜玉垣と祠の土台には、同じ石材を用いていました。土台上の祠も石造りでした。
◆古そうな狛犬
〜玉垣の内側に1対。右肩のあたりは、彫りと言うより、模様を描いている感じです。
◆天神社
〜参道の鳥居を潜り、直進。玉垣の外、駐車場に隣接する形で鎮座しています。プレハブ小屋のような社殿は、「妻入り」形式です。
【境内点描】
◆ご神木
〜樹齢は200〜250年とのこと。ご神木としては、若い樹木の部類になるのでしょうか。
◆錨
〜この辺りは、元・漁師町でした。そういう町の神社なので、メモリアルな錨なのでしょう。
◆神輿庫
〜出来立てです。左手には社務所。
◆玉垣(南側)
〜玉垣に、瓦屋根を載せた重厚な造りは、お寺感満載です。画面右は、神木の大銀杏
◆玉垣(西側)
〜石垣に板塀を乗せていて、南側とは趣が異なります。板塀の塗装は、濃灰色。石垣の色にコーデされています。朱色にしなかったのは、正解かも。社殿は、左から厳島神社、本殿。
【御朱印】
〜ご覧のように、宮司さんがお留守で拝受できませんでした。子守神社のご朱印は、墨書の字体が独創的なことで有名です。なので、いただけなくて残念でした。
【参拝ルート】 @2018年 8月18日、A同年 8月23日
◆当初、下記のようなルートを考えていました。しかし、実際は2日に分けてお参りしました。
START=京成線「幕張駅」〜徒歩850m〜 @子守神社 〜徒歩〜1.1km〜JR総武線「幕張駅」→JR総武線→「新検見川駅」〜徒歩100m〜「新検見川駅・北口バス停」→京成バス・八千代台駅行→「畑小学校」バス停〜徒歩650m〜A子安神社〜徒歩〜「畑小学校」→京成バス→JR総武線「新検見川駅」=GOAL
【ひとこと】
◆幕張の地名由来を2説
@海に関係する説
〜この地区は、かつては海の中でした。海岸が遠浅なので、引き潮になると貝類がまるで幕を張ったように付いていた。と、いうことに由来する説。
A城に関係する説
〜千葉氏の四男・大須賀四朗胤信が、父からこの地を譲られ、「馬加城(まくわり城)を築きました。これが、まくわり→まくはり と転化した。とする説。
◆スサノオ
〜その昔、子守神社は、「素加天王神社」と称していました。天王とは、牛頭天王のこと。牛頭天王は、スサノオと同一視されていました。なので、現在の御祭神=素盞嗚命は納得のいくところです。また、当地の領主は、大須賀四朗胤信でした。つまり、名前に「須賀」が入っています。また、神社の元の社名にある「素加」とは、「須賀」です。これらの状況証拠は、全国各地に鎮座する「須賀神社」を連想させます。そして、須賀神社は、スサノオを祀ります。
◆下総三山(みやま)七年祭
〜千葉県船橋市三山にある『二宮神社』を中心として、丑年と未年にあたる年に開催される大祭で、550年以上の歴史があります。千葉市、船橋市、習志野市、八千代市、の9神社の神輿が、二宮神社に集まります。参加する神社には、役割が与えられています。→二宮神社=父、子安神社=母、子守神社=子守、三代王神社=産婆、菊田神社=叔父、大宮大原神社=叔母、時平神社=長男、高津比盗_社=娘、八王子神社=末息子、です。
◆後記
@境内は、主にアスファルトで舗装されています。したがって、雨天の日でも足元が悪くならないため、参拝者への便宜のひとつかと思います。こうした、功利的な見方ができる一方、美観を考えたとき、アスファルトでなく、玉砂利ではダメなのでしょうか?という疑問の声もまたあるのかと思います。ちなみに、境内社の周囲は、土面でした。
A筆者は、今回、御朱印を拝受できませんでした。ほかの方がお書きになられた、子守神社の記事を拝見すると、皆さん、御朱印をいただいているようです。したがって、宮司さんが「留守がち」ということは、ないのだろうと思われます。
【加筆修正】
A’筆者は、今回、御朱印を拝受できませんでした。でも、筆者は、まだマシなようです。「不在」を4回連続で食らったブロガーさんもいらっしゃいました。よって、《宮司さんは不在がち》なので、御朱印をお受けしたい場合は、事前に連絡されたほうがよろしいかと思われます。(了)