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菊田神社
※2019年 1月20日更新 →昨年の旧記事に写真を追加し、文章を加筆修正しました。
◇鎮座地:千葉県習志野市津田沼3丁目ー2−5
◇最寄駅:京成線&新京成線「京成津田沼駅」〜徒歩3分
◇御祭神:大己貴大神(おおなむちのおおかみ)、藤原時平命(ふじわらのときひらのみこと)
◇御朱印:あり→拝受 *平日はもらえません。書置きもないです。土日祝のみ可。
◎参拝日:@2018年12月22日、A2018年 5月14日、B2017年 4月25日
※創建は、810年頃。平安時代、この境内地は海の中の小島でした。島に鎮座していた久久田大明神(くくた)が前身です。中世になって、流罪に処せられた藤原師経、藤原師長らが島に上陸。この地を安住の地と決め、先祖である藤原時平を合祀しました。
【社号提灯】
〜神紋は、菊紋と菱紋で構成されており、独自のもののようです。(2018.12)
【参道】
◆大鳥居と社号標
〜大鳥居の手前20mあたりに社号標。参道の長さは50〜60mほどです。安政5年(1858年)に建立された大鳥居が、2011年の東日本大震災によって倒壊。同年12月に再建されました。
◆雨の大鳥居 (2018.12)
◆江戸時代の鳥居
〜東日本大震災で倒壊した石鳥居の柱と扁額が記念碑的に残されています。大鳥居を潜った右手です。「安政五年」の文字が確認できます。(2018.12)
◆雨に濡れた参道(2018.12)
〜この日は土曜日でしたが、年末であり、雨模様であり、15時を回っておりましたので、境内はひっそりとしていました。
◆狛犬
〜参道から拝殿前まで、新旧の狛犬が3対で睨みを利かせています。こちらは最古のもの。
右足を持ち上げるポーズは、躾けられた猟犬が行う「獲物発見!」のサインみたいです。
◆獅子山
〜頭部の苔がいい感じ。写し損ねましたが、谷底に子獅子がいます。
◆獅子山と拝殿 (2018.12)
〜こちらで子獅子が確認できます。拝殿を遠望します。バランス的に唐破風が大きめです。
◆手水舎
〜水は間断なく流れ出ています。水勢は弱めでしょうか。
◆水盤
〜石は大きいですが、器部分は小さめ。船形石のような形状で味のある水盤です。
【社殿】
◆拝殿
〜菊田神社は、平安時代・弘仁年間(810〜824年)ころの創建と伝えられ、古くは久々田大明神と称されました。 江戸時代・宝暦年間(1751〜1763年)に菊田大明神と改称しました。
◆軒下
〜大き目な唐破風です。彫刻は、鳳凰と龍でしょうか。軒下彫刻が地味に凝っています。
◆拝殿扁額と吊り燈籠
〜拝殿のガラス戸が開いていました。(2018.12)
◆拝殿斜めから
〜入母屋造。向背部分を大きく造っているのが分かります。
◆本殿
〜瑞垣は、瓦屋根つきです。千木の穴は開放です。
祭神である藤原時平は、フェイクニュースを使って菅原道真を左遷に追い込みました。その結果、道真に祟られて死んだと言われています。
藤原時平を祀っている神社は、下総國二宮神社はじめ、時平神社(数社あります)など、習志野市、船橋市、八千代市で見ることができます。時平は、この地と縁があるんだと思います。
◆雨の本殿(2018.12)
【境内点描】
◆天水桶
〜天水桶にも菊紋と菱紋で構成された独自神紋が付けられていました。
◆古神札納所 (2018.12)
◆御池
〜近隣に鎮座する『下総國 二宮神社』の水脈がこの池の水源と言われています。
◆社務所
〜神職の住居兼社務所のようです。
◆社叢
〜本殿の裏手は、緑が広がっていて、古木も散見されます。
【境内社】
〜大正元年11月(1912年)、近隣の6社を境内社として合祀しました。
◆大杉神社
御祭神:倭大物主櫛甕玉大神(やまとおおものぬしくしみかたまのおおかみ)
〜明治時代、久々田村の人々は海産物を茨城方面に売り、農産物を持ち帰る行商をしていました。あるとき、行商人が「疫病に効く」大杉神社(稲敷郡桜川村鎮座)のお札を持ち帰り、菊田神社に納め祀ったところ、効果を発揮したそうです。以来、こうして大杉神社の分霊を祀っています。
《あんば様》 (=あんば大杉信仰)
〜菊田神社では、「あんば様」と呼ばれる民間信仰の行事が 3月15日に近い日曜日に行われています。正しくは「阿波様」といい、天然痘(ほうそう)流行を防ぐために始まったと伝わっています。「あんばーおーせー大明神、悪魔を払ってよーいやせ」と唱えつつ地区内を神輿渡御します。 *「アンバ大杉信仰」は、江戸で享保期に流行した流行神。 by菊田神社頒布の小冊子
◆琴平神社
御祭神:大物主神 かと思われます。
〜大鳥居の先、参道右手に鎮座します。扁額は「琴平」と揮毫されていますが、拝受した小冊子には「金刀比羅」と書かれていました。
〜苔にまみれ、子犬のように小さな狛犬が石祠を護ります。
◆石祠壁面の彫刻
〜村人の生活を描いたものでしょうか。開拓者の伝承を描いたものでしょうか。
◆子安神社
御祭神:奇稲田姫 かと思われます。
〜全国の子安神社のうち、多くは木花開耶姫を祀っています。しかし、近隣(=検見川)の子安神社は、奇稲田姫です。菊田神社は、主祭神がオオナムチですし、境内社は出雲系が多いので、おそらく同系となる奇稲田姫かと思われます。
◆御嶽大神
御祭神:甲斐や武蔵の御嶽と同じ御嶽(みたけ)なのか、木曽の御嶽(おんたけ)と同じ系なのか不明。
〜このような石碑だけの神さまであっても、きちんと紙垂が張られ、狛犬が護っています。
◆不明な石祠@
〜常夜燈と狛犬はあるのですが、神さまの名が見当たりません。
◆不明な石祠A
〜紙垂の下に「〇〇山」という文字が見えました。
◆不明な石祠B
〜大杉神社の隣に3社鎮座しています。石祠といえど、どれも丁重に祀られています。
◇特定できなかった社は、八坂神社、大山祇神社、水神社、雷神社の4社です。一方、不明石祠数は、5社。数字が合致しません。
◆稲荷神社
〜狛狐の顔面損傷が痛々しいです。鼻のケガ・病気を抱える人が削りっ取ったのでしょうか。
【御朱印】
〜初穂料は300円。2種類のご朱印からシンプルなほうを選びました。
御朱印は、社務所に連なるこちらの授与所にてもらえます。背後の銀杏はご神木です。
【参拝ルート】 2018年 12月22日
〜2018年・1年間の「お礼参り」として、菊田神社のみお参りしました。雨模様で境内は、よりしっとりとした雰囲気でした。
【ひとこと】
◆津田沼という地名
〜明治22年に近隣5つの村が合併しました。その中の、谷津村、久々田村、鷺沼村、これら3つの村名から1文字づつを使って合成された地名=津田沼村が誕生しました。
◆菊田水鳥公園
〜境内に隣接しています。神社との境界は低いフェンスのみ。神社の池みたいな感じです。
◆癒しの神社
〜菊田神社は、自宅からほど近いため、何度かお参りさせてもらっています。いつ来ても境内は静寂と清掃が際立っています。また、隣接の『水鳥公園』を含めて癒しのひとときを過ごすことができる、 《緑と水の神社》 です。(了)
子守神社 (こまもり神社)
◇鎮座地:千葉県千葉市花見川区幕張町2丁目 990
◇最寄駅:京成線「幕張駅」駅〜850m、総武線「幕張」駅〜1.1km
◇御祭神:奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、大己貴尊(おおなむちのみこと)
◇御朱印:あり→宮司さん出張のため拝受できず。
◎参拝日:2018年 8月18日
※子守神社は、「こもり」ではなく、「こまもり」と読みます。創建は、1194年。古くは「素加大王神社」とも称された、幕張地区・総鎮守の神社です。
【参道】
◆一之鳥居
〜こちらの参道は、近隣住民の生活道路との兼用です。鳥居の手前までの両サイドには民家が並び、この先の狛犬手前に横道があり、神社横を抜けて北方に抜けられます。
〜画面右下の白っぽい建屋は、「天神社」です。
◆手水舎
〜簡素な手水舎ですが、肝心かなめの水は素晴らしかったです。清らかな水が水盤からあふれ出ていました。
◆水盤
〜水盤には、九曜紋と月星紋が合わさった「九曜月星」の神紋が刻まれています。千葉県のとくに東京湾岸沿いの神社らしいです。
【社殿】
◆拝殿
〜均整のとれた美しい木造社殿。唐破風と注連縄のアールが作り出す、楕円形が絶妙です。
◆狛犬越し
〜何もかもが新しめなので、調べたところ、2007年に大改修が行われていました。
◆拝殿軒下
〜「九曜月星」の神紋は、妙見絡み。また、当地が豪族・千葉氏やその臣下の領地であった、ということが容易に想像できます。
◆懸魚(けぎょ)
〜九曜月星を中心とした彫金&龍の木彫りで構成された「懸魚」。龍は羽が生えているように見えます。
◆拝殿・斜めから
〜破風の美しさが際立つ拝殿の屋根。本殿の屋根も遠望できます。
◆本殿
〜ガラス張りの覆い屋。本殿が見えるように、との配慮なのでしょうが、陽光が反射して見えにくいです。また、夏になると、内部はかなりの高温になることでしょう。そのため、社殿が傷みそうな気が・・・。→あまりの暑さに、神さまが悲鳴をあげているかもしれません。
〜千木、鰹木、そして流造。これだけ美しい屋根を持った「覆い屋」は、そうそうお目にかかれるものではありません。
【境内社】
@厳島神社
〜木製の両部鳥居、狛犬、神池、神燈、と一通りのものが揃った境内社です。
◆狛犬
〜右足を持ち上げるこのポーズ、きちんとトレーニングされた猟犬の所作です。
◆神池
〜厳島神社内の池ですから、小さくて狭くても「神池」です。
◆御祭神
〜厳島神社ですから、当然、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)です。
◆神紋
〜六角形×三個の組み合わせは、「三つ盛り亀甲」(みつもりきっこう)と呼ばれています。
そもそも、亀甲紋は北方を守護する玄武(亀)を表します。出雲大社や香取神宮がこの紋を使っています。前者は、大陸や朝鮮半島への備え。後者は、蝦夷(=東北地方)。まさに、北方守護です。
A稲荷社と天神社
◆稲荷社
〜玉垣と祠の土台には、同じ石材を用いていました。土台上の祠も石造りでした。
◆古そうな狛犬
〜玉垣の内側に1対。右肩のあたりは、彫りと言うより、模様を描いている感じです。
◆天神社
〜参道の鳥居を潜り、直進。玉垣の外、駐車場に隣接する形で鎮座しています。プレハブ小屋のような社殿は、「妻入り」形式です。
【境内点描】
◆ご神木
〜樹齢は200〜250年とのこと。ご神木としては、若い樹木の部類になるのでしょうか。
◆錨
〜この辺りは、元・漁師町でした。そういう町の神社なので、メモリアルな錨なのでしょう。
◆神輿庫
〜出来立てです。左手には社務所。
◆玉垣(南側)
〜玉垣に、瓦屋根を載せた重厚な造りは、お寺感満載です。画面右は、神木の大銀杏
◆玉垣(西側)
〜石垣に板塀を乗せていて、南側とは趣が異なります。板塀の塗装は、濃灰色。石垣の色にコーデされています。朱色にしなかったのは、正解かも。社殿は、左から厳島神社、本殿。
【御朱印】
〜ご覧のように、宮司さんがお留守で拝受できませんでした。子守神社のご朱印は、墨書の字体が独創的なことで有名です。なので、いただけなくて残念でした。
【参拝ルート】 @2018年 8月18日、A同年 8月23日
◆当初、下記のようなルートを考えていました。しかし、実際は2日に分けてお参りしました。
START=京成線「幕張駅」〜徒歩850m〜 @子守神社 〜徒歩〜1.1km〜JR総武線「幕張駅」→JR総武線→「新検見川駅」〜徒歩100m〜「新検見川駅・北口バス停」→京成バス・八千代台駅行→「畑小学校」バス停〜徒歩650m〜A子安神社〜徒歩〜「畑小学校」→京成バス→JR総武線「新検見川駅」=GOAL
【ひとこと】
◆幕張の地名由来を2説
@海に関係する説
〜この地区は、かつては海の中でした。海岸が遠浅なので、引き潮になると貝類がまるで幕を張ったように付いていた。と、いうことに由来する説。
A城に関係する説
〜千葉氏の四男・大須賀四朗胤信が、父からこの地を譲られ、「馬加城(まくわり城)を築きました。これが、まくわり→まくはり と転化した。とする説。
◆スサノオ
〜その昔、子守神社は、「素加天王神社」と称していました。天王とは、牛頭天王のこと。牛頭天王は、スサノオと同一視されていました。なので、現在の御祭神=素盞嗚命は納得のいくところです。また、当地の領主は、大須賀四朗胤信でした。つまり、名前に「須賀」が入っています。また、神社の元の社名にある「素加」とは、「須賀」です。これらの状況証拠は、全国各地に鎮座する「須賀神社」を連想させます。そして、須賀神社は、スサノオを祀ります。
◆下総三山(みやま)七年祭
〜千葉県船橋市三山にある『二宮神社』を中心として、丑年と未年にあたる年に開催される大祭で、550年以上の歴史があります。千葉市、船橋市、習志野市、八千代市、の9神社の神輿が、二宮神社に集まります。参加する神社には、役割が与えられています。→二宮神社=父、子安神社=母、子守神社=子守、三代王神社=産婆、菊田神社=叔父、大宮大原神社=叔母、時平神社=長男、高津比盗_社=娘、八王子神社=末息子、です。
◆後記
@境内は、主にアスファルトで舗装されています。したがって、雨天の日でも足元が悪くならないため、参拝者への便宜のひとつかと思います。こうした、功利的な見方ができる一方、美観を考えたとき、アスファルトでなく、玉砂利ではダメなのでしょうか?という疑問の声もまたあるのかと思います。ちなみに、境内社の周囲は、土面でした。
A筆者は、今回、御朱印を拝受できませんでした。ほかの方がお書きになられた、子守神社の記事を拝見すると、皆さん、御朱印をいただいているようです。したがって、宮司さんが「留守がち」ということは、ないのだろうと思われます。
【加筆修正】
A’筆者は、今回、御朱印を拝受できませんでした。でも、筆者は、まだマシなようです。「不在」を4回連続で食らったブロガーさんもいらっしゃいました。よって、《宮司さんは不在がち》なので、御朱印をお受けしたい場合は、事前に連絡されたほうがよろしいかと思われます。(了)
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