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2015年04月05日

人生のつれづれに

posted by koutarou at 20:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

始めまして。私の人生のつれづれに書き綴って行きます。

私は子供の頃から修学旅行など、数日の泊まりの旅行で軽いパニック発作を起こしていました。
30数年前にかなり酷いストレスが掛かる事件に巻き込まれ、警察に相談したり弁護士先生にお世話になったり
解決するのに10年以上掛かりました。
事の起こりは
私が勤めていたショップに居るときに趣味で富山までフライフィッシングに行ったときに、結構キツイパニック発作を
起こしてしまい、釣どころでは無くなりすぐに車に引き返して少し落ち着きました。
それ以後、仕事は出る物の鬱が併発し趣味も怖くて行けなくなり、どうにもならなくなっているときに
職場の上司から、資金的に応援する人が居るから独立しないかと言う誘いが有り、その当時の状況から逃れたくて
承諾しショップを辞めることに決めました。
資金の供給者も面識があり、安心していました。
話は、資金出すからショップを経営しないかと言う物で、経営が起動に乗ったら配当金が欲しいとと言う物で
提供した資金も返してくれたらショップの経営権も渡しても良いと言う話でした。
独立すると言う事は余り拘ってなかったんですが、現状の環境を変えたく、快諾してしまいました。
数ヶ月後にショップ開店。
出資金は500万。
しかし、此が罠だったとは知るよしも無く、内容は地面師の連中にはめられたと言う事だった。
妻の実家の資産が数十億、開業して2年目で私の住んでいた実家の家業の借家も同系列の連中に地上げが掛かってしまった。
後日分かったんですが、実家の町内や周囲が一斉に地上げが掛かり、有る有名なホテルが建つ計画が合ったらしいです。
資金提供者からの契約資料にサインしていましたが、約定は難しく理解出来ずにサイン、押印してしまったのが
最悪の結果をもたらしました。
開業して2年目当たりから状況が変わりだし、素人の私が帳簿を独学で勉強して管理すると言う事でしたが
当然間違いが多く、経営も上手く行かずに鬱とパニック障害で苦しみながら必死になっていましたが
客の中の資金提供者が、経理がおかしいと言いだし揉め出しました。
出入りし出したのが、不動産屋、古物商、資金提供者のショップの相談役、会社のオーナー、坊主、等々、一般のお客さんに混じり出入りし出しました。
色々相談に乗ってあげるよって言う話で、私の知り合いがそれはおかしいから弁護士入れろって助言してくれましたので
弁護士の先生の助けを借りることにしました。
大揉めに揉めて、たとえ話の脅迫、怖がらせる話、資金提供者に謝って言う事を聞けば命までは取られないとか
色々な駆け引きが行われました。
弁護士が入ったので資金提供者と直接話をすることは無くなったのですが、弁護士の先生に御願いする寸前に、資金提供者は私に、もう絵図面は書き終わってるからて宣告しにきたことも有りました。
警察にも相談して居ましたが、刑事さんはとにかく日記を付けろと言いました、証拠になるからと。
それ以後、外に出たら必ず付け回され、店と実家の往復も付け回される日々が3年続きました。
夜食を食べに行ったら屋台で回りをすぐにヤクザみたいな連中に取り囲まれ、目の前に某地元では有名なタクシーが
4台一斉に停まり後部のドアを開けたままにしました。
動きがあったら、熱いラーメンをぶっかけて逃げようと考えていました。
そうこうしている内に実家が地上げに掛かり出しました。
ショップの方は初期は弁護士からの内容証明通知が届くまで、ショップ内で寝泊まりしました。
ショップ内の所有権が曖昧で、全て取られかねないのと経理での3年間の間違いを理由に脅迫を受けていたからです。
しかし、奴らは知能犯で警察が介入出来るような脅迫の絶対にしません。
私が精神的に追い込まれていって、奴らの取り巻きに相談したり謝ったり仲介を頼むように持って行こうとします。
刑事さんは絶対に一円も払っては駄目だと行ってました。
一度でも妥協したらケツ毛まで抜かれると。
当時、妻の事も心配で、事件とは関係なく妻の実家とは犬猿の仲になっていましたら、離婚することにしました。
妻に給料とか払ったりしていなかったので、離婚したら妻の実家の資産には奴らの手が届かなくなると言う事でした。
ショップ内で奴らの取り巻きに離婚すると伝えると、猛反対、大騒動になってしまいました。
もの凄い反対、思いとどまれ、おまえは二度と結婚できないぞとか、有りとあらゆる説得が続きました。
離婚が成立したら、圧力は減少し和解も成立知ることになりましたが、和解文章の内容が以後何か引きずる内容が無いか弁護士に確かめると、可能性は有ると言う無いようだったので和解文章の変更を数回やりとりし、資金提供された500万も実際に現金を見たわけでは無く、取引銀行に店の賃貸費用等を差し引いた入金しか無く、大幅減額で成立しました。
その後数年かかって毎月返済し、5年掛けて払いきった時には、本当に心から安堵しました。
しかし、弁護士に時効の問題を確かめたら、民事時効の問題は複雑で、時効がいつから始まるのかによって変わるという
返事でした。
ほぼ安心出来たのは和解後10年ほど立ってからでした。
住んでいる実家の地上げも私の事件和解後も続いていて、ヤクザ、えせ右翼、えせ同和などの追い込みを受け続けました。
兄弟は二人居ますが、頼りなく全ての事を私が対応しました。
私の事件と同じ弁護士の先生に御願いし、話は簡単でした。
内容証明郵便を送って貰い、地上げ屋との直接対話は無くなりましたが、それはそれでやり方があるみたいで
土地の所有権がえせ右翼渡り、又私が対応せざる終えなくなり、大変でした。
繋がりの隣の人は早々に地上げ屋と和解し出て行ってしまったので、空き家の隣に右翼が入ったりしてました。
その問題も、地上げ屋から新たな転居先が提示が有り、今までとは違った真面な実家の仕事も可能で、土地だけ借りて
上の建物は長男の所有になるという話でした。
地主はお寺さんで、人が住んでくれたら何も言わないと、ガレージなどにしなかったらと言う物で、土地、建物を調べて
利権が付属していないか確かめ、事実有ったので地上げ屋に調停の席で指摘し、全て責任を持って取り払い
以後も、何か有れば責任を取るという和解文章の作成が始まり、何回かの調停で和解に至りました。
私の事件と実家の地上げ、同じ系列の連中の仕業だったんですが、本当に心身共に疲れ果てました。
事件当時、ストレスから強烈な一日中続くパニック発作を起こしてしまい、夜に救急に飛び込み、そこでパニック障害と始めて診断を受けました。
翌日から、投薬治療が始まりました。
その数ヶ月後に地上げの和解も成立し、引っ越しも全て終わり新家屋の生活が始まり、本当に解放されました。
本当にあ心から安心出来るようになったのは、その後10年ほど掛かりました。
家の近くに車が止まったりしていると気になってしまっていました。
本当に、奴らは弱った人間を狙ってきます、民事なので警察は今でも基本、介入は出来ません、相談には乗ってくれましし、警戒などもしてはくれますが。
一端はめられたら、殆ど逃げるのは難しいと言う事でした、私は本当に運が良いと思っています。
posted by koutarou at 20:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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