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2022年11月04日

メジロパーマー障害で花開いた驚異の心肺能力で逃げて勝つスタイルを確立した馬

稀代の逃げ馬、メジロパーマー。



競馬界きっての個性派であり、まだ競馬を見だして間もない私に、逃げ馬の魅力やドキドキ感を植え付けてくれたグランプリホース。



宝塚記念と有馬記念を勝ってはいるけど、それまでには数々の紆余曲折、クラシックシーズンは骨折で棒に振り、また全然勝てなくて障害レースにも出走経験があるなど、なかなか波乱万丈な競走馬人生。



数ある名馬の中でも、生粋の苦労人(馬?)と言えるだろう。





メジロパーマーは1987年に父メジロイーグル、母メジロファンタジー(母父ゲイメセン)という、いかにもメジロっぽいという血統のもとに生まれます。



所属厩舎はナリタブライアンやシルクジャスティスの回でも紹介いたしました、栗東の大久保正陽厩舎。



メジロパーマーの同期にはメジロマックイーンやメジロライアンがいて、メジロパーマーはその2頭に比べると全然期待はされていなかったそう。



マックイーンにライアンにパーマー。



まさにメジロ牧場絶頂期の頃ですよね。



あまり期待はされていなかったメジロパーマーですが、デビューからしばらくはしっかり力を発揮します。



新馬で2度の2着(この頃は同開催期であれば何度でも新馬戦に出られた)の後3戦目で初勝利。



そして次走のコスモス賞も勝利するのですが、そこからメジロパーマーは長く険しいトンネルに入ります。



レースに出ても全く勝てないどころか掲示板にも載れないような凡走ばかり。



それに加えて3歳のクラシックシーズンは骨折で棒に振り、4歳で復帰するも精彩を欠く走りは相変わらず。



陣営は何を血迷ったか??全く勝てない時期のメジロパーマーを、500万クラスながら天皇賞(春)に格上挑戦させたりもしたけど、まあ勝てる訳はなく撃沈。



ただその天皇賞(春)で何かをつかんだのか、次走の自己条件戦で2着と久々の連対を果たすと、翌レースではなんと2着馬に1.8秒差をつける爆勝劇。



この勝利が実に、メジロパーマーにとって約2年ぶりの勝利。



この爆勝に陣営は気を良くしたのか、次走は札幌記念(当時はG3のハンデ戦)に格上挑戦させます。



ところがメジロパーマーは、この札幌記念を軽ハンデ51キロで、まんまと逃げきってみせたのでした。



格上挑戦のG3レースを軽ハンデながらも逃げ切ってみせて、さあこれから本格化かと思ったのもつかの間。



また連敗モードに突入するのでした。



この頃から、気まぐれモード全開のメジロパーマー。



ここで陣営は思い切った作戦を敢行します。



重賞を勝ったメジロパーマーを、障害戦に出走させるのでした。



重賞勝ち馬を障害戦に回すとは、何とも容赦ない大久保正師とメジロ牧場。



そんな事を知ってか知らずか、パーマーの初障害戦は6馬身差の圧勝。



次走も2着と結果は残しますが、飛越が下手でこれ以上やると落馬しかねないという理由で、障害戦はこの2戦のみ。



次走からまた平地に戻されるのでした。



本当にたらい回し状態のパーマー。



しかしこの頃、パーマーはあるジョッキーとの運命的な出会いを果たします。



まだ若いデビュー4年目の山田泰誠騎手。



それまで数多くの乗り手が騎乗するも、乗り難しい気性が災いしてこれといった乗り手が決まっていませんでしたが、山田泰誠騎手は初騎乗した天皇賞(春)は果敢に逃げて7着と善戦。



そして次走の新潟大賞典(G3)で復活し4馬身差の楽勝。



この勝利が障害戦以来の勝利となった訳です。



山田泰誠騎手との出会いで、スタミナにモノを言わせてマイペースで大逃げをかます術を身に着けたメジロパーマー。



次走はG1の宝塚記念に出走。



主役とみられていた同じメジロ牧場のメジロマックイーンが直前の骨折で回避。



しかしそれでも、主役はやっぱりメジロでした。



抜群のスタートからすぐさまハナへ。



そして向こう正面でもペースを緩ます事なく、平均ペースか少し速い位で悠々と逃げていく。



これで後方待機組は知らず知らずのうちに脚を使わせられる。



それでもパーマーが潰れれば待機組の出番ですけど、パーマーにとってはこれがマイペース。



最後の直線に入っても、全くバテる事はなく、逆になし崩しに脚を使わせられた後方待機組が全く伸びてこない。



最後1番人気のカミノクレッセが差を詰めてきたけど、メジロパーマーには遠く及ばず。



ついに遅咲きの苦労人メジロパーマーの夢にまで見た初G1制覇でした。



人間(馬?)、諦めずに腐らずに頑張れば夢は叶うという事を実感したレース。



メジロマックイーンもトウカイテイオーも出ていなくて主役不在という事はここでは伏せておきましょう。



何はともあれ、ついにグランプリホースにまで上り詰めたメジロパーマー。



意気揚々と秋の戦いに臨むはずでしたが、秋初戦の京都大賞典は9着。



そして天皇賞(秋)は17着とブービー大敗。



逃げ馬特有の、強さとモロさが同居している点は直る事がありません。



それが「個性派」と言われる所以なんでしょうけど。



そんなパーマーは、今度は冬のグランプリ、有馬記念に挑みます。



春のグランプリホースが、16頭立ての15番人気。



まだこの頃は逃げ馬が人気になりやすい時代ではなかったのですね。



春のグランプリホースが、秋2回負けただけで、ブービー人気にまで落ちてしまう。



私だったらコレはオイシイと絶対に狙うけどなー。



まあ、宝塚記念と違いトウカイテイオーもいてライスシャワーも出ていたのでメンバーは揃っていたという事もあるのでしょうけど。



そして迎えた1992年有馬記念。



トウカイテイオーいきなり出遅れてしまい早くも波乱ムード。



例によってメジロパーマーが悠々と逃げていきますが、2週めの向こう正面に入ると、あのダイタクヘリオスが1頭、パーマーを追いかけていき、ついに両馬並びます。



どちらも譲る気はないので2頭で大逃げをかます形となり、後続の14頭ははるか後ろ。



実況の堺正幸さんも3コーナーあたりで、

「早く追いかけなければならない!」と言っておりました。



そして迎えた最後の直線。



パーマーとやり合ったダイタクヘリオスは早々と脱落し、パーマーも最後の急坂を上がってさすがに脚が上がりレガシーワールド、ナイスネイチャの猛追を受けたが、何とかハナ差でしのぎ切ってゴール!



史上4頭めの、春秋グランプリホース誕生の瞬間です。



しかし大勢のファンは、そんな祝福よりも「何が起きたんだ?」とシーンと静まり返った感じ。



全く予想だにしなかった展開に、全く予想だにしなかった馬が勝ったんですもの。



16頭立ての15番人気、単勝は4940円。



宝塚記念を勝利した馬が秋2戦凡走しただけでこの低評価。



今だったら、逃げ馬だけにもうちょっと人気を集めると思いますが。



実況の堺さんも、「ヒシマサルも、トウカイテイオーも、ライスシャワーもどうしたのでしょうか?予想だにしなかった展開です」



と呆気に取られていたのが印象に残っております。



障害戦まで経験した馬が、春秋のグランプリ連覇というスーパーホースになるのですから、本当に競馬の世界は分かりません。



でもそれが競馬の面白い所だし、夢と希望に満ち溢れた筋書きのないドラマだという事が、お分かり頂けた事でしょう。



私が、馬券が買えない幼少期でも、このような幾多のドラマの魅力に取りつかれて、競馬を愛するきっかけとなった訳。



その後パーマーは6歳になりますが現役を続けます。



しかし、グランプリ連覇で満足してしまったのか?有馬記念後の阪神大賞典で勝利した後は勝利から見放されてしまいます。



結局、引退するまで勝利する事はありませんでしたが、最後のレースとなった7歳の日経新春杯では、60.5キロを背負いながらも2着に踏ん張り最後の最後に意地を見せてくれました。



本当にメジロパーマーを思い返すと、地味でも、期待なんてされなくても、叩き上げでも腐らずにやっていればいつか花開くという事を実感させてくれます。
posted by shinkeiba at 21:00 | Comment(0) | コラム
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