2019年12月13日
100の失敗 (2)
そうでなければ、自分は死んでいるのではないか?
しかし、生活は続いている。そして、まだ何かに期待をしている。
これまでの失敗が、今後の期待から生まれる成果を既に上回っているのではないかと心配なのだ。
だから今をスタートと考えて進むしかないのだが、同じ自分である以上、また同じ過ちを犯すのではないかと。
過ち?果たしてそれが過ちであったかどうかも、定かではないが、後悔の念があるということは、自分の中では過ちという位置づけになる。
そして、この感情を抱えて今後の生活を続けていくことは、とても辛い。あまりに辛過ぎる。
この先の目標から生まれる成果は、既に過去の失敗で前借りされているのだとしたら。今後の稼ぎの全てが、今ある借金の返済に充てても足りないとしたら。(これはあくまでも例え)
頑張る甲斐がないというものだ。
小さくても良いから、何かを達成することが、生活を続ける気力のエネルギーになる。
強いて言えば、
「失敗をすることが目標」とか?
(とか?という表現は本当は好きではない。昔の知り合いで、とても陰険だった奴が、よくこの言い方をしていた)
失敗が目標なら、私は自信をもって進むことが出来る。
試しに、100個失敗した時点で気に入った服を色違いで全て買っても良い、というご褒美でもあげてみようか。
しかし、生活は続いている。そして、まだ何かに期待をしている。
これまでの失敗が、今後の期待から生まれる成果を既に上回っているのではないかと心配なのだ。
だから今をスタートと考えて進むしかないのだが、同じ自分である以上、また同じ過ちを犯すのではないかと。
過ち?果たしてそれが過ちであったかどうかも、定かではないが、後悔の念があるということは、自分の中では過ちという位置づけになる。
そして、この感情を抱えて今後の生活を続けていくことは、とても辛い。あまりに辛過ぎる。
この先の目標から生まれる成果は、既に過去の失敗で前借りされているのだとしたら。今後の稼ぎの全てが、今ある借金の返済に充てても足りないとしたら。(これはあくまでも例え)
頑張る甲斐がないというものだ。
小さくても良いから、何かを達成することが、生活を続ける気力のエネルギーになる。
強いて言えば、
「失敗をすることが目標」とか?
(とか?という表現は本当は好きではない。昔の知り合いで、とても陰険だった奴が、よくこの言い方をしていた)
失敗が目標なら、私は自信をもって進むことが出来る。
試しに、100個失敗した時点で気に入った服を色違いで全て買っても良い、というご褒美でもあげてみようか。
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