2016年03月06日
【イルカの小話】世界で初めて法律で保護されたハナゴンドウ
〜ニュージーランドのピロウラス・ジャック〜
ピロウラス・ジャックは、ニュージーランドの北島と南島のあいだのクック海峡を航行する船に近寄っていっしょに泳いだり、小さな船に体をこすりつけたりしたといいます。特にピロウラス水域に姿を表すことが多く、その地域の人々の間では、ピロウラス・ジャックはすごいスピードで泳ぐ、光り輝く「白い魚」として知られていました。
しかし、ピロウラス・ジャックがいつ頃現れたのかについては、いろいろな説があり、はっきりしたことが分かっていません。1911年7月20日の「ザ・メイル」紙や、目撃者の話を総合すると、大体1870年代末から1880年代初めにかけてではないかと思われます。
ピロウラス・ジャックが現れて、船につき添う場所は大体決まっていました。このため、ジャックが現れそうになると船が汽笛を鳴らして、まるでジャックが汽笛に呼ばれて姿を現すように乗客に思わせることも起こり、さらに、乗客が船上からライフル銃(ピストルという説もあります)でピロウラス・ジャックを狙い撃ちするという事件まで起きました。
これは、ヨーロッパの複数の博物館が「謎の動物」であるピロウラス・ジャックを高値で買おうといいだしたため、その賞金目当てだったかもしれないとも考えられます。
ピロウラス・ジャックの命が危ないと知って、ニュージーランドの人々は、ピロウラス・ジャックを法律で保護してほしいとニュージーランド政府に訴えました。当時、ジャックの種名ははっきりしていませんでした。「謎の動物」、「白い魚」、「イルカ」、「クジラ」など、いろいろの説がありました。そこでニュージーランド総督は、ピロウラス・ジャックを「魚類または哺乳類」と表現して、漁労法の保護対象にしました。
こうしてピロウラス・ジャックは、1904年9月26日、世界で初めて、法律で守られたイルカとなりました。そして、その法律はジャックが姿を消すまでの間に2度更新されました。
さまざまな調査のうえ、ピロウラス・ジャックが間違いなくハナゴンドウであることが分かったのは、1974年、ジャックの死後、半世紀以上たってからのことでした。ジャックがいつ死んだのかについては諸説があり、正確なことは分かっていませんが、1912年4月とされています。
児童書ではありませんが、ピロウラス・ジャックについての詳しい話は「海からの使者 イルカ」(藤原英司著 朝日新聞社 1980年)に書かれています。
ピロウラス・ジャックは、ニュージーランドの北島と南島のあいだのクック海峡を航行する船に近寄っていっしょに泳いだり、小さな船に体をこすりつけたりしたといいます。特にピロウラス水域に姿を表すことが多く、その地域の人々の間では、ピロウラス・ジャックはすごいスピードで泳ぐ、光り輝く「白い魚」として知られていました。
しかし、ピロウラス・ジャックがいつ頃現れたのかについては、いろいろな説があり、はっきりしたことが分かっていません。1911年7月20日の「ザ・メイル」紙や、目撃者の話を総合すると、大体1870年代末から1880年代初めにかけてではないかと思われます。
ピロウラス・ジャックが現れて、船につき添う場所は大体決まっていました。このため、ジャックが現れそうになると船が汽笛を鳴らして、まるでジャックが汽笛に呼ばれて姿を現すように乗客に思わせることも起こり、さらに、乗客が船上からライフル銃(ピストルという説もあります)でピロウラス・ジャックを狙い撃ちするという事件まで起きました。
これは、ヨーロッパの複数の博物館が「謎の動物」であるピロウラス・ジャックを高値で買おうといいだしたため、その賞金目当てだったかもしれないとも考えられます。
ピロウラス・ジャックの命が危ないと知って、ニュージーランドの人々は、ピロウラス・ジャックを法律で保護してほしいとニュージーランド政府に訴えました。当時、ジャックの種名ははっきりしていませんでした。「謎の動物」、「白い魚」、「イルカ」、「クジラ」など、いろいろの説がありました。そこでニュージーランド総督は、ピロウラス・ジャックを「魚類または哺乳類」と表現して、漁労法の保護対象にしました。
こうしてピロウラス・ジャックは、1904年9月26日、世界で初めて、法律で守られたイルカとなりました。そして、その法律はジャックが姿を消すまでの間に2度更新されました。
さまざまな調査のうえ、ピロウラス・ジャックが間違いなくハナゴンドウであることが分かったのは、1974年、ジャックの死後、半世紀以上たってからのことでした。ジャックがいつ死んだのかについては諸説があり、正確なことは分かっていませんが、1912年4月とされています。
児童書ではありませんが、ピロウラス・ジャックについての詳しい話は「海からの使者 イルカ」(藤原英司著 朝日新聞社 1980年)に書かれています。
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