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2016年03月15日

高級なトロが商品価値ゼロ!? 江戸時代、トロは捨てるか、畑のコヤシにしていたことが判明!

マグロといえば現代日本では「高級魚」の代名詞ですよね。とくにお寿司屋さんで提供される「トロ」は、脂肪分が特に多い「大トロ」から、「トロ」まで何種類かに区分され、「大トロ」を多く含むクロマグロが最高級品だといわれています。

日本人とマグロの付き合いの歴史自体は、とても長いです。現代ではマグロは日本から遠くはなれた、インド洋などで主に捕られる魚となりましたが、古代ではマグロもしばしば沖合に紛れ込んでくることがあったようです。

縄文時代の貝塚からマグロの骨は多数見つかっていますし、726年(神亀3年)10月10日に、藤井の浦(現代の兵庫県明石市・藤江付近)で詠まれたという、マグロ漁の歌が『万葉集』に収録されてもいます。これにちなんで10月10日は「日本かつお・まぐろ漁業協同組合」が定める「マグロの日」になっています。

ところが、日本人の「マグロ愛」はいつのまにやらかなり下火になっていました。江戸時代、とくに大都市圏の人たちにとって、マグロは「下魚(げざかな)」でしかなかったのですね。つまり「下級な魚」「不味い魚」という意味です。

マグロは、現在では庶民的な魚の代名詞であるアジやサバなどよりも、下等とされました。それどころか「マグロなんてネコも嫌って食べずに、またいで通る」から、通称「ネコまたぎ」といわれるほどの酷い扱い。さらに現代では高値で取り引きされるトロなどは、なんと商品価値ゼロの部位でした!

マグロの価値がなぜ、そこまで低くなったのか……というと江戸で食べるマグロは味が悪かったからです。もちろん、それには大きな理由がありました。輸送手段が現代ほど発達していなかったのですね。さらに、冷凍技術もありませんでした。

現代でも「江戸前寿司」でのマグロは、醤油漬けにされるなど下味がつけられていますが、これも、もともとは防腐のための処置でした。しかし、トロは脂分が多いため、醤油が染みこんでくれません。だから捨てるか、畑のコヤシにでもするしかなかったのですね。「大都会のマグロ嫌い」の風習が漁村にも浸透して、彼らもいつしかマグロを好んで食べなくなってしまっていたようです。

また醤油漬けにされた赤身マグロも、江戸時代後期、場末の屋台で出されるだけという、低価格寿司の代表的なネタでした(当時の江戸では現代の寿司事情と同じように、「高級」と「お手頃」の二極化が進んでいた)。しかも、それでもマグロは食べたことはナイショにしたいほど、ジャンクすぎるネタだったのです。

ジャンクといえば、江戸時代後期〜幕末頃に江戸で考案されたというのが醤油、みりん、だし汁、臭い消しとしての酒を加えて、ねぎとトロを煮た「ねぎま鍋」という料理です。江戸時代の人は本当に脂肪分が苦手だったようですね。鍋で煮ればトロの脂肪は汁に溶けて無くなるから、口にしたときに気持ち悪さが減るよ、という発想が「ねぎま鍋」開発のウラにはあったようです。そこまでして食べたいのか……とも思いますが、江戸の貧しい庶民は、そこまで魚に飢えていたのです。

魚そのものが、輸送手段にかかる経費も上乗せされたぶん、庶民には手が届きにくい高級品扱いでしたからね。だからこそ、ゴミ扱いのトロならなんとか手に入るはず……と考えぬかれた末に、開発されたのが「ねぎま鍋」だったわけです。しかしその頃の人たちは、現代日本人がトロにこそ高い金を払って、しかも喜んで食べている姿なんて、想像すら出来なかったでしょうね。

時代が変われば、好まれる味も変わるって、ほんっとに驚きですね!
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