2017年09月17日
高野違い(こうやちがい)
八っつぁんしばらくだな
いえ、ごぶさたしちゃってね
どうしなすったよ
お前はお職人衆、あたしは隠居の身だ
気が合うってというのは不思議だな
まぁゆっくり遊んでおくれよ
今お茶でも淹れましょう
いえいえお構いなく
いいじゃないかお茶ぐらい
お茶ぐらいったって
火を沸かして湯を沸かして茶の葉っぱを入れないといけないよ
そう手数をかけちゃ悪いよ
冷やで飲めますよ酒のほうが
面白いことを言う人だ
そうそう、今度来ておくれ一杯ご馳走しようと言ったきり
お前さん留守に来て下さったそうで借りがある
お酒を今日は出そう
へぇありがとうございます
そういえば、いま横町の床屋で隠居さんの噂をしていたんですよ
あたしの噂・・・
どうせ人の噂だからろくな事じゃないだろ
それがろくな事
なんだい?ろくな事ってのは?
隠居さんって商売は良い商売だってね
あんな柔らかい着物を着て大きな家に住みうまいものを食べて
実に幸せで
ちょいと待っておくれよ
隠居の後に商売って言うのがおかしいじゃないか
隠居とは文字にすると隠れ居ると書いて隠居だ
へぇそうですかね
あたしに一人の娘がいるんだ
お前さん産んだのかい?
あたしが産んだんじゃない
おばぁさんが産んだんだ
あのばぁさんが!
今じゃないよ!
あぁそれ聞いて安心したよ
女かい?
娘だから女だよ
それでどうしたんです
片づけたんだ
邪魔だから茶箪笥のほうに
いえ、縁づけたんだよ
足の裏でぐしゃりと
それは踏んづけただよ
嫁にやったんだ
そっから月々分米が来る
いいねぇ
ぶんまいってなんです?
分ける米と書いて分米だ
へぇ分けない米はやるまいだ
やるまいってもんは無い
いいなぁ
俺も隠居しようかなぁ
どっか掛かる所があるのか
隠居さんと一緒にここで
あたしはいやだよ
大変散らかってますね
孫娘がな学校で古今集を習うんでね
百人一首を出してくれって言ったのに
出したら見もしないでどっかに遊びに行ってしまった
見せてもらってもようございますか
こっちに本になったものがあるから
札を見るより本をご覧
そうですか見せてください
これなんですか
百人一首だよ
いくら月給取るんです
なに
役人衆
役人衆じゃない
百人一つの首と書いてある
あぁ労働問題ですね
百人で一人くらいの首はしょうがない
なにを言うんだよ
百人が一首ずつ歌を詠んだんだ
素人喉自慢大会ですね
分からない人だなぁ
和歌だよ
あぁ馬鹿
さんじゅういちもじ、みそひともじ(三十一文字)
のどが渇くだろうね
三十一匁(もんめ)の味噌をひとなめにするって
どこまで間違うんだよ
本をご覧よ
これですか
へぇなるほど軽業ですね
軽業??
へぇ冠かぶったやつがひょっとこ立ちして
畳を足で持ち上げてるじゃないですか
本が逆さまだよ
あ゛ぁそうか、どうりで変だと思ったんだ
天神様すりこぎの中落ちを持ってますね
天神様じゃない天智天皇様だ
「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ我が衣手は露にぬれつつ」
へぇすりこぎの中落ち持ってるじゃないか
すりこぎ中落ちとはうまい見立てだな
蘭(あららぎ)でこしらえた胸に当てているのは笏(しゃく)だ
昔の人はうまいねぇ胸にあるから癪(しゃく)だ
腰にあれば疝気だ
疝気ってのは無い
あっここに女がいました
それが名代の小野小町と言う人だ
「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに」
こまっちゃんですか
こまっちゃんって知ってるのかい
へぇ噂には聞いていますがあったことがないです
誰があう奴がいるか
小野小町って良い女だったんですってね
古今稀なる美女だ
雨ふりを傘なしで歩いたな
なにが
びっしょ
びっしょじゃない美しい女で美女だよ
あぁ良い女は、悪い女は?
悪女だ
悪い女は悪女
おたくのおばぁさんは美女ですか悪女ですか?
そんなこと言うんじゃないよ
美女じゃないでしょ悪女でしょ
そんなこと言うとおばぁさんが怒るよ
怒ったって悪女だよ
いいかげんあくじょ〜しろ
何をいうんだい
小野小町は良い女だけどいろんなこと言うじゃないか
良い女で何でもできたら口説いた奴が大勢いるでしょ
あぁ
当ててみましょうか・・・建具屋の半公でしょ
あのくらい女を口説くやつはいない
時代が違うよ
深草少将(ふかくさのしょうしょう)という人だ
へぇうまくいかなったろ
よくわかるな
名前がよくねぇ
少々不覚だって
何を言う
いやだわよぉ〜って言って引っ叩かれた
そんなはしたない事はしないよ
小野小町のお母さんが亡くなって百日経たない
百日のものが取れるまで待ってくれって言ったな
「忘れずの元の情の千尋なる深き思いを海にたとへむ」
というお歌をそえてやった
雨の夜、霜の夜、雪の夜もいとわず小町のもとへ通う
世に言う「少将百夜(ももよ)通い」と言うのはこれだ
なぁ〜るほど汗臭いから桃湯に入ってこいってんですね
そうじゃない
百の夜と書いて百夜
五十湯が菖蒲湯、三十湯が柚子湯
湯屋の話じゃない
それでどうなりましたか?
九十九夜目に大雪のために凍えてお亡くなり
「恋しなんみはいとわねど後の世の罪つむ君の身こそ悲しき」
という呪いがましい歌を詠んで亡くなった
果せるかな小野小町という人は終わりが良くなかったな
旅の途中で行き倒れ小町となりお亡くなりになった
ざっまぁ〜みやがれって言いたいね!!
いくら女が良い女でもツーンとしてお高くとまっちゃ行けねぇ
だいたい九十九晩通ったんだから一晩くらい良いじゃねぇか
たいへん怒るな
えぇ通ってうまくいかなかったっていうと思い当たることがあるんです
おまえさんが
色っぽいじゃないか
いや綾瀬川に鯉を釣りに行ったんですよ
ひと月も通って一匹も釣れない
何を言ってる
お前のはお魚の鯉、少将は色恋
こいに上下の隔てがない
なさすぎだよ
おもしろいね
ここにいる女はなんです
赤染衛門(あかぞめえもん)
「やすらはで寝なましものをさ夜ふけてかたぶくまでの月を見しかな」
あ、ここにも女がいました
周防内侍(すおうのないし)
「春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ」
へぇ〜、いたいた!この女はなんです
右近(うこん)だよ
「忘すらるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな」
あとは男だ・・・・あっいたここに女がいました
お待ちよ
男を飛ばして女ばかり探してるじゃないか
おれは男は嫌いなんだよ
この女はなんです
紫式部(むらさきしきぶ)
「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな」
恋人を月にたとえて詠んだ歌だ
やっぱり年増は色っぽいね
いい都々逸だ
都々逸じゃない
これはなんです
変な恰好してるいろんなの
源五十四帖、桐壺にはじまり夢の浮橋に終わるんだ
へぇ面白いな
この人はなんですか
太田道灌(おおたどうかん)
「急がずば濡れざらましを旅人の後より晴るる野路の村雨」
こっちはんなんですか
鳥籠から雀が逃げ出してますね
ほうきがおったてて、流れの所に坊さんが立っているじゃないか
六玉川だよ
六玉川?
玉川っていう川の名前が日本に六つある
山城国の井出の玉川
近江国の野路の玉川
武蔵国の調布の玉川
摂津国の卯の花の玉川
陸奥国の野田の玉川
紀伊国の高野の玉川
・
一番お終いに言った高野の玉川は
高野の毒水と言って弘法様のお戒めの歌がある
「忘れても汲みやしつらん旅人の高野(こうや)の奥の玉川の水」
ちょっと待って下さいよ
前に赤染があって蘇芳(=周防)があって鬱金(=右近)があって紫があるだろ
そしてここに紺屋(こうや)があるじゃないか
ここで染めているんですね
染物屋の紺屋じゃないよ
うちの親方は大和からねこうやに行くんだよ
知らねぇで毒水を飲むといけないから注意してくらぁ
お前さんの親方ならこれくらい知っているだろう
それに今じゃない昔の話だ
それでも良いんです
親方は俺の顔を見ると「わからずや、わからずや〜」って
悔しくってしょうがないから年増の歌なんか並べて感心させてきます!
居るかね親方
誰だね
あぁわからずやか
大和からこうやに行くって言うじゃないか
行ってくるから留守を頼むぞ
行ってもいいけど飲んじゃいけませんよ
酒か?
酒じゃない水だ
のどが乾けば水ぐらい飲むだろ
そ〜こが素人の浅ましさ!
毒水だから飲んじゃいけねぇって弘法様のお戒めの歌があるじゃねぇか
なんて言うんだ?
なんて言うんだって・・・・思い出せ
お前が思い出すんだよ
忘れたな
あっ「忘れても・・」
変なところで思い出したな
「忘れても汲みやしつらん旅人の」さ
偉いえらい後は
「あとより晴るる野路の村雨」??
何を言うんだよ
それじゃ歌が二つくっついてるじゃないか
後はこう言うんだ「高野(たかの)の奥の玉川の水」だ
そうだ!
たかの奥の・・・いや「たかの」じゃない「こうやの奥の」だ
だからお前は馬鹿なんだよ
高野(こうや)と書いて「たかの」、「たかの」と書いて「こうや」と読ませる
音と訓の違いだよ「こうや」と読むと仏説になるから「たかの」ってんだ
俺が字を知らないと思って誤魔化そうったってそうはいかない
年増の女がついてるんだ
お連れさんか
中に入ってもらいなさい
そうじゃないんです色っぽい都々逸だぜ
「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな」ってどうだい
えらい!
誰が詠んだ歌だい?
あの赤・・いや鬱金・・・・
あっ鳶色式部だ
何を言ってるんだ紫式部だろ
おっとっとそこだ!
紫(むらさき)と書いて「とびいろ」、「とびいろ」と書いて「むらさき」
音と訓の違いだよ「むらさき」と読むと仏説になる
なにが仏説になるだ
紫と鳶色じゃ色が違うよ
色が・・違う訳だ
先の紺屋(=高野)が違ってたから
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