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2024年08月17日

硫黄島「日本兵1万人」が行方不明の謎



なぜ日本兵1万人が消えたままなのか
硫黄島で何が起きていたのか。


民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に
4度上陸し、日米の機密文書も
徹底調査したノンフィクション
『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』
が11刷決定と話題だ。

713w03e7iiL._AC_UL232_SR232,232_.jpg
ふだん本を読まない人にも届き
「イッキ読みした」
「熱意に胸打たれた」
「泣いた」という読者の声も
多く寄せられている。


硫黄島の遺骨収集における
「空白の15年間」
713w03e7iiL._AC_UL232_SR232,232_.jpg
硫黄島の遺骨収集は、1968年の
小笠原諸島返還を
機に本格化しましたが
その前には15年間の空白期が
ありました。

この間に、米軍による島の改変で
地下壕が破壊され、遺骨の所在が
不明確になっていました。


1968年の調査では、高野建設が作った
「日本人墓地」が発見され
多くの遺骨が収容されましたが
島の環境の変化により
以降の遺骨収集は困難を極めました。

713w03e7iiL._AC_UL232_SR232,232_.jpg
主な要因

米軍による島の改変: 飛行場建設や
ロラン局設置などにより、地下壕が
破壊された。

遺骨の所在不明: 地形の変化により
遺骨の特定が困難になった。

遺族への期待管理: 遺族に過度な期待を
持たせないよう、政府は慎重な
姿勢を示した。

結果


1969年には多くの遺骨が収容された
もののその後は年々収容数が
減少していきました。


まとめ

硫黄島の遺骨収集は、島の環境変化や
歴史的な背景により、非常に
困難な作業でした。
この「空白の15年間」が
後の遺骨収集に大きな影響を
与えたと言えるでしょう。
713w03e7iiL._AC_UL232_SR232,232_.jpg

 



タグ:硫黄島上陸
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今年76歳!!人は全く見えん、見えんって言ってくれる 好奇心旺盛、毎日が日曜日!!毎日が楽しい!!ストレスフリー 毎日家庭内運動40分 外でのウオーキング最低7000歩 健康寿命100歳が目標
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