2023年05月28日
新しい戦前は嫌だ
いろいろ古いものを振り返ると
1964年の東京オリンピック、
1970年の大阪万博、
1985年のつくば博 この辺りが日本の黄金時代だったように思う。
東京オリンピックでは、ピクトグラムの発明というより大普及。
大阪万博では、海外からの人がすごく増え、携帯電話の試作品がでてきた。何より、ソビエトとアメリカが両方参加した。
つくば博では、つくば学園都市の基礎が作られた。今もつくばは、にほんの研究拠点としては、素晴らしいと思う。
「 総量規制 」で バブルを崩壊させなかったら・・ 日本は薔薇色の現在かもしれない。
ピクトグラムについては、デザインに興味がないと知られていないかもしれないが、トイレのマークをはじめ 図形で意味を万国共通に表したもので、東京オリンピックで積極的に採用したことが普及のきっかけになっている。 https://www.fujitanet.co.jp/chiebukuro/23856
大阪万博の開会式で、最初に披露された有名がフォークソングがあります。
これは確か 一連の開会式行事での録音です。 https://youtu.be/1P_ZlBjdwnw
戦争を知らない子供たち(1970年万国博ホール実況版)
ここで、しゃべっているのは、北山修です。
のちにどこかで、しゃべっているのですが、
「 戦争が行われていることを知らなかったわけじゃない 。知らない子供たちでいたい と 」
北山修の中で、本当は知らなかったわけじゃない・・という思いがずっと残り、 北山は決着をつけるような曲を書いている。 それがこれ。 https://youtu.be/0TPN4RhrxLw
戦争を知らない子供たち '83
小沢 純 最初の 『戦争を知らない子供たち』 が、加藤和彦の作曲ではなく、杉田二郎なのは、北山修がコンサートで喋っているが、加藤和彦に笑い飛ばされたから。
Wiki に記載があった。 https://ja.wikipedia.org/.../%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%82%92...
「 僕らの時代は、戦争を知らないまま終わりたい。 新たなる戦前と表現した人もいるが、それは否定していきたい 」 と 私は思っている。