2017年06月24日
沖縄2日目その3
こんにちは(^^♪
今日は朝から快晴ですね。
気持ちが良くて1時間程散歩してきました(^^♪
お待たせしました。
では沖縄2日目その3
首里城行きましょうか(^^♪百名伽藍から走ること30分。琉球王国の総本山"首里城”に到着。
位置関係はこれで確認して下さいね。
守礼門(しゅれいもん)
1527〜55年(第二尚氏4代目尚清王(しょうせいおう)にはじめて建立され、1933年(昭和8)に国宝に指定された。しかし第二次世界大戦の沖縄戦で破壊され1958年(昭和33)に復元されたものでした。
守礼(しゅれいとは「礼節を守る」という意味だそうです。門に掲げられている額(でいいのかな?)には「守礼之邦(しゅれいのくに)」と書かれてます。これは「琉球は礼節を重んずる国である」という意味で他国に安心感を持ってもらうために建造されたものだそうです。
ちなみ二千円札の絵の門はこの守礼門です。そのため沖縄ではまだ二千円札が普通にお釣りで渡されます。
3000円のお釣りでお札2枚しかなくてえっ?と思ったら2千円札でした(笑)
上が証拠画像です(^^♪
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
1519年尚真王(しょうしんおう)の時代に建てられ、八重山の竹富島出身の西塘(にしとう)という役人が築造したものと伝えられているそうです。
琉球の石造建造物の代表的なものであり、1933年(昭和8)国宝に指定されましたが、沖縄戦で一部破壊され、1957年(昭和32)復元されました。現在、国指定重要文化財となっています。また2000年(平成12)には世界遺産へ登録されました。
琉球石灰岩で造られた建造物で、国王が外出するときに安全祈願をした礼拝所である。形は門になっているが人が通る門ではなく、いわば神への「礼拝の門」ともいうべき場所です。つまり私達庶民が通って中を見学する事等絶対に出来ない門という事ですね(^_^;)
龍樋(りゅうひ)
龍の口から湧水が湧き出していることからそのように名付けられたとの事。この水は王宮の飲料水として使われていました。しかし何より驚いたのはこの龍樋の水は、な、何と500年間一回も水が枯れた事がないそうです。500年間枯れないって想像できます?
凄すぎです!!
奉神門(ほうしんもん)
「神をうやまう門」という意味で、首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る最後の門です。1562年には石造欄干(せきぞうらんかん)が完成したという記録があることから創建はそれ以前だそうです。1754年に中国の制に倣い改修したそうですね。建物は明治末期頃に撤去されました。しかし1992年(平成4)に外観が復元されたようです(^^♪
別名「君誇御門(きみほこりうじょう)」ともいわれていました。向かって左側(北側)は「納殿(なでん)」で薬類・茶・煙草等の出納を取り扱う部屋、右側(南側)は「君誇(きみほこり)」で城内の儀式のとき等に使われたとの事です。
3つの門のうち中央は国王や中国からの冊封使(さっぽうし)等限られた身分の高い人だけが通れる門でした。それ以外の役人は両側の門から入城しました。私達庶民でも現代の今は真ん中から通って中に入ります。そう今この瞬間だけは琉球王国の偉い人です(笑)
また長くなってきたので今はここまです。また更新します。
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1527〜55年(第二尚氏4代目尚清王(しょうせいおう)にはじめて建立され、1933年(昭和8)に国宝に指定された。しかし第二次世界大戦の沖縄戦で破壊され1958年(昭和33)に復元されたものでした。
守礼(しゅれいとは「礼節を守る」という意味だそうです。門に掲げられている額(でいいのかな?)には「守礼之邦(しゅれいのくに)」と書かれてます。これは「琉球は礼節を重んずる国である」という意味で他国に安心感を持ってもらうために建造されたものだそうです。
ちなみ二千円札の絵の門はこの守礼門です。そのため沖縄ではまだ二千円札が普通にお釣りで渡されます。
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園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
1519年尚真王(しょうしんおう)の時代に建てられ、八重山の竹富島出身の西塘(にしとう)という役人が築造したものと伝えられているそうです。
琉球の石造建造物の代表的なものであり、1933年(昭和8)国宝に指定されましたが、沖縄戦で一部破壊され、1957年(昭和32)復元されました。現在、国指定重要文化財となっています。また2000年(平成12)には世界遺産へ登録されました。
琉球石灰岩で造られた建造物で、国王が外出するときに安全祈願をした礼拝所である。形は門になっているが人が通る門ではなく、いわば神への「礼拝の門」ともいうべき場所です。つまり私達庶民が通って中を見学する事等絶対に出来ない門という事ですね(^_^;)
龍樋(りゅうひ)
龍の口から湧水が湧き出していることからそのように名付けられたとの事。この水は王宮の飲料水として使われていました。しかし何より驚いたのはこの龍樋の水は、な、何と500年間一回も水が枯れた事がないそうです。500年間枯れないって想像できます?
凄すぎです!!
奉神門(ほうしんもん)
「神をうやまう門」という意味で、首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る最後の門です。1562年には石造欄干(せきぞうらんかん)が完成したという記録があることから創建はそれ以前だそうです。1754年に中国の制に倣い改修したそうですね。建物は明治末期頃に撤去されました。しかし1992年(平成4)に外観が復元されたようです(^^♪
別名「君誇御門(きみほこりうじょう)」ともいわれていました。向かって左側(北側)は「納殿(なでん)」で薬類・茶・煙草等の出納を取り扱う部屋、右側(南側)は「君誇(きみほこり)」で城内の儀式のとき等に使われたとの事です。
3つの門のうち中央は国王や中国からの冊封使(さっぽうし)等限られた身分の高い人だけが通れる門でした。それ以外の役人は両側の門から入城しました。私達庶民でも現代の今は真ん中から通って中に入ります。そう今この瞬間だけは琉球王国の偉い人です(笑)
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