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2019年01月02日

天皇陛下、最後の一般参賀に15万人



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天皇陛下、一般参賀回数を5回を7回に
平成最後の新年一般参賀が2日、皇居・宮殿で行われました。

4月末の退位を控える天皇陛下が在位中に参賀に応えられるのは最後で、平成最多だった昨年を約2万8000人上回る約15万4800人が訪れました。

皇居前広場には早朝から大勢の人が列を作りました。

天皇、皇后両陛下や皇太子、秋篠宮両ご夫妻ら皇族方が宮殿のベランダに立たれる回数は当初5回の予定でしたが、午後1時50分の5回目までに宮殿の庭に入れない参賀者が続出。
このため、両陛下の意向で急きょ2回増やして計7回行われました。回数の増加は陛下の意向だったのですね。

天皇陛下は、
「新年おめでとう。晴れ渡った空のもと、皆さんと共に新年を祝うことをまことに喜ばしく思います。本年が少しでも多くの人にとり、良い年となるよう願っています。年頭に当たり、我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」
と述べ、笑顔で手を振られました。

平成最後、そして在位最後の一般参賀
この日は両陛下にとって在位中最後の一般参賀となり、1回目の参賀には2万8000人が宮殿のベランダ前に集まりました。

この日一日で5回の参賀が予定されているが、多くの人が集まったため、9時半の開門が15分早められた。午前11時半の時点でで約6万人が皇居を訪れました。
平成に入って最も多い人が訪れ、両陛下の意向もあって回数が予定より2回、増えました。

一般参賀は午前と午後に合わせて5回、行われる予定でしたが、皇居の周辺には長蛇の列ができ、宮内庁は午後になって1回、追加しました。それでも、皇居に入りきれない人がいるのを知った両陛下が7回目を行うことを望まれたということです。

参加者からは感謝の思い
訪れた人からは、平成最後の一般参賀への思いが聞かれました。

「最後にお二人の姿をもう一度見たかった」
息子に車いすを押してもらっていた岡山市中区の野須豊子さん(81)は、両陛下が皇太子ご夫妻時代に岡山県を訪れた際に出迎えたことがあるという。一般参賀に来るのは初めて。昨年9月に西日本豪雨の見舞いで同県を訪れた両陛下に「国民のことを常に思っていただいた。お疲れさまでしたと伝えたい」と話しました。

東京都練馬区の女性会社員(39)
「天皇の仕事は誰も代わることができない大変な務め。一般参賀は国民が感謝の思いを示せる機会になったと思う」と気遣いました。

富山県氷見市の会社員、前田満さん(55)は、5月に次の天皇、皇后となる皇太子ご夫妻と同世代だ。ご夫妻を身近に感じることが多いといい、
「気負わず自分たちの考えで公務を果たしてほしい」と期待しました。

「平成生まれなので一目会いたかった」
という千葉県市川市の男性会社員(29)も初めて一般参賀に訪れた。「自分が育ってきた平成は戦争のない時代だったので、次の時代も平和が続いてほしい」と願いました。

一般参賀に訪れた人は約15万5000人で、平成に入って最多となりました。

天皇陛下のあいさつは次の通り
新年おめでとう。晴れ渡った空のもと、皆さんとともに新年を祝うことを誠にうれしく思います。本年が少しでも多くの人々にとり、良い年となるよう願っています。年頭にあたり、我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。

新年一般参賀、始まったのは1948年
新年一般参賀が始まったのは1948(昭和23)年。天皇誕生日の一般参賀(当時は4月29日)も同年から。

当初の一般参賀は1月1日と2日の両日に記帳のみ受け付け、昭和天皇は宮内庁庁舎の屋上から様子を眺めました。その後、庁舎バルコニーや特設のお立ち台で祝意に応えるようになり、69年1月から皇族方と宮殿のバルコニーに立つ現在の形式となりました。

平成の一般参賀は91年から毎年行われ、陛下が年頭のあいさつを述べられました。
皇太子妃雅子さまが結婚後に初めて参加した94年は11万1700人が集まりました。


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