2019年10月07日
アフィリエイティング、それは、、久しぶり
いつの頃からか探し求めていた。そしてながい年月が過ぎ、それを見つけた。
「自分のやること」
とてつもなく喜ばしいこと。
しかし、おろしたての雨合羽がつるりとはじく雨のように見つけたものを身体がはじく。
適切な表現は “逃げ” が正しい。頭の奥のほうへと追いやって毎日をすごす。
なぜ、見つけたかけがえのないものから逃げるのか?
答えは簡単明瞭で、それを行ってもちっとも楽しくないからだ。
「自分のやること」は、以前は「これや!って思えるやりたいこと」と表現されていて、探し始めた当初は「将来の夢」といった言葉で表わされていた。
ふらふらとした探求だが、やっと見つけたときには夢ではなく自分のやることといった形で見つかった。ここには “生きていくために” と修飾語がつく。
その見つけたもの。アフィリエイティング。
“夢" とか “これや!”といえば、寝食を忘れ没頭してしまう楽しいもので違いない。つよく思いこんでいた。
残念なことに、幾度かあったエイティングの機会でごはんを食べ忘れたことは一度もない。
心の奥底から切望していたものだ、そんなはずあるわけない。
食べ過ぎと眠くてたまらないシーンが思い返すスクリーンに映し出され、笑いがこぼれる。オレは野比氏よりはやく寝ることができる。
卒業間際の教室、間もなく訪れる中学生活に期待と不安を感じながらしたためる卒業文集「将来のゆめ」。
自分をのぞいて皆ふつうに持っていた。他にも誰かいたかもしれないが、夢がないことを話し出す勇気がなかったからか話し合った記憶はない。
あのとき、適当なことを書いた。
ずいぶんかかったが、そこにはっきりと書き込むことができるものを見つけたのだ。しっかりと向き合いたいし、できれば楽しく、
そしてがっちりとつかみたい。
しかし、どうすればアフィリエイティングが寝食を忘れるほどのものになるのか、、、
"楽しい" をつかむため、ありとあらゆる工夫を凝らすことに全力を注ぐべきか。
それとも、夢とは5分も向き合えば眠くなる楽しいとはほど遠いものだと、もやっとした感覚を気にせず淡々とか粛々といったふうにエイティングするべきか。
その両方をからめつつ、、、
そんな文章を書いているいま、再びアフィリエイティングと向き合いだした。
てか、そもそもこのアフィだかティングだかは探し求めてたものなのか?
まさか、6ヶ月の月日が流れてる。
追記
文章中に「魔法瓶」をいれるのを忘れた。(久しぶりだし、ドンマイ!)
「少し肌寒くなった秋の夜、魔法瓶でいれたコーヒーの香りが漂う」とどこかに書き込むかなと思ったけれど、、
タグ:エッセイ
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