2015年07月08日
AKB48
AKB48(エーケービー フォーティエイト)は、日本の女性アイドルグループ。秋元康のプロデュースにより、2005年12月8日に誕生した。
東京・秋葉原(東京都千代田区外神田)に専用劇場「AKB48劇場」(エーケービーフォーティエイトシアター)を持ち、「会いに行けるアイドル」をコンセプトとしてチームごとに日替わりで、ほぼ毎日公演を行うことを特徴としている。マスメディアを通しての遠い存在であったアイドルではなく、身近に感じられる存在であり、その成長していく過程をファンに見てもらい、ともに成長していくアイドルということである。
その一方で、2009年頃からテレビ番組出演の増加などにより、「マスメディアで見かけるアイドル」にもなって知名度も上がり、さらに発表するCDの売り上げが次々と1位を記録したことにより、マスメディアから「国民的アイドル」と呼ばれる存在になっている。
特徴として非常に大勢のメンバーが在籍している。「AKB48」というグループ名から、メンバー数は48人であると誤解されることがあるが、実際は正規メンバーと研究生を合わせて100人超える大所帯で、ギネス世界記録に認定されている。
2015年現在、姉妹グループとして日本国内にSKE48・NMB48・HKT48、日本国外にJKT48・SNH48があり、姉妹グループの総称として「AKB48グループ」・「AKBグループ」・「48グループ」とも称されている。詳しくは#姉妹プロジェクトを参照のこと。
2005年12月8日、AKB48劇場で初公演を行い(初公演の一般入場者は7名)、2006年2月1日にシングル「桜の花びらたち」でインディーズデビュー。同年10月25日にシングル「会いたかった」でデフスターレコーズからメジャーデビュー。2007年にはいわゆる「アキバ枠」で「第58回NHK紅白歌合戦」に出場するものの、当時は「秋葉原のオタク向けアイドル」というイメージが強かったこともあり、世間の関心は薄かった。
2008年1月に地上波テレビ初の冠番組『AKB1じ59ふん!』の放送が開始される。レーベルを移籍して、同年10月にキングレコード(You, Be Cool!)から発売した10thシングル「大声ダイヤモンド」から徐々にCD売り上げが増え始める。2009年には、14thシングル「RIVER」で初のオリコンウィークリーチャート1位を獲得すると、その後発表する曲で次々と1位を獲得し、マスメディアから「AKB現象」「国民的アイドル」と呼ばれるようになる。2010年8月の17thシングル「ヘビーローテーション」は、シングルの連続初動売上50万枚突破やオリコン登場週数120週、オリコン週間カラオケチャート48週連続1位などの記録を残している。2011年には22ndシングル「フライングゲット」で、2012年には26thシングル「真夏のSounds good !」で日本レコード大賞を受賞している。また日本ゴールドディスク大賞でも、2011年から3年連続で「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」(邦楽部門)を受賞している。CD総売り上げは、2011年10月に23rdシングル「風は吹いている」で1000万枚突破、2013年3月に28thシングル「UZA」で2000万枚突破(発売は2012年10月)、2014年3月に35thシングル「前しか向かねえ」で3000万枚突破を記録(女性グループで初、ソロを含めた女性アーティストで5組目)、21世紀にCDデビューした日本のアーティストでは最高売上を記録している。
2005年のチームAのデビュー公演では、入場者72人のうち一般の観客は7人だった(65人が関係者)が、約2か月後の2月4日には初の満員(定員250名)を記録している。同年4月にはチームKの初公演が行われ満員となるが、3日目には半減するなど、紆余曲折を経ることとなる。2009年1月には、劇場公演のオンデマンド配信を開始している。劇場公演で最も高い応募倍率は、2012年8月27日に行われた前田敦子卒業公演の916倍となっている。劇場外では、2006年11月に日本青年館で初のコンサートを開催、2007年3月 - 4月には東京・名古屋・福岡・大阪を巡る全国ツアーを開催、2008年9月には中華人民共和国・北京で行われた文化交流行事のなかで、チームBが日本国外初のライブを行っている。
2009年6月 - 7月には、シングル選抜メンバーを決める『第1回選抜総選挙』を実施、以降毎年開催している。2012年からは、地上波でのテレビ中継が行われている。翌2010年9月には、同じくシングル選抜メンバーを決める『第1回選抜じゃんけん大会』を実施、これも以降毎年開催している。さらに2011年1月には、AKB48初のドキュンタリー映画『DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?』が公開となった。一方、同年3月の東日本大震災後に、チャリティー活動として「誰かのために」プロジェクトを開始している。
2008年夏のSKE48を皮切りにSDN48、NMB48、HKT48、JKT48、SNH48、NGT48と姉妹グループが順に結成され、AKB48グループが形成されている。
2011年6月にはチーム4が、チームB[注 2]以来4年半ぶりの新チームとして発足した。2014年4月にはチーム8が発足する。他のチームと異なりトヨタ自動車のサポートを受け、メンバーは各都道府県別のオーディションにより、それぞれの代表という形式をとっている。
大規模コンサートについては、2011年7月に西武ドームでAKB48グループで開催して以降、2012年3月にはさいたまスーパーアリーナ、同年8月には東京ドーム、2013年6月には横浜日産スタジアム、2013年7月 - 8月には全国5大ドームツアーコンサートを開催している。また2014年3月には国立霞ヶ丘陸上競技場でAKB48単独コンサートを開催、同年6月には味の素スタジアムでAKB48グループコンサートを開催、同年8月には東京ドームで初のAKB48単独コンサートも行っている。
メンバー構成は、不定期で行われるオーディションで研究生として加入し、適時正規チームへの昇格人事が行われる一方で、不定期に卒業者も出るなど大人数グループであるため流動的である。チームの体制は、2010年に初めて「組閣」と呼ばれるAKB48内で大規模なチーム再編が行われて以降、2012年の2回目はAKB48と姉妹グループとの間で数名の兼任と海外移籍を含む再編、2014年の3回目は姉妹グループ全体での兼任・移籍と乃木坂46からの兼任を含む再編(#編組略史参照)、2015年の4回目は姉妹グループの兼任解除を含む変更およびNGT48新設に伴う移籍・兼任が行われている。
AKB48は、「テレビやコンサート会場でしか会うことができない」という従来のアイドルの固定観念を根底から覆し、結成以来「会いにいけるアイドル」のコンセプトのもと、専用劇場での高頻度の公演・徹底したファンサービス(握手会・写メ会や公演終了後のハイタッチサービス等)でアイドルとファンとの距離を縮め、アイドルをより身近な存在にする取り組みを継続して行っている。なお、メンバー間およびメンバー以外とは恋愛禁止とされている(厳密には片想いはOKだが、両想いは厳禁とされる)。
専用劇場(後述)で行われるコンサートは全て「公演」と銘打っており(「ライブ」「コンサート」と呼称されることはない)、2014年現在でもグループ活動の肝となっている。公演は全てオリジナル曲で行われ、オリジナル曲の数は2013年11月22日時点で、AKB48単独で401曲、AKB48グループ全体では914曲となる。一部の楽曲を除き、総合プロデューサーの秋元康が作詞を行っている。秋元康は1回の公演につき1000曲以上のデモテープを集め、何日もかけてそれを聴きながら使用する曲を選んでいる。
グループ名のAKBは、ホームグラウンドが位置する秋葉原(あきはばら、AKIHABARA)または、秋葉原の俗称の秋葉(あきば、AKIBA)に由来するものである。当初募集告知をした際には、「秋葉原48プロジェクト」と銘打っており、NTTドコモとのメンバー募集タイアップCMなどを始め、インディーズデビュー当時の各種メディアでは「Akihabara48」とされていたこともあるが、「AKB48」とだけ表記された簡素なロゴマークに自らがアイデンティティを拘束される形となり、後にグループ名も「AKB(エーケービー)48(フォーティエイト)」に統一された。なお、AKB48は株式会社AKSの登録商標である。
48の由来は、秋元康曰く「『おニャン子』とか、何か単語が入ると、古くなるので、商品開発番号みたいな無機質なものにしたい」。その名の通り正規メンバーが48人程度(メンバーの加入・脱退などの都合により多少の変動はある)で活動していた時期が長くあった。初期の構想では1軍24人+2軍24人の計48人というものだった。戸賀崎智信は、結成当初の所属事務所であるoffice48の社長(芝幸太郎)の好きな数字が48(シバ、本人の名字である「芝」に由来する)であったため、50人程度のグループをつくるなら48人にしてくださいと言われたと述べている。
「AKB48」という名称は、姉妹ユニットなどを含める場合と含めない場合がある。AKB48にはこれまでに多くの姉妹ユニットや派生ユニットが生まれている。プロジェクトの拡大により、「AKB48」は主に以下の3つの意味で用いられることが多い。
1.秋葉原を拠点に活動するAKB48のみを指す。姉妹ユニットと併記されて用いられる場合が多い。
2.1に加えて、国内の姉妹ユニットであるSKE48(、SDN48)、NMB48、HKT48や派生ユニットを含める。
3.2に加えて、日本国外の姉妹ユニットであるJKT48・SNH48などを含める。
2および3の括りは、「AKB48グループ」、「AKBグループ」または、「48グループ」と呼ばれることもある。
大人数グループのため、CDを発売する際には選抜メンバーが招集される。この他にも企画に合わせたユニットやAKB48の活動とは独立したユニットを結成して活動することがある。
日本国内に4つ、日本国外に2つのユニットを擁するAKB48グループならではの制度として、兼任・移籍制度がある。兼任とは、所属元ユニットに在籍して活動しながら、兼任先ユニットのメンバーとしても活動することである。したがって、会社の人事異動でいう出向とは異なる形態といえる。一方で移籍とは、所属元ユニットの籍を離れ、移籍先ユニットに所属して活動することであり、会社の人事異動でいう関連会社への転籍に近い形態である。AKB48グループ内での異動となる。特殊な形態ではあるが、2014年には、AKB48グループと乃木坂46相互間の兼任も行われ、2015年に兼任が解除されている。松井玲奈と生駒里奈のふたりである。また組閣等により、兼任の解除や兼任先の変更の他、兼任先ユニットにそのまま移籍となったメンバーもいる。
メンバーには、特に初期に加入した者を中心に「AKB48は一つの通過点」という認識を持つ者が多い。そのすべてが歌手を目指しているわけではなく、女優・ファッションモデルなど志望する職業は様々である。一方で歌手や女優などへのステップではなく、元メンバーの佐藤亜美菜(4期)以降には「AKB48での活動」自体を明確に目標としている者も現れる。AKB48としては、公式ブログの前タイトルが示していたように、東京ドームでのコンサート実現を目標に置いていたが、この目標は、2012年8月24日から8月26日に開催された『AKB48 in TOKYO DOME 〜1830mの夢〜』で達成された。発足当初は、メジャーデビューを目標にしていた。目標達成により公式ブログも『 〜1830mから〜』にタイトルが変更された。
東京・秋葉原(東京都千代田区外神田)に専用劇場「AKB48劇場」(エーケービーフォーティエイトシアター)を持ち、「会いに行けるアイドル」をコンセプトとしてチームごとに日替わりで、ほぼ毎日公演を行うことを特徴としている。マスメディアを通しての遠い存在であったアイドルではなく、身近に感じられる存在であり、その成長していく過程をファンに見てもらい、ともに成長していくアイドルということである。
その一方で、2009年頃からテレビ番組出演の増加などにより、「マスメディアで見かけるアイドル」にもなって知名度も上がり、さらに発表するCDの売り上げが次々と1位を記録したことにより、マスメディアから「国民的アイドル」と呼ばれる存在になっている。
特徴として非常に大勢のメンバーが在籍している。「AKB48」というグループ名から、メンバー数は48人であると誤解されることがあるが、実際は正規メンバーと研究生を合わせて100人超える大所帯で、ギネス世界記録に認定されている。
2015年現在、姉妹グループとして日本国内にSKE48・NMB48・HKT48、日本国外にJKT48・SNH48があり、姉妹グループの総称として「AKB48グループ」・「AKBグループ」・「48グループ」とも称されている。詳しくは#姉妹プロジェクトを参照のこと。
2005年12月8日、AKB48劇場で初公演を行い(初公演の一般入場者は7名)、2006年2月1日にシングル「桜の花びらたち」でインディーズデビュー。同年10月25日にシングル「会いたかった」でデフスターレコーズからメジャーデビュー。2007年にはいわゆる「アキバ枠」で「第58回NHK紅白歌合戦」に出場するものの、当時は「秋葉原のオタク向けアイドル」というイメージが強かったこともあり、世間の関心は薄かった。
2008年1月に地上波テレビ初の冠番組『AKB1じ59ふん!』の放送が開始される。レーベルを移籍して、同年10月にキングレコード(You, Be Cool!)から発売した10thシングル「大声ダイヤモンド」から徐々にCD売り上げが増え始める。2009年には、14thシングル「RIVER」で初のオリコンウィークリーチャート1位を獲得すると、その後発表する曲で次々と1位を獲得し、マスメディアから「AKB現象」「国民的アイドル」と呼ばれるようになる。2010年8月の17thシングル「ヘビーローテーション」は、シングルの連続初動売上50万枚突破やオリコン登場週数120週、オリコン週間カラオケチャート48週連続1位などの記録を残している。2011年には22ndシングル「フライングゲット」で、2012年には26thシングル「真夏のSounds good !」で日本レコード大賞を受賞している。また日本ゴールドディスク大賞でも、2011年から3年連続で「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」(邦楽部門)を受賞している。CD総売り上げは、2011年10月に23rdシングル「風は吹いている」で1000万枚突破、2013年3月に28thシングル「UZA」で2000万枚突破(発売は2012年10月)、2014年3月に35thシングル「前しか向かねえ」で3000万枚突破を記録(女性グループで初、ソロを含めた女性アーティストで5組目)、21世紀にCDデビューした日本のアーティストでは最高売上を記録している。
2005年のチームAのデビュー公演では、入場者72人のうち一般の観客は7人だった(65人が関係者)が、約2か月後の2月4日には初の満員(定員250名)を記録している。同年4月にはチームKの初公演が行われ満員となるが、3日目には半減するなど、紆余曲折を経ることとなる。2009年1月には、劇場公演のオンデマンド配信を開始している。劇場公演で最も高い応募倍率は、2012年8月27日に行われた前田敦子卒業公演の916倍となっている。劇場外では、2006年11月に日本青年館で初のコンサートを開催、2007年3月 - 4月には東京・名古屋・福岡・大阪を巡る全国ツアーを開催、2008年9月には中華人民共和国・北京で行われた文化交流行事のなかで、チームBが日本国外初のライブを行っている。
2009年6月 - 7月には、シングル選抜メンバーを決める『第1回選抜総選挙』を実施、以降毎年開催している。2012年からは、地上波でのテレビ中継が行われている。翌2010年9月には、同じくシングル選抜メンバーを決める『第1回選抜じゃんけん大会』を実施、これも以降毎年開催している。さらに2011年1月には、AKB48初のドキュンタリー映画『DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?』が公開となった。一方、同年3月の東日本大震災後に、チャリティー活動として「誰かのために」プロジェクトを開始している。
2008年夏のSKE48を皮切りにSDN48、NMB48、HKT48、JKT48、SNH48、NGT48と姉妹グループが順に結成され、AKB48グループが形成されている。
2011年6月にはチーム4が、チームB[注 2]以来4年半ぶりの新チームとして発足した。2014年4月にはチーム8が発足する。他のチームと異なりトヨタ自動車のサポートを受け、メンバーは各都道府県別のオーディションにより、それぞれの代表という形式をとっている。
大規模コンサートについては、2011年7月に西武ドームでAKB48グループで開催して以降、2012年3月にはさいたまスーパーアリーナ、同年8月には東京ドーム、2013年6月には横浜日産スタジアム、2013年7月 - 8月には全国5大ドームツアーコンサートを開催している。また2014年3月には国立霞ヶ丘陸上競技場でAKB48単独コンサートを開催、同年6月には味の素スタジアムでAKB48グループコンサートを開催、同年8月には東京ドームで初のAKB48単独コンサートも行っている。
メンバー構成は、不定期で行われるオーディションで研究生として加入し、適時正規チームへの昇格人事が行われる一方で、不定期に卒業者も出るなど大人数グループであるため流動的である。チームの体制は、2010年に初めて「組閣」と呼ばれるAKB48内で大規模なチーム再編が行われて以降、2012年の2回目はAKB48と姉妹グループとの間で数名の兼任と海外移籍を含む再編、2014年の3回目は姉妹グループ全体での兼任・移籍と乃木坂46からの兼任を含む再編(#編組略史参照)、2015年の4回目は姉妹グループの兼任解除を含む変更およびNGT48新設に伴う移籍・兼任が行われている。
AKB48は、「テレビやコンサート会場でしか会うことができない」という従来のアイドルの固定観念を根底から覆し、結成以来「会いにいけるアイドル」のコンセプトのもと、専用劇場での高頻度の公演・徹底したファンサービス(握手会・写メ会や公演終了後のハイタッチサービス等)でアイドルとファンとの距離を縮め、アイドルをより身近な存在にする取り組みを継続して行っている。なお、メンバー間およびメンバー以外とは恋愛禁止とされている(厳密には片想いはOKだが、両想いは厳禁とされる)。
専用劇場(後述)で行われるコンサートは全て「公演」と銘打っており(「ライブ」「コンサート」と呼称されることはない)、2014年現在でもグループ活動の肝となっている。公演は全てオリジナル曲で行われ、オリジナル曲の数は2013年11月22日時点で、AKB48単独で401曲、AKB48グループ全体では914曲となる。一部の楽曲を除き、総合プロデューサーの秋元康が作詞を行っている。秋元康は1回の公演につき1000曲以上のデモテープを集め、何日もかけてそれを聴きながら使用する曲を選んでいる。
グループ名のAKBは、ホームグラウンドが位置する秋葉原(あきはばら、AKIHABARA)または、秋葉原の俗称の秋葉(あきば、AKIBA)に由来するものである。当初募集告知をした際には、「秋葉原48プロジェクト」と銘打っており、NTTドコモとのメンバー募集タイアップCMなどを始め、インディーズデビュー当時の各種メディアでは「Akihabara48」とされていたこともあるが、「AKB48」とだけ表記された簡素なロゴマークに自らがアイデンティティを拘束される形となり、後にグループ名も「AKB(エーケービー)48(フォーティエイト)」に統一された。なお、AKB48は株式会社AKSの登録商標である。
48の由来は、秋元康曰く「『おニャン子』とか、何か単語が入ると、古くなるので、商品開発番号みたいな無機質なものにしたい」。その名の通り正規メンバーが48人程度(メンバーの加入・脱退などの都合により多少の変動はある)で活動していた時期が長くあった。初期の構想では1軍24人+2軍24人の計48人というものだった。戸賀崎智信は、結成当初の所属事務所であるoffice48の社長(芝幸太郎)の好きな数字が48(シバ、本人の名字である「芝」に由来する)であったため、50人程度のグループをつくるなら48人にしてくださいと言われたと述べている。
「AKB48」という名称は、姉妹ユニットなどを含める場合と含めない場合がある。AKB48にはこれまでに多くの姉妹ユニットや派生ユニットが生まれている。プロジェクトの拡大により、「AKB48」は主に以下の3つの意味で用いられることが多い。
1.秋葉原を拠点に活動するAKB48のみを指す。姉妹ユニットと併記されて用いられる場合が多い。
2.1に加えて、国内の姉妹ユニットであるSKE48(、SDN48)、NMB48、HKT48や派生ユニットを含める。
3.2に加えて、日本国外の姉妹ユニットであるJKT48・SNH48などを含める。
2および3の括りは、「AKB48グループ」、「AKBグループ」または、「48グループ」と呼ばれることもある。
大人数グループのため、CDを発売する際には選抜メンバーが招集される。この他にも企画に合わせたユニットやAKB48の活動とは独立したユニットを結成して活動することがある。
日本国内に4つ、日本国外に2つのユニットを擁するAKB48グループならではの制度として、兼任・移籍制度がある。兼任とは、所属元ユニットに在籍して活動しながら、兼任先ユニットのメンバーとしても活動することである。したがって、会社の人事異動でいう出向とは異なる形態といえる。一方で移籍とは、所属元ユニットの籍を離れ、移籍先ユニットに所属して活動することであり、会社の人事異動でいう関連会社への転籍に近い形態である。AKB48グループ内での異動となる。特殊な形態ではあるが、2014年には、AKB48グループと乃木坂46相互間の兼任も行われ、2015年に兼任が解除されている。松井玲奈と生駒里奈のふたりである。また組閣等により、兼任の解除や兼任先の変更の他、兼任先ユニットにそのまま移籍となったメンバーもいる。
メンバーには、特に初期に加入した者を中心に「AKB48は一つの通過点」という認識を持つ者が多い。そのすべてが歌手を目指しているわけではなく、女優・ファッションモデルなど志望する職業は様々である。一方で歌手や女優などへのステップではなく、元メンバーの佐藤亜美菜(4期)以降には「AKB48での活動」自体を明確に目標としている者も現れる。AKB48としては、公式ブログの前タイトルが示していたように、東京ドームでのコンサート実現を目標に置いていたが、この目標は、2012年8月24日から8月26日に開催された『AKB48 in TOKYO DOME 〜1830mの夢〜』で達成された。発足当初は、メジャーデビューを目標にしていた。目標達成により公式ブログも『 〜1830mから〜』にタイトルが変更された。
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