2016年01月06日
ソフトウェア・グラフィティ
毎年正月は、ブックオフで20%引きで本が買えるため、
本を物色しては、乱読をして過ごすことが多い。
今年も、何冊か購入してその第1弾。
内容は、日本のコンピュータ産業の黎明期から活躍された岸田孝一さんのソフトウェアエッセー集といったところ。岸田孝一さんについては、こういった本で過去読んだことがあったが、
自ら語られた内容の本は初めて読んだ。内容は哲学的なものも含んでいて、難しい部分もあるが、語り口が人柄もあるだろうが、良い意味で嫌味ではなく、上から目線の説教臭さもないので、読んでて面白い。印象に残ったところとしては、
(※囲み部分は本書からの引用。見出しは、私が勝手につけている)
「ソフトウェアは、(かたちのないかたち)をもっている」という立場をとり、「無形労働」という表現が使われている。
見えないものを形にするという点で、美術とソフトウェアとの共通点について言及している。下記は
美術家のパウロ・クレーという人の言葉を引用し、
若い時に演劇をやっていたようで、演劇活動とソフトウェア開発活動との共通点について言及している。
以前、下記の本で、ソフトウェア開発とハリウッド映画製作についての共通点を読んだことがあったので、
それと似ていて、面白い。こういった感覚は万国共通といったところか。
普段何気に、使っているウォータフォール・モデルについて、よく引用される
「Managing the Development of Large Software Systems」についての、正確な解釈についても書かれている。
※上記と同様の認識について、書かれているようだ。
「ウォーターフォールモデルの起源に関する考察 ウォーターフォールに関する誤解を解く」
http://barrel.ih.otaru-uc.ac.jp/bitstream/10252/5163/1/ER_64(1)_105-135.pdf
会社でも、とかく生産性の向上活動のようなものが行われるが、
それについても、書いてあって参考になる。
下記は、Unix導入の創世記にまつわるあるプロジェクト運営方針についてのもの。
この発想をある国際的な講演で発表し、
組織を運営していくうえでの、オープンマインドの重要性について。
自分自身を常に客観視する必要性について。大学生との討論会を実施した際に、
せっかく、育てた人が会社を去っていくことに対して、なぜ引き止めないかについて、
人材育成や今後のことについて。
自分なんかの凡人とは、考えの次元が違うので、語るに値しないが、参考になる本だった。
本を物色しては、乱読をして過ごすことが多い。
今年も、何冊か購入してその第1弾。
内容は、日本のコンピュータ産業の黎明期から活躍された岸田孝一さんのソフトウェアエッセー集といったところ。岸田孝一さんについては、こういった本で過去読んだことがあったが、
自ら語られた内容の本は初めて読んだ。内容は哲学的なものも含んでいて、難しい部分もあるが、語り口が人柄もあるだろうが、良い意味で嫌味ではなく、上から目線の説教臭さもないので、読んでて面白い。印象に残ったところとしては、
(※囲み部分は本書からの引用。見出しは、私が勝手につけている)
ソフトウェア論
「ソフトウェアは、(かたちのないかたち)をもっている」という立場をとり、「無形労働」という表現が使われている。
見えないものを形にするという点で、美術とソフトウェアとの共通点について言及している。下記は
美術家のパウロ・クレーという人の言葉を引用し、
「美術とは、目に見えるものを再現するのではない。見えないものを目に見えるようにするのである。」この言葉を背景とするクレーの講義は、のちにソフトウェアの世界に足を踏み入れて、「目に見えない」ソフトウェアを相手にしたとき、大いに役に立ったものである。
ソフトウェア開発論
若い時に演劇をやっていたようで、演劇活動とソフトウェア開発活動との共通点について言及している。
会社でのソフトウェア開発プロジェクトの企画や運営が演劇活動に代わる機能を果たしてくれたように思う。開発システムの仕様書がシナリオにあたる。役者たち(プログラマ)のキャスティングを決め、それぞれの演技(開発活動)をうまく、取りまとめて、顧客(ユーザー)の満足を勝ち取るという形である。
以前、下記の本で、ソフトウェア開発とハリウッド映画製作についての共通点を読んだことがあったので、
それと似ていて、面白い。こういった感覚は万国共通といったところか。
論文「Managing the Development of Large Software Systems」
普段何気に、使っているウォータフォール・モデルについて、よく引用される
「Managing the Development of Large Software Systems」についての、正確な解釈についても書かれている。
この会議での収穫は世界のソフトウェアコミュニティにウォータフォール型プロセスモデルの概念を紹介したウィンストン・ロイスの論文"Managing the Development of Large Software Systems"の発表を聴いたことであった。
この論文は、ウォータフォール・モデルの概念を推奨したものだと世の中では、みなされているが、それは大きな誤解である。原論文を読めばわかることだが、ロイスがハード・ソフトを複合した大規模システム開発における自身の経験に基づいて、主張したのは、軍や政府との契約にしたがって行われるハードウェア・システムの開発に利用されるウォータフォール型のプロセスモデルは、ソフトウェアシステムの開発にはうまく適用できないという事実の指摘だったのである。
この論文は、ウォータフォール・モデルの概念を推奨したものだと世の中では、みなされているが、それは大きな誤解である。原論文を読めばわかることだが、ロイスがハード・ソフトを複合した大規模システム開発における自身の経験に基づいて、主張したのは、軍や政府との契約にしたがって行われるハードウェア・システムの開発に利用されるウォータフォール型のプロセスモデルは、ソフトウェアシステムの開発にはうまく適用できないという事実の指摘だったのである。
※上記と同様の認識について、書かれているようだ。
「ウォーターフォールモデルの起源に関する考察 ウォーターフォールに関する誤解を解く」
http://barrel.ih.otaru-uc.ac.jp/bitstream/10252/5163/1/ER_64(1)_105-135.pdf
仕事観
会社でも、とかく生産性の向上活動のようなものが行われるが、
それについても、書いてあって参考になる。
われわれの行動原理は、とにかくまず楽しい仕事をしたい。そして、第2に自分の好きなことをしたい。この2点に尽きると思います。何が面白くて、プログラマをやっているかといえば、決してお金儲けが目的ではありません。ただ、お金を儲けたいだけなら、ほかにもっと楽な道がたくさんある。プログラミングという仕事は、ときに徹夜作業が続いたりして、つらいこと苦しいこともありますが、それでも自分のやりたいこと、あるいは趣味にあっていることだ。そういう人間が、開発環境という自分の仕事のための道具立てを改善しようとするさいの本音は、要するにみんなが、そして特に自分自身が楽しく好きなことをできるようにしようということにつきるでしょう。
そうすれば、結果として、生産性の向上や品質の改善は自動的についてくる。そうでなければおかしい。
逆に、生産性向上や品質改善を第一義の目的にしてしまうと、楽しくないことを好きでないこともやらなければならなくなります。そういう環境づくりはたいていうまくいきません。例えば、「ソフトウェア・ファクトリー」なんていう考え方がありますが、これはたとえてみれば、どうやって駅弁を安く早く作るかを目指したものです。料理人にとってはあまり楽しい仕掛けではありません。
そうすれば、結果として、生産性の向上や品質の改善は自動的についてくる。そうでなければおかしい。
逆に、生産性向上や品質改善を第一義の目的にしてしまうと、楽しくないことを好きでないこともやらなければならなくなります。そういう環境づくりはたいていうまくいきません。例えば、「ソフトウェア・ファクトリー」なんていう考え方がありますが、これはたとえてみれば、どうやって駅弁を安く早く作るかを目指したものです。料理人にとってはあまり楽しい仕掛けではありません。
下記は、Unix導入の創世記にまつわるあるプロジェクト運営方針についてのもの。
「プログラマたちの遊園地を」という発想だった。旧来の大型パッケージツールの考え方を捨てて、小さな単機能ツールを自在に組み合わせて自分たちの仕事を支援する環境を構成するというUnixの考え方に慣れ親しむためには、プログラマたちにまずはそうした仕掛けの楽しさを自分で体験してもらう必要がある。
この発想をある国際的な講演で発表し、
「遊園地の思想」について、語ったのだが、後日きいたところでは、私の講演を聴いたドイツの研究者が「日本恐るべし」という感想をいただいたとのことであった。
組織論
組織を運営していくうえでの、オープンマインドの重要性について。
技術革新のマネジメントを行う上で、1つ重要なことは、組織を閉じたものにするのではなく、つねに外部の新しい風(情報や人材、あるいは両方)が流れ込んでる来るように、オープンな窓口を維持することだといわれる。
人生観
自分自身を常に客観視する必要性について。大学生との討論会を実施した際に、
かれらが、何気なく口にする「ウチの大学」という物言いに引っかかるものを感じた。きっとこの人たちは、サラリーマンになると、「ウチの会社」うんぬんという議論を展開するのだろうなと思った。そうではなく、「この会社は」とか「この国は」という観点で、自分が所属する社会組織を他所として、見ることが必要なのにと思った。
せっかく、育てた人が会社を去っていくことに対して、なぜ引き止めないかについて、
別にだれがどこの会社で働こうと、それが世の中のためになればいいではないかというのが私の考えなのだが、組織志向の強い日本ではあまり理解されないようだ。
人材育成
人材育成や今後のことについて。
これから先のこと?なるようにしかならないでしょ。でも、今の状態では駄目だと思っている人がいる限り、何かが起きる。そういう「芽」が出てきたときに、それを皆で育てていくことが大切だと思います。
自分なんかの凡人とは、考えの次元が違うので、語るに値しないが、参考になる本だった。
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