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静岡歴史探訪 由比正雪外伝2 由比正雪には孫がいた [2019/05/09 16:24]
時は、江戸時代 将軍 徳川吉宗の世 ドドドドドドドドド おわっ、地震だー!! 叫ぶ者がおり その周りでは、キャーーーという女の悲鳴が聞こえ大人から子供まで逃げまわっている。 その後も、局所的な地震が何回も起こり人心を不安に陥れていった。 そんな中で、「世直しが始まるぞ」と叫び、いたずらに人心を惑わし煽り立てる男がいた。 この男こそ誰あろう 由比正雪の孫であった。名前を「由比軍兵衛」という。 さいとう・たかお 画 雲盗り暫平 「なまずの大王」..
静岡歴史探訪 由比正雪 その3 [2019/02/08 16:24]
静岡市ぶらぶら歩き 清水区由比 由比正雪の乱 その3 正雪は幕府の政治に対して不満がある浪人の支持を集めた。 特に正雪が幕府への仕官を断ったことで彼らの共感を呼び、正雪のもとには幕府を批判する多くの浪人が集まるようになっていった。 槍術の名手丸橋忠彌(まるばしちゅうや)、金井半兵衛、吉田勘右衛門など名だたる人物が仲間になっていった。 巷にあふれた浪人たちが罪を犯しそうな社会不安の中の慶安4年(1651年)4月、徳川家光がまだ48歳の働き盛りで病死した..
静岡歴史探訪 由比正雪その1 [2019/02/06 10:49]
静岡市ぶらぶら歩き 清水区由比 由比正雪の乱 その1 静岡市清水区由比に生まれた染物屋(紺屋)の子天才児正雪が、浪人救済の志に燃え、莫大な軍用金と大勢の剣客・豪傑を集め、徳川幕府を倒そうと企てた。世にいう慶安事件である。 由比正雪は、のちに江戸に出て楠木正成の子孫と称する軍学者楠不伝の門に入り,そのあとを継いで楠流軍学を教え,その教えをこうものは旗本,大名の家来,浪人など3000人を数えたという。 続く *参考資料:中央公論社発行 日本の歴史19巻 ..
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長い坂道を歩いてきました。「まさか」という坂も経験しました。
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