2018年03月11日
数字の「0(ゼロ)」はいつから使われているのか?
私たちが日常生活を過ごすのにあたってもはや当たり前の存在となっている数字。
その中でも「0」という概念は、数字にとっての大きな革命だった。
特殊な数字として現在様々な場面で使われている「0」であるが、具体的な起源となるとインドが起源であることは、以前から知られていたが、詳しいことは曖昧なままだった。
今回はその「0の起源の謎」について詳しくご紹介していこう。
昔0は代用数字として使われていた?
昔「0」は現在我々が考えるような数字の0とは異なった使い方をされていたのだ。
1881年、現在のパキスタンに当たるペシャ−ワル付近にあるバクシャーリ村の農民が掘り出した「バクシャーリ写本」というものがあり、1902年以来オックスフォード大学のボドリアン図書館に所蔵されている。
バクシャーリ写本は樺の樹皮に書かれた70枚の文献で構成されており数百もの0が点の形で記載されている。
しかし、その点は現在我々が考えるような数字の0とは異なり0は数字として使われる様になる前はなんと更に大きな数を作るための代用数字として用いられていた。
また、インド以外もマヤ(貝の記号を用いた物)やバビロニア(二つの楔)など、もっと古い時代の文化でにお多様な大用語が用いられていた。
代用数字の0と数字の0につながる概念
バクシャーリ写本の代用数字0は、多くの専門家を興奮させた。
なぜなら、オックスフォード大学の数学者「マーカス・デュ・ソートイ教授」によるとバクシャーリ写本は「数学の歴史の中でも最も偉大な瞬間であり数世紀後の数字としての0の概念が芽生えた種子」であるからだ。
絶対的な「無」を意味する数字としての0の概念は代数・微分積分・コンピューター科学へ至る道の礎を築いた。
因みに数字としての意味で0が初めて論じられたのはインドの天文学者「ブラフマグプタ」が、628年著した「ブラーマ・スプタ・シッダーンタ」においてである。
更に古い可能性
これまでバクシャーリ写本の年代は、その記述様式や言語によって特定を行われてきた。
そして、最近では日本の専門家が8世紀から12世紀の間に書かれたのではないかと結論づけていた。
しかし、オックフォード大学のチームが、放射性炭素年代測定法で、年代を調べたところ結果は驚くべきものだった。
実はバクシャーリ写本が単一の文献ではなく複数の文献が存在する可能性が浮上したのだ。
その研究によれば、写本はそれぞれ224〜383年、680〜779年、885〜993年の、三つの時代の書かれた文献によって構成されているというのだ。
これは0の起源を理解するうえで重要な発見となり現在も研究が進められている。
いかがだっただろうか?
普段目にすることの多い「0」であるが、実はまだまだ謎の多い数字だったのである。
これから「0」の謎を紐解いていくには写本の構成をさらに理解するための研究が必要だとのことだ。
今後の研究に期待したい。
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