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2017年12月22日

篠田英朗 映画『ダンケルク』で考える集団的自衛権の歴史

BLOGOS より

篠田英朗 映画『ダンケルク』で考える集団的自衛権の歴史

先日、映画『ダンケルク』を観ることができた。 私の場合、 なかなか映画館に行く暇もないため、 なんとか機内で観たりする。 気になっていた映画だが、 どのような評論がなされているのかは、 よく知らない。 ただ国際政治学者として、 この映画を観て、 あらためて思い直すことがある。 それは、集団的自衛権の歴史だ。 第二次世界大戦初期、 圧倒的なドイツの兵力の前に、 英仏軍は大陸で大敗北を喫し、 1940年5月末、 ドーバー海峡に近いダンクルクに、 約40万の兵力が追い詰められた。 もはや戦況の転換を望むことはできず、 撤退しかありえない。 しかしドイツはダンクルクを完全に包囲していた。 近づいた船舶も魚雷や爆撃によって 次々と撃沈されてしまう。 救出は極めて困難であった。 しかも、 イギリスが本国に温存している兵力を投入しすぎれば、 ドイツによるイギリス侵攻を不可避にしてしまう。 しかしそのうえで、イギリスは、 民間の漁船や遊覧船にも働きかけて、 ダンケルクに向かわせる。 ドイツによる攻撃を避け、 兵力の浪費を防ぎながら、 追い詰められた兵士をできるだけ救出するための 決死の奇策であった。 このダンケルク作戦は成功をおさめ、 第二次世界大戦の歴史に残る奇跡の脱出劇によって、 約33万人以上の英仏の兵力がイギリスに帰還した。 1940年5月10日に イギリス首相に就任したばかりであったチャーチルは、 大陸での軍事作戦の失敗を反省しつつ、 作戦の成功を喜び、 「新世界」の勢力、つまりアメリカが、 やがて旧世界の危機を救いに来るはずであることを述べ、 国民の士気を鼓舞した。 ダンケルクの作戦が失敗に終わっていたら、 最終的には連合軍の勝利に終わる第二次世界大戦の行方が どうなっていたかわからなかった。 島国イギリスだけでも ナチスドイツの支配から免れ続けることができたことが、 その後の戦争の帰趨に大きな意味を持った。 しかしそれにしても、 なぜドイツは、追い詰められたイギリス軍に対して、 より大規模な攻撃を仕掛けなかったのだろうか。 ノルマンディー侵攻によって イギリス軍が戻ってくることを知っていたら、 ヒトラーは兵力を集中投下する大作戦を 敢行したはずではなかったか。 正確な史実から言えば、ヒトラーは、 イギリスが戻ってくるとは思っていなかっただろう、 というよりもむしろ、 そもそもイギリスと戦争を続けるつもりがなかった。 ドイツは、ダンケルク以降、イギリス本土に対して、 しばしば奇襲的な空爆作戦を行ったが、 侵攻しようとしていた形跡はない。 西のフランスを占領し、 ヨーロッパ大陸をほぼ掌握したヒトラーは、 むしろ東のソ連に侵攻する作戦を命令することになる。 しかしヒトラーは、 なぜナポレオンの二の舞となるため 独ソ不可侵条約を結んでまで避けたかったはずの 二正面作戦となるソ連侵攻を敢行したのか。 広がり切ったドイツ帝国の領域を 維持するための資源の確保等の物質的理由はある。 だがそれにしても イギリスとの戦争を清算してからのほうがよかったはずだ。 イギリスが持ちこたえたため、 やむをえずソ連への侵攻を決断した。 これによって第二次世界大戦の行方が変わった。 ダンケルク救出劇が、その展開を用意したのだ。 そもそもヒトラーは、 イギリスと戦争などしたくはなかった。 イギリスの介入はないと読んで ポーランド侵攻したところで、 ヒトラーの誤算は始まっていた。 さらにダンケルクをめぐって イギリス海軍との大海戦などを挑まなかったのは、 双方の兵力を温存することを、 ヒトラーが認めていたことを示唆している。 日本人にはあまり知られていないが、 ダンケルクの後、 ヒトラーは中立国スウェーデンなどを通じて、 イギリスに対して和平工作の提案を行っていた。 それを無視し、 閣内で和平について語ることを禁じたのは、 チャーチルのほうであった。 ヒトラーは、 そもそも最初からイギリスと戦争をするつもりなどなく、 始まってからも戦争を終結させることを 狙い続けていたのである。 時間切れになってソ連との開戦に踏み切り、 日本の真珠湾攻撃以降、 アメリカとの戦争も強いられることになり、 結果として、最終的には大敗北を喫した。 ダンケルクの作戦を指揮し、 徹底抗戦して和平を退けながら、 ソ連とアメリカとの大同盟を作っていったチャーチルは、 まさに第二世界大戦において 最も重要な人物であり、 英雄であった。 歴史に関する大著を 何冊も持つ歴史家チャーチルは (ちなみにイギリスでは歴史学の地位が高く、政治家にも歴史学を修めた者が結構いる)、 数百年にわたるヨーロッパの歴史への洞察から、 ドイツ帝国と対決し続けなければならないことを 確信していた。 そして数多くのイギリス人がそのように信じていたため、 ポーランドが侵攻されたときに、 低地諸国(ベルギ−・オランダ)の防衛を企図して、 ドイツとの開戦を決断したのである (チャーチルが首相に就任したのは、ドイツが低地諸国への侵略を開始した日であった)。 そのとき、 イギリスの宣戦布告の法的根拠となったのが、 国際連盟における共同防衛体制であった。 チャーチルの行動は、 第一次世界大戦後の 国際法秩序の原則にもそったものであった。 しかし、当時の国際連盟は、 アメリカ、ソ連、ドイツ、日本が加入しておらず、 実態としては広範に弱小国を従えただけの 英仏同盟と変わりがなかった。 およそ普遍的な 集団安全保障などと主張できるような 代物ではなかった。 今日でいえば、ポーランド侵攻にあたり、 英仏が集団的自衛権を行使することを決断した、 ということである。 こうした史実は、第二次世界大戦以後、 個別的自衛権、集団的自衛権、集団安全保障が、 すべて一続きの安全保障構想の中で 位置づけられるべきものだとされるようになった背景を 示している。 当時、 アメリカはイギリスに強力な輸送・物資支援を提供し、 1941年には米英共同で大西洋憲章も発表して、 事実上の同盟国としてイギリスを支えた。 しかし国際連盟加盟国ではないアメリカは、 イギリスとは異なる法的地位にあった。 不戦条約を推進し、 スティムソン主義にもとづいて 日本による満州国設立を 認めない立場をとっていたアメリカだが、 戦争に参加する法的根拠は 持ち合わせていなかった。 真珠湾攻撃によってアメリカの参戦が決まった後、 チャーチルが深く安堵したということは、 広く知られている。 日本では、 アメリカのF・D・ローズベルト大統領が 日本の参戦を誘発する政策をとっていたことが、 陰謀のように語られることが多い。 国際社会主流の見方をとれば、話は逆だ。 当時、集団的自衛権が広く認められていたら、 アメリカの法的地位は変わり、 ヒトラーが計算ミスで拡張主義をとってしまうことを 抑止する大きな力になっただろう、 と考えるのが、普通である。 第二次世界大戦の結末を予期できてさえいれば、 ヒトラーは拡張政策をとらなかっただろう。 集団的自衛権があれば、 少なくともイギリスの参戦の脅威で、 いっそう大きな抑止力が働いただろう。 第二次世界大戦後、 イギリスは、アメリカと、 第二次世界大戦で守ろうとした西ヨーロッパ大陸諸国と、 国連憲章51条に明記された 集団的自衛権を法的根拠にして、NATOを結成した。 これによってドイツは、 個別的自衛権を行使せず、 集団的自衛体制の枠組みでのみ行動する国となった。 東側陣営と厳しく対峙し続けたが、 今日に至るまで70年近くにわたって、 NATO加盟欧州諸国は、内部からも外部からも、 武力攻撃されることがない、 人類史上まれに見る強力な抑止体制を築き上げた。
なぜ、日本だけが、 個別的自衛権だけが善で、 集団的自衛権は悪だ、 と信じる国になってしまったのだろうか。 外国と組めば 即戦争に巻き込まれる といった 感覚的情緒的な即断で その即断を 訳も分からず煽る人がいて 訳が分かって利用する人がいたのだろう。 誰だって戦争は避けたい。 しかしそのためには 感覚的情緒的な思考は 極めて現実的に 命取りとなる。 ヨーロッパは 数世紀に渡り 様々な理由で 様々な方法で 様々な組み合わせの戦争を経験してきた。 ヨーロッパ内の後発ドイツに 先進イギリスのチャーチルが 見事な戦略と洞察を積み重ねるのは 偶然に起こるような事ではない。 島国の日本が 感覚的に集団的自衛権と 平和を結びつけるのに時間がかかることは 理解できる。 しかし この篠田さんの文を読むと 今の日本のような 情緒感覚で平和を論じるあり方 つまり 情緒感覚で 集団的自衛権は悪だと思い込み 情緒感覚で 核を盲目的に避け続ける態度が 世界の歴史の中で見れば 本当に危うい 薄氷の上の平和のようにさえ 思えてくる。

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posted by sachi at 07:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治
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