最大の敵は「???」
最大の敵は「???」
大山総裁の言葉に
「人間にとって最も怖いのは、
飢えと孤独だ。」とあります。
これは、大山総裁が
山ごもりをした際の
経験から出た言葉と
言われています。
「飢え」は別として、
大山総裁が怖いと言った
「孤独」は単に
「さみしかった」と
言う意味では
ないと思います。
自己を高めるために、
一心不乱に何かに
取り組むときは、
自然と周りを
寄せ付けなくなっています。
そんな時間が続くと、
今まで仲が良かった人や
信頼していた人は離れ、
気が付いたら
「孤独」になっている事に
気付きます。
大山総裁は、
自己を高める修行を
進める中で気付いたら、
誰もついてこれなくなり
一人になっていた、
もう戻れなくなっていると
気付いた、
そして
孤独が大きくなると
わかっていながら
前に進むしかなかった、、
そこで「孤独は怖い」と
感じたのではないでしょうか?
「孤独」に耐え、
信念ある行動を貫いた先には
「成りたい自分」がいる
分かっている。
しかし、
ここで無くす人間関係もある・・
高みを目指し
走る人にしかわからない
苦悩だと思います。
私も、経験あります。
目標にひた走る、
そうすることが、
周りと自分のためと
思っていても、
一緒に遊ぶ時間が無くなると
いつの間にか人に離れられます。、
もとの人間関係には
戻れなくなっている。
離れる人は、たいがい
「離れた理由はアナタがこっちに
かまわないから、時間合わないから」
と言います。
そして、元の人間関係には
戻れなくなっています。
現役時代もそう、
引退し目標を定めてからもそう
空手に限らず仕事でも、、
目標に向かって一心不乱になれば
確かに人は離れます。
しかし、私は、それを
「孤独」と思わないようしました。
信念に向かって走っているときに、
離れる人は「縁がない人」です。
その人とは、
目標にひた走らなくても、
いつか別の理由で
離れるはずです。
縁がないのだから。
そして、
目標に向かって ひた走り
成りたい自分になった時、
「縁のある人」が
現れるはずです。
そう信じています。
和気あいあいとした、
友達関係では、
なぁなぁ感がついてくるため、
必死さを持てず、
結果、高みへは到達しがたい、、
しかし友達との
時間を無くすのは、
どうなんだ、、、
上級者が
高い目標に向かって走る時
必ず感じる
「孤独への恐怖」です。
仕事をしながら選手を目指す人、
学校の仲間との部活をせずに、
空手を頑張る人、
空手を頑張るがために
友達と遊ぶ時間が無くなる人、
体つくりのため、
酒の席や、友人との食事で
色々食べられず、
付き合いが悪いと言われる人、
試合があるので、
週末友人と遊べない人、
何かを真剣にやると
孤独が着いてきます。
でも、負けないで行きましょう。
私は、そうやって走って
成りたい自分になり、
皆さんと出会いました。
縁があるんだと思います。
友達関係も大事だけど、
自分を成長させるチャンスを
無くす関係は、
ただの「ダベリ」です。
「ダベリ」を優先し、
チャンスを逃す方が
後悔するのではないでしょうか?
一番タチの悪いのは、
ダベリながらなんとなく
遊び感覚でやって
頑張っていると勘違いすること。
それは、ムダな時間にしか
なりませんよ、、、
皆さんがもし、
友達と遊びたくて
さぼりたくなった時、
または、
友達となんとなく
やってればいいかな
と考え始めた時に
思い出してみて下さい。
やるか、やらないか
決めるのはアナタです。
もしやらなくても、
そこで、友達と和気あいあいと
楽しめたらそれはそれで
アナタの為になることでしょう。
しかし、友達との時間を削ることで
出来る「孤独への恐怖」を振り払い
稽古にきてくれたら、、
絶対に成長を実感できる時間を提供します。
そのために私は
孤独と戦って色んな事を
習得したのだと思います。
早田
大山総裁の言葉に
「人間にとって最も怖いのは、
飢えと孤独だ。」とあります。
これは、大山総裁が
山ごもりをした際の
経験から出た言葉と
言われています。
「飢え」は別として、
大山総裁が怖いと言った
「孤独」は単に
「さみしかった」と
言う意味では
ないと思います。
自己を高めるために、
一心不乱に何かに
取り組むときは、
自然と周りを
寄せ付けなくなっています。
そんな時間が続くと、
今まで仲が良かった人や
信頼していた人は離れ、
気が付いたら
「孤独」になっている事に
気付きます。
大山総裁は、
自己を高める修行を
進める中で気付いたら、
誰もついてこれなくなり
一人になっていた、
もう戻れなくなっていると
気付いた、
そして
孤独が大きくなると
わかっていながら
前に進むしかなかった、、
そこで「孤独は怖い」と
感じたのではないでしょうか?
「孤独」に耐え、
信念ある行動を貫いた先には
「成りたい自分」がいる
分かっている。
しかし、
ここで無くす人間関係もある・・
高みを目指し
走る人にしかわからない
苦悩だと思います。
私も、経験あります。
目標にひた走る、
そうすることが、
周りと自分のためと
思っていても、
一緒に遊ぶ時間が無くなると
いつの間にか人に離れられます。、
もとの人間関係には
戻れなくなっている。
離れる人は、たいがい
「離れた理由はアナタがこっちに
かまわないから、時間合わないから」
と言います。
そして、元の人間関係には
戻れなくなっています。
現役時代もそう、
引退し目標を定めてからもそう
空手に限らず仕事でも、、
目標に向かって一心不乱になれば
確かに人は離れます。
しかし、私は、それを
「孤独」と思わないようしました。
信念に向かって走っているときに、
離れる人は「縁がない人」です。
その人とは、
目標にひた走らなくても、
いつか別の理由で
離れるはずです。
縁がないのだから。
そして、
目標に向かって ひた走り
成りたい自分になった時、
「縁のある人」が
現れるはずです。
そう信じています。
和気あいあいとした、
友達関係では、
なぁなぁ感がついてくるため、
必死さを持てず、
結果、高みへは到達しがたい、、
しかし友達との
時間を無くすのは、
どうなんだ、、、
上級者が
高い目標に向かって走る時
必ず感じる
「孤独への恐怖」です。
仕事をしながら選手を目指す人、
学校の仲間との部活をせずに、
空手を頑張る人、
空手を頑張るがために
友達と遊ぶ時間が無くなる人、
体つくりのため、
酒の席や、友人との食事で
色々食べられず、
付き合いが悪いと言われる人、
試合があるので、
週末友人と遊べない人、
何かを真剣にやると
孤独が着いてきます。
でも、負けないで行きましょう。
私は、そうやって走って
成りたい自分になり、
皆さんと出会いました。
縁があるんだと思います。
友達関係も大事だけど、
自分を成長させるチャンスを
無くす関係は、
ただの「ダベリ」です。
「ダベリ」を優先し、
チャンスを逃す方が
後悔するのではないでしょうか?
一番タチの悪いのは、
ダベリながらなんとなく
遊び感覚でやって
頑張っていると勘違いすること。
それは、ムダな時間にしか
なりませんよ、、、
皆さんがもし、
友達と遊びたくて
さぼりたくなった時、
または、
友達となんとなく
やってればいいかな
と考え始めた時に
思い出してみて下さい。
やるか、やらないか
決めるのはアナタです。
もしやらなくても、
そこで、友達と和気あいあいと
楽しめたらそれはそれで
アナタの為になることでしょう。
しかし、友達との時間を削ることで
出来る「孤独への恐怖」を振り払い
稽古にきてくれたら、、
絶対に成長を実感できる時間を提供します。
そのために私は
孤独と戦って色んな事を
習得したのだと思います。
早田
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