「認められる」と「認めさせる」
「認められる」と「認めさせる」の違い
よく、「認められたい」と言う人がいます。
これは、自分の努力を人に高評価してもらいたい
と言う事です。
しかし、この言葉の裏には、
「出来ない自分を大目に見て欲しい」
「悪いところは見逃して、良いところだけ見て欲しい」
という心理が隠れています。
私に言わせれば、「甘え」です。
人に高評価されたいのなら、
「認められる」ではなく、「認めさせる」と
考えたほうが良いと思います。
私は、常にこう考えて「認めさせる」ために
必要な事に手を抜きません。
空手の、試合を例にとると
判定でいつも負ける、相手よりも良いところ
あったのに認めてもらえない、不公平だ・・
こういう声はよくあります。
こんなのは、簡単です。
一本勝ちすればいいんです。
だれがどう見ても勝ちという結果をだせば、
どんなに自分を認めてくれない人でも
「認めさせる」ことが出来ます。
世の中は、残念な事に 全てが平等ではありません。
中には公平でない評価を受けることも事もあります。
「人類皆平等」を理想にかかげていても、
世の中が全て平等になることはありません。
私たちや、子供たちは、
そんな中で、競争していかないとなりません。
だから、「認められたい」と裏に「甘え」があるような事
を言っているようでは、
いつまでたっても認められず、
自分が出来ない理由を、世の中のせいにしてしまう人に
なってしまいます。
絶対の「実力」で「認めさせる」と思って
行動しないと競争社会で生き残れません。
自分の評価は人が決めるもの。
だからこそ、「こう思われたい」「こうなりたい」
と思うなら、
「認めさせる」絶対の「実力」を身に付け、
発揮できないといけません。
空手の試合は、見ようによってはどちらでも勝ちに
なる場合もあります。
そんな時にもし負けたから審判に文句を言うようなことは
しないでください。
「勝ちを認めさせられなかった事」が敗因です。
一本勝ち以外は、負ける可能性が絶対にあります。
「勝ちたい」なら、一本勝ちできるために必要な
事に手を抜かないことです。
こう思っていたら、この感覚が、
将来 仕事をする上で役立ちます。
逆に言うと、この感覚がないまま大人になり
社会にでると、
大切な時に結果を出せない、
何をするにも準備不足でいつも失敗、
何でも人だより、、、
こんなことをやってしまいがちな大人になり
人に何かを期待される人材にならない
可能性が高くなります。
これが現実です。
大人になってからの修正は困難です。
子供のうちから「認めさせる」ために必要な
「実力」の身につけ方、
モノの習い方、覚えかた、発揮の仕方、
失敗にめげない粘り強さを身につけさせたいと
思っています。
私の指導は、厳しかったり、
難しい説明をしたり、地味なコツコツ型の内容
痛い・キツイ・コワイが付きまとう内容などが多いです。
これは、子供たちに先述のような感覚を
持ってもらいたいからです。
早田
よく、「認められたい」と言う人がいます。
これは、自分の努力を人に高評価してもらいたい
と言う事です。
しかし、この言葉の裏には、
「出来ない自分を大目に見て欲しい」
「悪いところは見逃して、良いところだけ見て欲しい」
という心理が隠れています。
私に言わせれば、「甘え」です。
人に高評価されたいのなら、
「認められる」ではなく、「認めさせる」と
考えたほうが良いと思います。
私は、常にこう考えて「認めさせる」ために
必要な事に手を抜きません。
空手の、試合を例にとると
判定でいつも負ける、相手よりも良いところ
あったのに認めてもらえない、不公平だ・・
こういう声はよくあります。
こんなのは、簡単です。
一本勝ちすればいいんです。
だれがどう見ても勝ちという結果をだせば、
どんなに自分を認めてくれない人でも
「認めさせる」ことが出来ます。
世の中は、残念な事に 全てが平等ではありません。
中には公平でない評価を受けることも事もあります。
「人類皆平等」を理想にかかげていても、
世の中が全て平等になることはありません。
私たちや、子供たちは、
そんな中で、競争していかないとなりません。
だから、「認められたい」と裏に「甘え」があるような事
を言っているようでは、
いつまでたっても認められず、
自分が出来ない理由を、世の中のせいにしてしまう人に
なってしまいます。
絶対の「実力」で「認めさせる」と思って
行動しないと競争社会で生き残れません。
自分の評価は人が決めるもの。
だからこそ、「こう思われたい」「こうなりたい」
と思うなら、
「認めさせる」絶対の「実力」を身に付け、
発揮できないといけません。
空手の試合は、見ようによってはどちらでも勝ちに
なる場合もあります。
そんな時にもし負けたから審判に文句を言うようなことは
しないでください。
「勝ちを認めさせられなかった事」が敗因です。
一本勝ち以外は、負ける可能性が絶対にあります。
「勝ちたい」なら、一本勝ちできるために必要な
事に手を抜かないことです。
こう思っていたら、この感覚が、
将来 仕事をする上で役立ちます。
逆に言うと、この感覚がないまま大人になり
社会にでると、
大切な時に結果を出せない、
何をするにも準備不足でいつも失敗、
何でも人だより、、、
こんなことをやってしまいがちな大人になり
人に何かを期待される人材にならない
可能性が高くなります。
これが現実です。
大人になってからの修正は困難です。
子供のうちから「認めさせる」ために必要な
「実力」の身につけ方、
モノの習い方、覚えかた、発揮の仕方、
失敗にめげない粘り強さを身につけさせたいと
思っています。
私の指導は、厳しかったり、
難しい説明をしたり、地味なコツコツ型の内容
痛い・キツイ・コワイが付きまとう内容などが多いです。
これは、子供たちに先述のような感覚を
持ってもらいたいからです。
早田
この記事へのコメント
息子は良く泣きます。泣いても前に進む行動が有れば本人をとやかく言わない様にしてます。早田先生からも止めなかった事を頑張ったと言ってもらいます。本人は泣いた事が少し恥ずかしそうですが......(笑)
私はやられて当たり前と言って聞かせます。勝ちたいのなら、泣きたく無いのなら先ず人より練習を真面目にし教えて頂いた事を難しくても(勝つ近道と考えています。)やってみる事だと言い聞かせています。頑張った人間にはどんな才能が有る人でも勝てない.......そう 早く理解して欲しいと思っています。
平等はあり得ない、でも 公平だと、そう思って欲しいものです。