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2015年08月31日
「この平和がずっと続きますように」は欺瞞!の件(=ゆずが大嫌いだ!)
はい、どうも。
・・・先日、2ちゃんねるにおけるたった一つの発言で、『物証乏しく大阪中1遺棄の山田容疑者は「殺人罪」に問えず?』のスレを発生させた、裏の火付け役の、小説家のともなりたかひろです(まぁ、「半分」は誇張ですけどね)。
ごほん。
いやぁ、それにしても、最近急に涼しくなりましたよねぇ。・・・とうとう「秋摂政」の到来かぁ、なんて思ってますけどね(いや、「冬将軍」みたいに言うなや)。
ところで、話は351度変りますけど(出た、中途半端な角度)、よくさ、「この平和がずっと続きますように」なんて、言うじゃないですか。
でも、この発言に僕は違和感があるんですよね。
だって、僕たち日本人の「生活」自体を鑑みればさ、どこが「平和」やねん!状態(それは多くの“犯罪”という形で顕在化している)だし、むしろ毎日の「生活」自体が「戦争」だと思うから。
特に、若い子なんかは、それを痛切に感じているんじゃないですかね。
若い子にとってはまず「就職」自体が「戦争」。
数少ない自分の「椅子」を確保するために、他者と争うんだからね。
しかも、その「戦争」に負けたら、「自分の人生は終った…」と絶望し、自殺しちゃう子が一定多数いるという、この事実。
あとは、――なんでもいいですよ。
「恋愛」だって、「戦争」。
「結婚」だって、「戦争」。
「子供がもてるか」だって、「戦争」(特に女性の方にとってはそうでしょう)。
「孤独死しないか」(一生他者から承認されないで死ぬかもしれない不安)だって、「戦争」。
・・・みんな「戦争」ですよ、ある意味では。
で、話は冒頭に戻るんですけど、「この平和がずっと続きますように」とか、「もう二度と戦争は起こって欲しくない」とか、安易に発言する人、いるじゃないですか?
その、外国との武力行使を伴った意味での「戦争」とか「平和」を持ち出すことによって、今国内で日夜行われている、もう一つの、僕たちの日々の生活自体の「戦争」を無意識的に「隠蔽」している「欺瞞」が、僕は気に食わないわけです。
ぶっちゃけて言ってしまえば、・・・うーん、「この平和がずっと続けばいい」とか、あるいは、「戦争反対!」と叫んでデモに参加されている方々には、「ああ、そう。デモに参加できるほど“生活”に余裕があるんだネ」という皮肉もあり、だと思う。
――だってさ、日日、手に汗して必死に働いている人たちにさ、「日本の政治がどうたら」とかさ、「世界情勢のなんたるか」なんか、語っている「余裕」なんか、ないじゃない。
だから逆に言えばさ、「この平和がずっと続けて欲しい」とかのたまっている人たちはさ、日々の「生活」という名の「戦争」の「勝利者」であって、つまり、収入も安定していて金銭の不安もなく、結婚もし、家もあり、子供もいて、まさにご自身の人生が「平和」だからこそ、「この平和がずっと続いて欲しい」なんて甘い戯言を言えるわけじゃん。
その代表的なのが、天皇陛下だけどね。
あるいは、「ゆず」みたいな、安っぽいミュージシャンとか、24時間テレビに出てるジャニーズのアイドルとかさ。
これらの人たち、・・・全然「生活」に困ってないじゃん。
「良い暮らし」してんだから、そりゃ、「平和がずっと続きますように」って言えるよね、無神経にさ。
だから、これらの人たちが、どん底まで落ちて、金も底をついたときに、以前と同じ“笑顔”で「この平和がずっと続きますように」と言えるか・どうか、だよね。
そこを考えてみれば、本当の意味での「戦争」や「平和」の「本質」がわかってくると思いますけどね、僕は。
以上です。
そう。
人間、全員が救われるわけでない。救われる人もいれば、救われない人もいる。
そんな不条理さに業を煮やしている、そこのあなたは、以下の曲をおすすめしますよ。
・・・この動画、山崎まさよしさんの名曲『One more time,one more chance』をバック・トラックにサンプリングしたポエトリーリーディング(詩の音楽的に朗読する)なんですが、先日、山崎まさよしさんがデビュー20周年ということで、僕もFacebookで山崎まさよしさん本人とコンタクト取ることができまして、で、そのとき、「山崎さんの曲を使ったポエトリーリディングの動画があるんですが、・・・できれば見てやってください!」とメッセージを送ったんですよ。
その後、山崎まさよしさんから、「視ましたよ。いい曲だと思いました」というメッセージを頂いたのです!
うれぴーっ!
というわけで、山崎まさよしさん「公認」かつ「推薦」の曲、『人はパンのみにて生くるにあらず』、じっくり聴いてくださいネ。
そんじゃ〜。
・・・先日、2ちゃんねるにおけるたった一つの発言で、『物証乏しく大阪中1遺棄の山田容疑者は「殺人罪」に問えず?』のスレを発生させた、裏の火付け役の、小説家のともなりたかひろです(まぁ、「半分」は誇張ですけどね)。
ごほん。
いやぁ、それにしても、最近急に涼しくなりましたよねぇ。・・・とうとう「秋摂政」の到来かぁ、なんて思ってますけどね(いや、「冬将軍」みたいに言うなや)。
ところで、話は351度変りますけど(出た、中途半端な角度)、よくさ、「この平和がずっと続きますように」なんて、言うじゃないですか。
でも、この発言に僕は違和感があるんですよね。
だって、僕たち日本人の「生活」自体を鑑みればさ、どこが「平和」やねん!状態(それは多くの“犯罪”という形で顕在化している)だし、むしろ毎日の「生活」自体が「戦争」だと思うから。
特に、若い子なんかは、それを痛切に感じているんじゃないですかね。
若い子にとってはまず「就職」自体が「戦争」。
数少ない自分の「椅子」を確保するために、他者と争うんだからね。
しかも、その「戦争」に負けたら、「自分の人生は終った…」と絶望し、自殺しちゃう子が一定多数いるという、この事実。
あとは、――なんでもいいですよ。
「恋愛」だって、「戦争」。
「結婚」だって、「戦争」。
「子供がもてるか」だって、「戦争」(特に女性の方にとってはそうでしょう)。
「孤独死しないか」(一生他者から承認されないで死ぬかもしれない不安)だって、「戦争」。
・・・みんな「戦争」ですよ、ある意味では。
で、話は冒頭に戻るんですけど、「この平和がずっと続きますように」とか、「もう二度と戦争は起こって欲しくない」とか、安易に発言する人、いるじゃないですか?
その、外国との武力行使を伴った意味での「戦争」とか「平和」を持ち出すことによって、今国内で日夜行われている、もう一つの、僕たちの日々の生活自体の「戦争」を無意識的に「隠蔽」している「欺瞞」が、僕は気に食わないわけです。
ぶっちゃけて言ってしまえば、・・・うーん、「この平和がずっと続けばいい」とか、あるいは、「戦争反対!」と叫んでデモに参加されている方々には、「ああ、そう。デモに参加できるほど“生活”に余裕があるんだネ」という皮肉もあり、だと思う。
――だってさ、日日、手に汗して必死に働いている人たちにさ、「日本の政治がどうたら」とかさ、「世界情勢のなんたるか」なんか、語っている「余裕」なんか、ないじゃない。
だから逆に言えばさ、「この平和がずっと続けて欲しい」とかのたまっている人たちはさ、日々の「生活」という名の「戦争」の「勝利者」であって、つまり、収入も安定していて金銭の不安もなく、結婚もし、家もあり、子供もいて、まさにご自身の人生が「平和」だからこそ、「この平和がずっと続いて欲しい」なんて甘い戯言を言えるわけじゃん。
その代表的なのが、天皇陛下だけどね。
あるいは、「ゆず」みたいな、安っぽいミュージシャンとか、24時間テレビに出てるジャニーズのアイドルとかさ。
これらの人たち、・・・全然「生活」に困ってないじゃん。
「良い暮らし」してんだから、そりゃ、「平和がずっと続きますように」って言えるよね、無神経にさ。
だから、これらの人たちが、どん底まで落ちて、金も底をついたときに、以前と同じ“笑顔”で「この平和がずっと続きますように」と言えるか・どうか、だよね。
そこを考えてみれば、本当の意味での「戦争」や「平和」の「本質」がわかってくると思いますけどね、僕は。
以上です。
そう。
人間、全員が救われるわけでない。救われる人もいれば、救われない人もいる。
そんな不条理さに業を煮やしている、そこのあなたは、以下の曲をおすすめしますよ。
・・・この動画、山崎まさよしさんの名曲『One more time,one more chance』をバック・トラックにサンプリングしたポエトリーリーディング(詩の音楽的に朗読する)なんですが、先日、山崎まさよしさんがデビュー20周年ということで、僕もFacebookで山崎まさよしさん本人とコンタクト取ることができまして、で、そのとき、「山崎さんの曲を使ったポエトリーリディングの動画があるんですが、・・・できれば見てやってください!」とメッセージを送ったんですよ。
その後、山崎まさよしさんから、「視ましたよ。いい曲だと思いました」というメッセージを頂いたのです!
うれぴーっ!
というわけで、山崎まさよしさん「公認」かつ「推薦」の曲、『人はパンのみにて生くるにあらず』、じっくり聴いてくださいネ。
そんじゃ〜。
2015年08月21日
高槻少女殺害事件の「真相」
どうも。
・・・久々に、・・・ともなりたかひろが、――くるぅ〜!!
…ってことで、ザキヤマさん、結婚おめでとうございました。末永く、お幸せに。
というわけで、ニコニコ静画×『なかよし』コラボ企画マンガをなんとか書き終り、ほっとしている、ともなりたかひろです。
今回は、寝屋川市の殺人事件について、(連日のマンガ制作のせいで)疲れているので、軽く書いて寝たいと思います。
――僕の小説家としての勘ですけど、犯人の「目的」は、女の子の「殺害」もしくは「性的暴行」の方で、男の子の方は「不要要素」だったと思います。
だって、その他に「目的」が見当たらないもの。
そして、屋外・屋内で殺害した説はないと思う。
100%車内だと思う。
どうやって誘拐したか、まではわからないけど、女の子の家庭事情(ちょっと「親」や「家」に反発してたらしいじゃない)から言って、犯人の“自由な場所へ案内してあげるよ”的な甘い「口車」に乗って「車」にすんなり乗ってしまった、という推理は、まぁ理屈としては通るよね。
男の子が殺されているか・いないかは別としても、「遺棄」はしてない、と思うんだよね。
だって、「遺棄」=「自分の逃走ルート」という「印」をつけることと同義だからね。
わざわざ「点」を「線」を繋げるようなバカな真似は、まぁ、この手の計画的犯行に及ぶ犯人の性格から言って、しないだろうな、と。
つまり、男の子の方は、犯人にとって、逃走の「時間稼ぎのコマ」ですよ、明らかに。
案の定、寝屋川の警察が、寝屋川市近辺の、河原の草っぱらなんかをえんらこらせっせと捜索している時点で、「あはは、バカだなぁ」と思ってますよ、犯人は。
まんまと逃走の「時間稼ぎ」の「罠」にかかってるわけだからね。
あと重要な点は、「現時点で寝屋川市警しか動いていない」ということじゃないすかね。
全国捜索じゃないじゃない、車で逃走してんのに。
近辺捜索にただでさえ少ない「人員」を割いてちゃ、車の検問の方は後手後手になる、――って話じゃないですか。
ていうか、事件発生から結構経っているのに、車種すら特定できてない時点で、「・・・」って話ですけどね。
肝心の犯人像ですけど、――専門家曰く、「土地勘」のある人――、それはそうなんでしょう、おそらく。
ただ、「顔見知り」ではないですね、確実に。
「身近な人」(ネット上も含む)は、まず真っ先に疑われるわけだから。
「身近でない人」でも、女の子がついていってしまう理由――それは前述の通りです。
しかし、話は142度変りますが(中途半端な角度〜)、寝屋川市の事件なんかを見ると、現代の「家庭」の「ロールモデル」(見本)なんか成立しないんだな、とつくづく思いますね。
あまりに多様化しているから。
そりゃ、万人に共通するような「ホーム・ドラマ」なんか現代に成立するわけがないよね、って話ですよ、橋田壽賀子先生!
「親」というロール・モデル(見本)がわからなくなっている、というのは、ドラマはおろか、アニメ観てるだけでわかるでしょう。
例えば、『けいおん!』における「親」の「存在感」の希薄さがいい証左でしょう。
つまり、どういう「親」が、「現代の親っぽい」のか、わからないんですよ、誰にも。
もちろん、90歳で石頭の橋田壽賀子さんに見抜けるわけない、っていうね(笑)。
まぁ、そんな感じっす。
・・・あ、今日もアフィリエイトの広告貼りますけど、うん、いいです、別にクリックしなくて。
それでは、皆さん、自由にお過ごし下さい。
・・・久々に、・・・ともなりたかひろが、――くるぅ〜!!
…ってことで、ザキヤマさん、結婚おめでとうございました。末永く、お幸せに。
というわけで、ニコニコ静画×『なかよし』コラボ企画マンガをなんとか書き終り、ほっとしている、ともなりたかひろです。
今回は、寝屋川市の殺人事件について、(連日のマンガ制作のせいで)疲れているので、軽く書いて寝たいと思います。
――僕の小説家としての勘ですけど、犯人の「目的」は、女の子の「殺害」もしくは「性的暴行」の方で、男の子の方は「不要要素」だったと思います。
だって、その他に「目的」が見当たらないもの。
そして、屋外・屋内で殺害した説はないと思う。
100%車内だと思う。
どうやって誘拐したか、まではわからないけど、女の子の家庭事情(ちょっと「親」や「家」に反発してたらしいじゃない)から言って、犯人の“自由な場所へ案内してあげるよ”的な甘い「口車」に乗って「車」にすんなり乗ってしまった、という推理は、まぁ理屈としては通るよね。
男の子が殺されているか・いないかは別としても、「遺棄」はしてない、と思うんだよね。
だって、「遺棄」=「自分の逃走ルート」という「印」をつけることと同義だからね。
わざわざ「点」を「線」を繋げるようなバカな真似は、まぁ、この手の計画的犯行に及ぶ犯人の性格から言って、しないだろうな、と。
つまり、男の子の方は、犯人にとって、逃走の「時間稼ぎのコマ」ですよ、明らかに。
案の定、寝屋川の警察が、寝屋川市近辺の、河原の草っぱらなんかをえんらこらせっせと捜索している時点で、「あはは、バカだなぁ」と思ってますよ、犯人は。
まんまと逃走の「時間稼ぎ」の「罠」にかかってるわけだからね。
あと重要な点は、「現時点で寝屋川市警しか動いていない」ということじゃないすかね。
全国捜索じゃないじゃない、車で逃走してんのに。
近辺捜索にただでさえ少ない「人員」を割いてちゃ、車の検問の方は後手後手になる、――って話じゃないですか。
ていうか、事件発生から結構経っているのに、車種すら特定できてない時点で、「・・・」って話ですけどね。
肝心の犯人像ですけど、――専門家曰く、「土地勘」のある人――、それはそうなんでしょう、おそらく。
ただ、「顔見知り」ではないですね、確実に。
「身近な人」(ネット上も含む)は、まず真っ先に疑われるわけだから。
「身近でない人」でも、女の子がついていってしまう理由――それは前述の通りです。
しかし、話は142度変りますが(中途半端な角度〜)、寝屋川市の事件なんかを見ると、現代の「家庭」の「ロールモデル」(見本)なんか成立しないんだな、とつくづく思いますね。
あまりに多様化しているから。
そりゃ、万人に共通するような「ホーム・ドラマ」なんか現代に成立するわけがないよね、って話ですよ、橋田壽賀子先生!
「親」というロール・モデル(見本)がわからなくなっている、というのは、ドラマはおろか、アニメ観てるだけでわかるでしょう。
例えば、『けいおん!』における「親」の「存在感」の希薄さがいい証左でしょう。
つまり、どういう「親」が、「現代の親っぽい」のか、わからないんですよ、誰にも。
もちろん、90歳で石頭の橋田壽賀子さんに見抜けるわけない、っていうね(笑)。
まぁ、そんな感じっす。
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それでは、皆さん、自由にお過ごし下さい。