2017年04月14日
(遺稿)ともなりたかひろ急逝について
突然のお知らせ、申し訳ございません。
(株)ルラックのインディーズ文庫のともなりたかひろ氏を担当していた宮根進と申します。
Twitter上、あるいは、Facebook上での関わりがある方は、もうご存じの事かと思われますが、ともなりたかひろ氏は、2017年の3月19日未明、逝去致しました。
死因は、向精神薬サインバルタの大量服薬によるものだそうで、神奈川警察側も事件性は見られないとし、「自殺」と判定致しました。
34年の生涯でした。丁度、父の日の6月18日の、1日後の1982年6月19日が彼の誕生日でした。
ひとまず、これまでともなりたかひろ氏をご支援して頂いた方へ、謹んで感謝の念を申し上げます。
Twitter上で既に書いたことなので、重複になりますが、なぜ、インディーズ文庫における彼の担当でしかない私個人が、故人・ともなりたかひろの「デジタル遺産」を「管理」することになったのか、腑に落ちない方もいらっしゃると思いますので、今一度、ここではっきりとさせておきたい、と思います。
まず、事実の一面として、先日、Twitterに掲載しました【ともなりたかひろに関するお知らせその13】から【ともなりたかひろに関するお知らせその15】までを抜粋しておきます。
【ともなりたかひろに関するお知らせその13】
私たち、(株)ルラックが経営している「インディーズ文庫」は、正直に申しまして、わが社にとっては二の次の事業でして、しかも、出版過程において、重要であるデザイナーを2014年に失ってしまい、全く小説行程は進んでいない状況が続いておりました。
【ともなりたかひろに関するお知らせその14】
故人・ともなりたかひろ氏は、私たちに託していた2作目の『ナンバー1』という長編小説の製作行程が遅いことに、いつもEメールにて、時には電話にて、文句を仰っておりました。
【ともなりたかひろに関するお知らせその15】
結局、わが社が運営しているインディーズ文庫からの第2作目である『ナンバー1』という長編小説の完成を見ることもなく、彼は、逝去されてしまいました。
その罪悪感もあり、この度、私が彼の「デジタル遺産」を管理する、という経緯に至りました。
――という具合であります。
このTwitterに掲載した文章に付け加えることがあるとすると、私たちの関係は、電話で話し合うほど親密であったと同時に、電話で話し合うくらいの疎遠な関係であった、ということぐらいであります。
くどいようですが、私たち、(株)ルラックにとって、「インディーズ文庫」の運営は、経営の主軸ではなく、二次的なものでありました。
それでも、我々が運営してきた「インディーズ文庫」というものは、誰もが応募して、誰もが作品製作の権利を得れるものではなく、一定の審査基準があり、それに見合った作品のみを書籍化してきた、という規則がありました。
その規則をクリアしたので、故ともなりたかひろ氏は、我々の「インディーズ文庫」より第一弾の『太郎取扱説明書』という長編小説を出版する、という運びになったのです。
逆に言えば、故・ともなりたかひろ氏のように、わが社に作品を応募して、我々の決めた一定の審査基準に通過して、作品製作までに至る人種は、ごくわずかしかいませんでした。応募してくる作品がその審査基準を満たしていない、ということも勿論、理由の一つでしたが、我々製作側も、出版に際して骨子となるデザイナーのスタッフを2014年に失ってしまい、ほぼ「インディーズ文庫」の運営は打ち切りになってしまっていたのでした。
いわば、故ともなりたかひろ氏は、「インディーズ文庫」の「最初の親」でもあり、「最後の子」でもありました。
そういった経緯からくる義理人情があったため、故ともなりたかひろ氏との付き合いも、親密で、かつ、疎遠にならざるを得ない、という両面があったのでした。
そのラインで考えて頂ければ、私たちが彼の「デジタル遺産」を「管理」するに際して、不手際があったり、スケジュールの都合上、彼の「遺稿」通りのスケジュールに様々な箇所を更新できなかったりする実情も、お分かり頂けるかと思います。
ご承知の方はご承知の通りでしょうが、4月1日に、私がTwitter上にて、彼の「遺稿」に沿って、以下のような「嘘の発表」を致しました。
後述しますが、その「嘘の発表」も、彼の「遺稿」通りに進めたものでしたので、彼の意志を尊重した、としか私たちからは申し上げることができない、というのが真のところなのであります。
【ともなりたかひろに関するお知らせ】
どうも。
インディーズ文庫所属の山下新治と申します。
当レーベル所属の小説家ともなりたかひろは、平成29年の3月30日未明に死去しました。
【ともなりたかひろに関するお知らせその2】
ご遺族の方によれば、彼は20代の頃より精神科に通っており、これまでにも何度かオーバードーズによる自殺未遂を繰り返していた様子で、今回も大量服薬による自殺を図り、搬送先の病院にて死亡が確認されました。
【ともなりたかひろに関するお知らせその3】
インディーズ文庫内において彼を担当していた私としましては、遺族の方の意向と、故・小説家ともなりたかひろが残した「遺稿」に書かれてある意向の通り、彼の「デジタル遺産」を管理する代理人として、このアカウントを管理してゆく所存です。
【ともなりたかひろに関するお知らせその4】
差し当たっては、彼の「遺作」となってしまった、詩小説『落丁城』を、彼が残した「遺稿」の方針の通りに宣伝してゆきたい、と思います。
これまでの皆様のご支援に感謝致しますと同時に、謹んでご報告申し上げます。
4月1日 山下新治
【ともなりたかひろに関するお知らせその5】
以上です。
故人・小説家ともなりたかひろの「遺稿」によれば、返礼RTは「固定ツイート」を希望しているようです。
これまで、ともなりたかひろを、ご支援して頂き、謹んで感謝を申し上げます。
ちなみに、こういった宣伝の際にRTする作品の選択も、彼の「遺稿」に沿ってさせて頂きました。
これらは後述する通り、「4月1日」という「エイプリールフール」に沿った彼の残した「嘘のプロット」でありました。
実際は、もっと前の、3月19日に逝去されておりましたし、勿論、彼の遺族の方々の了承を得た上で、彼の「デジタル遺産」を管理することも、それ以前に既に決定しておりました。
そして、その「嘘のプロット」に対する弁明を、一週間後に、彼のTwitterアカウントにて、「遺稿」通りに、発信致しました。
以下が、その全文です。
【ともなりたかひろに関するお知らせその6】
どうも。
(株)ルラックのインディーズ文庫のともなりたかひろ担当の宮根進と申します。
プロフィール・タイムラインで更新した通り、小説家ともなりたかひろは、3月30日未明に、亡くなりました。
【ともなりたかひろに関するお知らせその7】
――という「シナリオ」は、繰り返し言うように、故・ともなりたかひろの「遺稿」そのままに私が代わりにtweetしたものであります。
【ともなりたかひろに関するお知らせその8】
詳細は発表できませんが、彼は生前に、
「エイプリール・フールの日に、自分が死んだことにしてくれ」
という「嘘」の「シナリオ」を呟くように「遺稿」に記してあったのであります。
【ともなりたかひろに関するお知らせその9】
不謹慎なことですが、遺族の方にも了承も得た上で、私が忠実に処理致しました。
彼は生前、大変「嘘つき」な人間であり、かつ、その「嘘」自体が、彼が生涯を通して一貫して貫いたスタンスだったゆえか、「自身の死」すらも「嘘」でまとめたかったのでしょう。
【ともなりたかひろに関するお知らせその10】
ただ、私から見ても、その「嘘の精度」が近々になるほど下がっているのも事実であり、今回の、彼の「遺稿」に残された「嘘」もレベルが低く、彼の「デジタル遺産」の管理を任された私としても、今回の「嘘」のtweetを代替えして行う、という経緯に踏み切るのに、大変な居心地の悪さを覚えました。
【ともなりたかひろに関するお知らせその11】
裏を返しますと、自死直前において、そんな低レベルな「嘘」しかつけなくなった、故人・ともなりたかひろの疲弊具合を鑑みますと、逆に、これは哀れむべきことなのかもしれません。
【ともなりたかひろに関するお知らせその12-1】
彼の「遺稿」に沿ったがあまりに、嘘のための嘘、というややこしい構造になってしまい、皆様に、様々な誤解を生んでしまい、大変申し訳御座いませんでした。
【ともなりたかひろに関するお知らせその12-2】
実際、ともなりたかひろ氏が自死した日付も違いますし、(株)ルラックに山下新治などという者はおりません。
ただし、ともなりたかひろ氏が死去されたのは事実であります。
それは彼が生前住んでいた海老名市の市政の方に問い合わせれば、分かることと存じます。
【ともなりたかひろに関するお知らせその13】
私たち、(株)ルラックが経営している「インディーズ文庫」は、正直に申しまして、わが社にとっては二の次の事業でして、しかも、出版過程において、重要であるデザイナーを2014年に失ってしまい、全く小説行程は進んでいない状況が続いておりました。
【ともなりたかひろに関するお知らせその14】
故人・ともなりたかひろ氏は、私たちに託していた2作目の『ナンバー1』という長編小説の製作行程が遅いことに、いつもEメールにて、時には電話にて、文句を仰っておりました。
【ともなりたかひろに関するお知らせその15】
結局、わが社が運営しているインディーズ文庫からの第2作目である『ナンバー1』という長編小説の完成を見ることもなく、彼は、逝去されてしまいました。
その罪悪感もあり、この度、私が彼の「デジタル遺産」を管理する、という経緯に至りました。
【ともなりたかひろに関するお知らせその16】
最後に。
末筆ながら、これまでの皆様のご支援に再び感謝致しますと共に、彼の現時点での「遺作」となってしまった詩小説『落丁城』(固定ツイート)をご愛読頂ければ、と思っております。
以上です。
重ね重ね申し上げますが、この文章自体も、故ともなりたかひろ氏が残してあった文面を「遺稿」通りそのまま発信したものですので、この文章の内容全てが「真実」かどうか、私自身、実は判断できない箇所も多々御座います。
が、私たち(株)ルラック側として見ても、ここに書き残された内容は、ほぼ事実そのままである、と言っていいと思います。
さすがに、故人のことを慮ると言っても、この文面に、私たち側から見て「あまりに事実と違いすぎる」と思っていたのならば、私はそれを掲載しなかったことでしょう。
それは常識外れだからです。
以上の如く、今後、私たちは彼の「デジタル遺産」を「管理」してゆく所存です。
私たちもスケジュール上、多忙のため、彼個人のために時間を割くのは大変なことなので、彼の「遺稿」通りには更新できないかもしれませんが、出来得る限り、彼の「遺稿」に記されてあった通りに、彼のコミュニティーである『トイレの底からこんにちは』のお知らせの更新や、はたまた、彼が生前残した、未完の小説や、エッセイの断片集などを、ブログ『ともなりたかひろ.com』を含めて、順次、「発表」してゆく所存であります。
最後になりますが、重ね重ね、末筆ながら、これまでの皆様のご支援に再び感謝を申し上げます。
【追記】
断っておかなければならないことがありましたので、付記しておきたいと思います。
この記事には「遺稿に沿って」という表現が出てきます。
それは勿論、故人・ともなりたかひろ氏が「死後、こうしてくれ」と「遺稿」に「指定」してあった通りに彼の死後、「デジタル遺産」を「管理」していく、という意味ですが、彼は非常に自己管理したがる性質の人でしたので、その「管理」は、こういう「表現方法」だけに限らず、「発表するタイミング(日にち・時間帯)」や「何を発表するのか」にまで至っております。
ゆえに、この『ともなりたかひろ.com』というブログに、この『ともなりたかひろの急逝について』というタイトルの記事を、本日、4月14日に掲載することも、故人・ともなりたかひろ氏の「遺稿」の指示通りであるという点を、誤解なきよう、よろしくお願い致します。
(株)ルラックのインディーズ文庫のともなりたかひろ氏を担当していた宮根進と申します。
Twitter上、あるいは、Facebook上での関わりがある方は、もうご存じの事かと思われますが、ともなりたかひろ氏は、2017年の3月19日未明、逝去致しました。
死因は、向精神薬サインバルタの大量服薬によるものだそうで、神奈川警察側も事件性は見られないとし、「自殺」と判定致しました。
34年の生涯でした。丁度、父の日の6月18日の、1日後の1982年6月19日が彼の誕生日でした。
ひとまず、これまでともなりたかひろ氏をご支援して頂いた方へ、謹んで感謝の念を申し上げます。
Twitter上で既に書いたことなので、重複になりますが、なぜ、インディーズ文庫における彼の担当でしかない私個人が、故人・ともなりたかひろの「デジタル遺産」を「管理」することになったのか、腑に落ちない方もいらっしゃると思いますので、今一度、ここではっきりとさせておきたい、と思います。
まず、事実の一面として、先日、Twitterに掲載しました【ともなりたかひろに関するお知らせその13】から【ともなりたかひろに関するお知らせその15】までを抜粋しておきます。
【ともなりたかひろに関するお知らせその13】
私たち、(株)ルラックが経営している「インディーズ文庫」は、正直に申しまして、わが社にとっては二の次の事業でして、しかも、出版過程において、重要であるデザイナーを2014年に失ってしまい、全く小説行程は進んでいない状況が続いておりました。
【ともなりたかひろに関するお知らせその14】
故人・ともなりたかひろ氏は、私たちに託していた2作目の『ナンバー1』という長編小説の製作行程が遅いことに、いつもEメールにて、時には電話にて、文句を仰っておりました。
【ともなりたかひろに関するお知らせその15】
結局、わが社が運営しているインディーズ文庫からの第2作目である『ナンバー1』という長編小説の完成を見ることもなく、彼は、逝去されてしまいました。
その罪悪感もあり、この度、私が彼の「デジタル遺産」を管理する、という経緯に至りました。
――という具合であります。
このTwitterに掲載した文章に付け加えることがあるとすると、私たちの関係は、電話で話し合うほど親密であったと同時に、電話で話し合うくらいの疎遠な関係であった、ということぐらいであります。
くどいようですが、私たち、(株)ルラックにとって、「インディーズ文庫」の運営は、経営の主軸ではなく、二次的なものでありました。
それでも、我々が運営してきた「インディーズ文庫」というものは、誰もが応募して、誰もが作品製作の権利を得れるものではなく、一定の審査基準があり、それに見合った作品のみを書籍化してきた、という規則がありました。
その規則をクリアしたので、故ともなりたかひろ氏は、我々の「インディーズ文庫」より第一弾の『太郎取扱説明書』という長編小説を出版する、という運びになったのです。
逆に言えば、故・ともなりたかひろ氏のように、わが社に作品を応募して、我々の決めた一定の審査基準に通過して、作品製作までに至る人種は、ごくわずかしかいませんでした。応募してくる作品がその審査基準を満たしていない、ということも勿論、理由の一つでしたが、我々製作側も、出版に際して骨子となるデザイナーのスタッフを2014年に失ってしまい、ほぼ「インディーズ文庫」の運営は打ち切りになってしまっていたのでした。
いわば、故ともなりたかひろ氏は、「インディーズ文庫」の「最初の親」でもあり、「最後の子」でもありました。
そういった経緯からくる義理人情があったため、故ともなりたかひろ氏との付き合いも、親密で、かつ、疎遠にならざるを得ない、という両面があったのでした。
そのラインで考えて頂ければ、私たちが彼の「デジタル遺産」を「管理」するに際して、不手際があったり、スケジュールの都合上、彼の「遺稿」通りのスケジュールに様々な箇所を更新できなかったりする実情も、お分かり頂けるかと思います。
ご承知の方はご承知の通りでしょうが、4月1日に、私がTwitter上にて、彼の「遺稿」に沿って、以下のような「嘘の発表」を致しました。
後述しますが、その「嘘の発表」も、彼の「遺稿」通りに進めたものでしたので、彼の意志を尊重した、としか私たちからは申し上げることができない、というのが真のところなのであります。
【ともなりたかひろに関するお知らせ】
どうも。
インディーズ文庫所属の山下新治と申します。
当レーベル所属の小説家ともなりたかひろは、平成29年の3月30日未明に死去しました。
【ともなりたかひろに関するお知らせその2】
ご遺族の方によれば、彼は20代の頃より精神科に通っており、これまでにも何度かオーバードーズによる自殺未遂を繰り返していた様子で、今回も大量服薬による自殺を図り、搬送先の病院にて死亡が確認されました。
【ともなりたかひろに関するお知らせその3】
インディーズ文庫内において彼を担当していた私としましては、遺族の方の意向と、故・小説家ともなりたかひろが残した「遺稿」に書かれてある意向の通り、彼の「デジタル遺産」を管理する代理人として、このアカウントを管理してゆく所存です。
【ともなりたかひろに関するお知らせその4】
差し当たっては、彼の「遺作」となってしまった、詩小説『落丁城』を、彼が残した「遺稿」の方針の通りに宣伝してゆきたい、と思います。
これまでの皆様のご支援に感謝致しますと同時に、謹んでご報告申し上げます。
4月1日 山下新治
【ともなりたかひろに関するお知らせその5】
以上です。
故人・小説家ともなりたかひろの「遺稿」によれば、返礼RTは「固定ツイート」を希望しているようです。
これまで、ともなりたかひろを、ご支援して頂き、謹んで感謝を申し上げます。
ちなみに、こういった宣伝の際にRTする作品の選択も、彼の「遺稿」に沿ってさせて頂きました。
これらは後述する通り、「4月1日」という「エイプリールフール」に沿った彼の残した「嘘のプロット」でありました。
実際は、もっと前の、3月19日に逝去されておりましたし、勿論、彼の遺族の方々の了承を得た上で、彼の「デジタル遺産」を管理することも、それ以前に既に決定しておりました。
そして、その「嘘のプロット」に対する弁明を、一週間後に、彼のTwitterアカウントにて、「遺稿」通りに、発信致しました。
以下が、その全文です。
【ともなりたかひろに関するお知らせその6】
どうも。
(株)ルラックのインディーズ文庫のともなりたかひろ担当の宮根進と申します。
プロフィール・タイムラインで更新した通り、小説家ともなりたかひろは、3月30日未明に、亡くなりました。
【ともなりたかひろに関するお知らせその7】
――という「シナリオ」は、繰り返し言うように、故・ともなりたかひろの「遺稿」そのままに私が代わりにtweetしたものであります。
【ともなりたかひろに関するお知らせその8】
詳細は発表できませんが、彼は生前に、
「エイプリール・フールの日に、自分が死んだことにしてくれ」
という「嘘」の「シナリオ」を呟くように「遺稿」に記してあったのであります。
【ともなりたかひろに関するお知らせその9】
不謹慎なことですが、遺族の方にも了承も得た上で、私が忠実に処理致しました。
彼は生前、大変「嘘つき」な人間であり、かつ、その「嘘」自体が、彼が生涯を通して一貫して貫いたスタンスだったゆえか、「自身の死」すらも「嘘」でまとめたかったのでしょう。
【ともなりたかひろに関するお知らせその10】
ただ、私から見ても、その「嘘の精度」が近々になるほど下がっているのも事実であり、今回の、彼の「遺稿」に残された「嘘」もレベルが低く、彼の「デジタル遺産」の管理を任された私としても、今回の「嘘」のtweetを代替えして行う、という経緯に踏み切るのに、大変な居心地の悪さを覚えました。
【ともなりたかひろに関するお知らせその11】
裏を返しますと、自死直前において、そんな低レベルな「嘘」しかつけなくなった、故人・ともなりたかひろの疲弊具合を鑑みますと、逆に、これは哀れむべきことなのかもしれません。
【ともなりたかひろに関するお知らせその12-1】
彼の「遺稿」に沿ったがあまりに、嘘のための嘘、というややこしい構造になってしまい、皆様に、様々な誤解を生んでしまい、大変申し訳御座いませんでした。
【ともなりたかひろに関するお知らせその12-2】
実際、ともなりたかひろ氏が自死した日付も違いますし、(株)ルラックに山下新治などという者はおりません。
ただし、ともなりたかひろ氏が死去されたのは事実であります。
それは彼が生前住んでいた海老名市の市政の方に問い合わせれば、分かることと存じます。
【ともなりたかひろに関するお知らせその13】
私たち、(株)ルラックが経営している「インディーズ文庫」は、正直に申しまして、わが社にとっては二の次の事業でして、しかも、出版過程において、重要であるデザイナーを2014年に失ってしまい、全く小説行程は進んでいない状況が続いておりました。
【ともなりたかひろに関するお知らせその14】
故人・ともなりたかひろ氏は、私たちに託していた2作目の『ナンバー1』という長編小説の製作行程が遅いことに、いつもEメールにて、時には電話にて、文句を仰っておりました。
【ともなりたかひろに関するお知らせその15】
結局、わが社が運営しているインディーズ文庫からの第2作目である『ナンバー1』という長編小説の完成を見ることもなく、彼は、逝去されてしまいました。
その罪悪感もあり、この度、私が彼の「デジタル遺産」を管理する、という経緯に至りました。
【ともなりたかひろに関するお知らせその16】
最後に。
末筆ながら、これまでの皆様のご支援に再び感謝致しますと共に、彼の現時点での「遺作」となってしまった詩小説『落丁城』(固定ツイート)をご愛読頂ければ、と思っております。
以上です。
(株)ルラック 宮根進
重ね重ね申し上げますが、この文章自体も、故ともなりたかひろ氏が残してあった文面を「遺稿」通りそのまま発信したものですので、この文章の内容全てが「真実」かどうか、私自身、実は判断できない箇所も多々御座います。
が、私たち(株)ルラック側として見ても、ここに書き残された内容は、ほぼ事実そのままである、と言っていいと思います。
さすがに、故人のことを慮ると言っても、この文面に、私たち側から見て「あまりに事実と違いすぎる」と思っていたのならば、私はそれを掲載しなかったことでしょう。
それは常識外れだからです。
以上の如く、今後、私たちは彼の「デジタル遺産」を「管理」してゆく所存です。
私たちもスケジュール上、多忙のため、彼個人のために時間を割くのは大変なことなので、彼の「遺稿」通りには更新できないかもしれませんが、出来得る限り、彼の「遺稿」に記されてあった通りに、彼のコミュニティーである『トイレの底からこんにちは』のお知らせの更新や、はたまた、彼が生前残した、未完の小説や、エッセイの断片集などを、ブログ『ともなりたかひろ.com』を含めて、順次、「発表」してゆく所存であります。
最後になりますが、重ね重ね、末筆ながら、これまでの皆様のご支援に再び感謝を申し上げます。
(株)ルラック 宮根進
【追記】
断っておかなければならないことがありましたので、付記しておきたいと思います。
この記事には「遺稿に沿って」という表現が出てきます。
それは勿論、故人・ともなりたかひろ氏が「死後、こうしてくれ」と「遺稿」に「指定」してあった通りに彼の死後、「デジタル遺産」を「管理」していく、という意味ですが、彼は非常に自己管理したがる性質の人でしたので、その「管理」は、こういう「表現方法」だけに限らず、「発表するタイミング(日にち・時間帯)」や「何を発表するのか」にまで至っております。
ゆえに、この『ともなりたかひろ.com』というブログに、この『ともなりたかひろの急逝について』というタイトルの記事を、本日、4月14日に掲載することも、故人・ともなりたかひろ氏の「遺稿」の指示通りであるという点を、誤解なきよう、よろしくお願い致します。
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