2010年01月03日
松山城訪問記1
写真の選別ができたので、この前に訪問した松山城について書かせていただきます。
松山城は全国各地にたくさんありますが、今回私が行ったのは埼玉県の吉見町にある松山城です。
区別するために「武州松山城」「武蔵松山城」とも呼ばれています。
松山城は比企丘陵の先端に位置します。
市野川を天然の水掘りとして利用しています。
松山城の標高は60メートル弱となっています。
比高は約40メートル前後だと思われます。
丘城ということがいえるでしょう。
大きな地図で見る 武蔵丘短大のあたりが松山城です。
松山城は、現状でも堀と土塁がほぼ当時の姿のまま残されています(実際の土塁や堀は2〜3m地下か)。
曲輪や平場がとにかく多いですね。
名前があるものだけでも、「本丸」「2の丸」「3の丸」「春日丸」「太鼓郭」「笹郭」「腰郭」「兵糧倉」「惣郭」といった具合です。
名前が残っていないものを含めると、全部で20前後の曲輪や平場が現存していると思われます。
丘ということで開発しにくかったということが、これだけのものを残している理由かも知れません。
まずは本丸跡ですが、こちらは当時の城主がいたところですね。
城の中心部です。
比較的広くなっておりまして、それなりの大きな建物があったと想像できます。
ただ、天守閣はありませんでした。
本丸には物見櫓跡もありまして、土台の部分が盛り上がっていました。
次に2の丸跡です。
2の丸といえば、本丸に付随しているものとして城の中でもやはり重要な部分です。
こちらも大きな平場となっています。
次回に続きます。
[参考]松山城縄張図
松山城は全国各地にたくさんありますが、今回私が行ったのは埼玉県の吉見町にある松山城です。
区別するために「武州松山城」「武蔵松山城」とも呼ばれています。
松山城は比企丘陵の先端に位置します。
市野川を天然の水掘りとして利用しています。
松山城の標高は60メートル弱となっています。
比高は約40メートル前後だと思われます。
丘城ということがいえるでしょう。
大きな地図で見る 武蔵丘短大のあたりが松山城です。
松山城は、現状でも堀と土塁がほぼ当時の姿のまま残されています(実際の土塁や堀は2〜3m地下か)。
曲輪や平場がとにかく多いですね。
名前があるものだけでも、「本丸」「2の丸」「3の丸」「春日丸」「太鼓郭」「笹郭」「腰郭」「兵糧倉」「惣郭」といった具合です。
名前が残っていないものを含めると、全部で20前後の曲輪や平場が現存していると思われます。
丘ということで開発しにくかったということが、これだけのものを残している理由かも知れません。
まずは本丸跡ですが、こちらは当時の城主がいたところですね。
城の中心部です。
比較的広くなっておりまして、それなりの大きな建物があったと想像できます。
ただ、天守閣はありませんでした。
本丸には物見櫓跡もありまして、土台の部分が盛り上がっていました。
次に2の丸跡です。
2の丸といえば、本丸に付随しているものとして城の中でもやはり重要な部分です。
こちらも大きな平場となっています。
次回に続きます。
[参考]松山城縄張図
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