2009年11月29日
伊奈屋敷跡 訪問記 後編
昨日の続きです。
昨日は物見櫓まで書きましたね。
物見櫓の確認が終わりまして、屋敷跡の内部方面に入ります。
当時の名残としまして、道路が屈曲していました。
現代社会では事故のもととなりそうですが、当時は敵に潜入されても、屋敷内の地理がどのようになっているか分かりづらくするためと思われます。そのあとに、頭殿社(神社)のほうへ行ってきました。ちょっとした神社となっています。
地図上では、「陣屋」の右上あたりに位置します。この頭殿社には現状でもかなりの遺構が確認できます。
堀で囲まれておりますので、曲輪となっていたことが確認できます。
訪問した日はめちゃくちゃ寒く、しかも曇りで暗かったのでなんだか頭殿社の近辺はちょっと怖い感じでしたね。。。あ!史跡を肝試しスポットにはしないように!(笑)次に、二の丸のほうを見学しました。
二の丸はきちんと整備されております。
土塁と堀を確認することができました。
当時は、どのようになっていたのかはなかなか想像しにくかったのですが、二の丸の端のほうの土塁が高くなっていることが確認できました。当時はこの土塁の上に塀があった可能性が高そうです。
最後に表門のほうを見学。
上記写真の上部の「裏門」と書かれている場所です(現地案内板の間違い)。
表門付近では土塁と水掘りを確認できました。
水掘りは、伊奈屋敷跡の南から東側にかけてかなり現存しています。
水源は、確かなことは分かりませんが、伊奈屋敷跡の西方(頭殿社方面)にある原市沼、南方(表門方面)にある原市沼川より流れ込んできていると思われます。
以上でひと通り書かせていただきました。
伊奈氏屋敷跡のほとんどが私有地となっていますので、見学する際は注意が必要です。
「告!住民無視の一方的な史跡指定と保存管理計画は一切認めない。」という看板が随所にあります。
マナーを持っての見学をよろしくお願いいたします★
昨日は物見櫓まで書きましたね。
物見櫓の確認が終わりまして、屋敷跡の内部方面に入ります。
当時の名残としまして、道路が屈曲していました。
現代社会では事故のもととなりそうですが、当時は敵に潜入されても、屋敷内の地理がどのようになっているか分かりづらくするためと思われます。そのあとに、頭殿社(神社)のほうへ行ってきました。ちょっとした神社となっています。
地図上では、「陣屋」の右上あたりに位置します。この頭殿社には現状でもかなりの遺構が確認できます。
堀で囲まれておりますので、曲輪となっていたことが確認できます。
訪問した日はめちゃくちゃ寒く、しかも曇りで暗かったのでなんだか頭殿社の近辺はちょっと怖い感じでしたね。。。あ!史跡を肝試しスポットにはしないように!(笑)次に、二の丸のほうを見学しました。
二の丸はきちんと整備されております。
土塁と堀を確認することができました。
当時は、どのようになっていたのかはなかなか想像しにくかったのですが、二の丸の端のほうの土塁が高くなっていることが確認できました。当時はこの土塁の上に塀があった可能性が高そうです。
最後に表門のほうを見学。
上記写真の上部の「裏門」と書かれている場所です(現地案内板の間違い)。
表門付近では土塁と水掘りを確認できました。
水掘りは、伊奈屋敷跡の南から東側にかけてかなり現存しています。
水源は、確かなことは分かりませんが、伊奈屋敷跡の西方(頭殿社方面)にある原市沼、南方(表門方面)にある原市沼川より流れ込んできていると思われます。
以上でひと通り書かせていただきました。
伊奈氏屋敷跡のほとんどが私有地となっていますので、見学する際は注意が必要です。
「告!住民無視の一方的な史跡指定と保存管理計画は一切認めない。」という看板が随所にあります。
マナーを持っての見学をよろしくお願いいたします★
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント