2009年11月28日
伊奈屋敷跡 訪問記 前篇
写真の選別ができましたので、伊奈氏屋敷跡について書かせていただきますね♪
まずは、所在地ですが、埼玉県伊奈町の小室にあります。
最寄り駅はニューシャトルの丸山駅です。
下車2分ほどです。
詳しい所在地はこちら。
大きな地図で見る
伊奈氏屋敷跡の全体像は以下の画像のような感じとなっています。
ただ、ちょっと現地案内板が間違っていまして、「裏門」が二つ記入されています。
上のほうの裏門は「表門」です。
まずは、下の裏門から訪問してみました。
裏門近辺は、きちんと草が刈り取られており、見学しやすくなっています。この裏門近辺では、綿密な発掘調査が行われておりまして、堀の存在が確認されています。
しかもその堀は特殊なものとなっていたそうで、「障子堀」というものとなっていたそうです。
中世の関東でよくみられる堀の一つです。たとえば小田原城、静岡の山中城などが障子堀で有名です。
障子堀は、堀の中に障子のような桟が堀の中に作られているんです。なぜそのように作られているかと申しますと、堀の中で動き回ったりされないようにされないように考え出されたものなんだそうですよ。
足利政氏館跡の堀と同じようにこちらの堀も関東ローム層を巧みに利用しています。
関東ローム層の特徴である堅牢性を生かし、水をためて防御を固めていたそうです。
その裏門の先には、物見櫓跡があります。
うっそうとした木の中にあったので、写真はうまくとれなかったのですが、堀と土塁を確認いたしました。
前回行ったときは確認できなかったのですが、物見櫓の土塁は2層になっていまして、堀の底辺より物見櫓の土塁の頂点までは約7〜8メートルほど、という印象を受けました。
現在では堀がかなり埋まってしまっているということが想像できますので、当時は10メートルほどあったかもしれません。
その土塁の上に物見櫓があったと考えられますので、かなり遠くまで見渡せるものとなっていることが想像できます。
ちょっと長くなってしまったので次回に続きます。
まずは、所在地ですが、埼玉県伊奈町の小室にあります。
最寄り駅はニューシャトルの丸山駅です。
下車2分ほどです。
詳しい所在地はこちら。
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伊奈氏屋敷跡の全体像は以下の画像のような感じとなっています。
ただ、ちょっと現地案内板が間違っていまして、「裏門」が二つ記入されています。
上のほうの裏門は「表門」です。
まずは、下の裏門から訪問してみました。
裏門近辺は、きちんと草が刈り取られており、見学しやすくなっています。この裏門近辺では、綿密な発掘調査が行われておりまして、堀の存在が確認されています。
しかもその堀は特殊なものとなっていたそうで、「障子堀」というものとなっていたそうです。
中世の関東でよくみられる堀の一つです。たとえば小田原城、静岡の山中城などが障子堀で有名です。
障子堀は、堀の中に障子のような桟が堀の中に作られているんです。なぜそのように作られているかと申しますと、堀の中で動き回ったりされないようにされないように考え出されたものなんだそうですよ。
足利政氏館跡の堀と同じようにこちらの堀も関東ローム層を巧みに利用しています。
関東ローム層の特徴である堅牢性を生かし、水をためて防御を固めていたそうです。
その裏門の先には、物見櫓跡があります。
うっそうとした木の中にあったので、写真はうまくとれなかったのですが、堀と土塁を確認いたしました。
前回行ったときは確認できなかったのですが、物見櫓の土塁は2層になっていまして、堀の底辺より物見櫓の土塁の頂点までは約7〜8メートルほど、という印象を受けました。
現在では堀がかなり埋まってしまっているということが想像できますので、当時は10メートルほどあったかもしれません。
その土塁の上に物見櫓があったと考えられますので、かなり遠くまで見渡せるものとなっていることが想像できます。
ちょっと長くなってしまったので次回に続きます。
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