2016年03月04日
金立神社 下之宮 徐福上陸地 佐賀市諸富町
徐福上陸地
昇開橋の入口にある諸富鉄橋展望公園の徐福像
徐福渡来
約2200年前、秦の始皇帝の命を受け不老不死の仙薬を求めて
日本に渡来したと伝えられる徐福。
徐福一行がまず着いたのは、杵島の竜王ア(佐賀県白石町)でしたが、
上陸に適さなかったので、海に大盃を浮かべ、これが流れ着いた筑後川下流の
搦(からみ)に上陸しました。
この古事に由来する浮盃(佐賀市諸富町)という地名が
今も町内に残っています。
金立神社 下之宮(金立権現社)
諸富の金立権現社
上陸地といわれる所は、筑後川(旧千歳川)の河口にあって、
地名は諸富町大字寺井津東搦、旧名を浮盃新津といった。
ここにあった金立権現社の跡地には「徐福上陸地」の石造の標識が立ち、
金立神社誌の記念碑があり、現在も徐福を偲んでの祭りが行なわれている。
昇開橋の入口にある諸富鉄橋展望公園の徐福像
徐福渡来
約2200年前、秦の始皇帝の命を受け不老不死の仙薬を求めて
日本に渡来したと伝えられる徐福。
徐福一行がまず着いたのは、杵島の竜王ア(佐賀県白石町)でしたが、
上陸に適さなかったので、海に大盃を浮かべ、これが流れ着いた筑後川下流の
搦(からみ)に上陸しました。
この古事に由来する浮盃(佐賀市諸富町)という地名が
今も町内に残っています。
金立神社 下之宮(金立権現社)
諸富の金立権現社
上陸地といわれる所は、筑後川(旧千歳川)の河口にあって、
地名は諸富町大字寺井津東搦、旧名を浮盃新津といった。
ここにあった金立権現社の跡地には「徐福上陸地」の石造の標識が立ち、
金立神社誌の記念碑があり、現在も徐福を偲んでの祭りが行なわれている。
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