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2019年05月27日
ニギハヤヒノミコトを祀る 伊勢天照御祖神社
福岡県の隠れパワースポット 伊勢天照御祖神社】
この神社に参拝するのは3年ぶり
全国総本宮 水天宮の南、住宅街の細い道を車でうろうろ
記憶をたどってなんとかたどり着いたが・・・
神社の駐車場が満車
なんで?神社に人の気配なし
駐車場の横の公民館で何かやってるみたい
仕方ないので神社近くの空き地に車を止めて参拝しました。
地元では、大石神社と呼ばれ、古くは、
伊勢御前神社、天照御前神社、大石太神宮
などとも称されていたようです。
「延喜式」神名帳に記載されている、
筑後國三井郡三座のうちのひとつ。
国司越前守の何某かが
伊勢大神宮の瑞垣内の小石と古鏡を
ここに祀ったと伝えられている。
御祭神
天照国照彦天火明尊(饒速日命)
祈願神石に願い事を書いて、
神石置き場に納める。
御神木 椋の木(ムクノキ)
本殿
神体は、本殿土間にある巨石で、支石墓の上石
あるいは古墳石室の蓋石かと推測されていますが、
江戸時代の『筑後志』や社伝は、
この霊石が年々肥大するという伝承があります。
また石の大きさは「方九尺」、別に「方三尺」という。
この巨石を祀る伝承が神社発許にひきつがれているとすれば、
祭祀はより古く、巨石は磐座なのかも知れない。
九千坊河童
ふるさとは中央アジア、タクラマカン砂漠を流れるヤルカンド河の源流。
極寒と食糧不足に耐えかねて、部下九千匹をつれて
仁徳天皇の治世の頃に蓬来島(日本)の熊本・八代の浜辺に
辿り着いたそうです。
佐岐神社
大国主神社
恵比須神社
淡島神社
授かり石
御神木 銀杏の木
この神社は、社名と祭神 饒速日命(ニギハヤヒノミコト)
から見て物部氏の日神祭祀に関連していたと思われます。
「先代旧事本紀」・「天孫本紀」において物部氏の祖神饒速日尊は
三二人の従者と二五部の物部軍団を率いて大和国へ降った記述がある。
その物部軍団の本拠地は北九州の
遠賀川・筑後川沿岸付近に集中している。
その中心地が高良大社のある高良山と推定されている。
筑後国は物部族の最初の根拠地にて、
この地方の大社高良山はその宗社と考えられる
このことから高良大社の主祭神・霊照大神(現在は高良玉垂命)
も物部氏の祖神饒速日尊と考えられる。
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この神社に参拝するのは3年ぶり
全国総本宮 水天宮の南、住宅街の細い道を車でうろうろ
記憶をたどってなんとかたどり着いたが・・・
神社の駐車場が満車
なんで?神社に人の気配なし
駐車場の横の公民館で何かやってるみたい
仕方ないので神社近くの空き地に車を止めて参拝しました。
地元では、大石神社と呼ばれ、古くは、
伊勢御前神社、天照御前神社、大石太神宮
などとも称されていたようです。
「延喜式」神名帳に記載されている、
筑後國三井郡三座のうちのひとつ。
国司越前守の何某かが
伊勢大神宮の瑞垣内の小石と古鏡を
ここに祀ったと伝えられている。
御祭神
天照国照彦天火明尊(饒速日命)
祈願神石に願い事を書いて、
神石置き場に納める。
御神木 椋の木(ムクノキ)
本殿
神体は、本殿土間にある巨石で、支石墓の上石
あるいは古墳石室の蓋石かと推測されていますが、
江戸時代の『筑後志』や社伝は、
この霊石が年々肥大するという伝承があります。
また石の大きさは「方九尺」、別に「方三尺」という。
この巨石を祀る伝承が神社発許にひきつがれているとすれば、
祭祀はより古く、巨石は磐座なのかも知れない。
九千坊河童
ふるさとは中央アジア、タクラマカン砂漠を流れるヤルカンド河の源流。
極寒と食糧不足に耐えかねて、部下九千匹をつれて
仁徳天皇の治世の頃に蓬来島(日本)の熊本・八代の浜辺に
辿り着いたそうです。
佐岐神社
大国主神社
恵比須神社
淡島神社
授かり石
御神木 銀杏の木
この神社は、社名と祭神 饒速日命(ニギハヤヒノミコト)
から見て物部氏の日神祭祀に関連していたと思われます。
「先代旧事本紀」・「天孫本紀」において物部氏の祖神饒速日尊は
三二人の従者と二五部の物部軍団を率いて大和国へ降った記述がある。
その物部軍団の本拠地は北九州の
遠賀川・筑後川沿岸付近に集中している。
その中心地が高良大社のある高良山と推定されている。
筑後国は物部族の最初の根拠地にて、
この地方の大社高良山はその宗社と考えられる
このことから高良大社の主祭神・霊照大神(現在は高良玉垂命)
も物部氏の祖神饒速日尊と考えられる。
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