2019年09月24日
家族の木 THE FOURTH STORY 真と梨央<34 裏切り>
裏切り
「実はインドネシアの取引先から調査依頼が来た。その物件がこれだ。」と見せられたのは、なんと俺の実家だった。東京郊外の住宅地でその地域では大きな家でいかにも若い世代が喜びそうな洋館だった。国内ではなく海外で売り出されている。名義人は母になっている。実家の名義など確認したこともないが要するに俺には何の相談もなく継母に移っていたわけだ。
もともと父の名義なのだから父が了解していれば法的には何の問題もない。しかし、父が自分に一言の相談もなく家の名義を変えるとは思えなかった。思いたくなかった。屈辱だった。ただ継母に奪われただけでも許しがたいのに、それが売りに出されているとはどういうことだろうか?自分の実家が情けなかった。
「ご実家の事業はどうだ?資金繰りに問題はないか?急いで調べるんだ。私に相談してほしい。私としては、君に傷を負わせたくない。」「いえ、会社の資金繰りには問題はありません。実務者は私です。どうして売りに出したのかよくわかりません。」
「そうだな。会社の資金繰りの問題ならお義母さんの名義にする必要はないな。お義母さん焦っておられるんじゃないのかね。君がうちへ来てしまって、浜野興産の事業も君が仕切っているとなれば、自分は何もなくなるんじゃないかと焦っておられるんじゃないのかね。
君とは芳しくないそうだから心配になってしまわれたのかな。うちに乗っ取られるような気がしておられるのかもしれん。それで、自宅だけでも確保しようとされたのかもしれん。」家の中の事情を言い当てられて恥ずかしかった。
俺の実母は浜野の家付き娘だった。父を婿養子に迎えたが、父は母の両親との折り合いが悪く、仕事を口実にして東京で別宅を持った。結婚して3年後にはもう別居していたのだ。俺は鎌倉の浜野の本宅で母に育てられた。その母は俺が9歳の時に亡くなった。
それからずっと祖父母に育てられた。11歳の時に祖母が亡くなり13歳の時に祖父が亡くなった、祖父の遺産は全て俺が相続していた。それから東京の父の家に移った。家には妹がいた。もちろん分かっていたが、俺は長い間妹たちは母の連れ子だと思っていた。父の実子は自分だけだと思っていた。
俺が13歳の時、妹たちは6歳と4歳だった。でも、父が再婚したのは母が亡くなって2年後なのだから子供の知恵ではどう考えても連れ子のはずだった。母の存命中によそで父の子供ができているとは夢にも思っていなかった。父は仕事で東京に暮らしていると教えられて育った。
妹たちが父の実子だということを知ったのは14歳の時だった。この後は父も継母も妹も嫌いになった。俺は家の中で一人ぼっちだった。資産を持っているという理由で引き取られたということに気が付き始めていた。俺の資産は父の事業につぎ込まれるようになっていた。
父の事業は成功していった。そして、当然のように俺は大学を卒業すると父の会社に入って30代になった時には役員になり、結婚を機に常務取締役になっていた。会社は俺がいなければ回らないだろう。会社は俺が継ぐ、これは当然だし、事実、会社の資産で俺の名義のものは多かった。
その俺が田原の家に入ってしまえば、浜野興産はほぼ田原のものになってしまう。会社には妹たちの入る余地がなくなってしまう。継母は不安になってこんなみっともない真似をしたのだ。
母は大嫌いだった。俺の実母が亡くなった年に妹を出産した。好きになれるはずもなかった。妹も嫌いだった。しかし、梨央と結婚してから俺はずいぶんいい人になっていた。妹に責任がないことが理解できるようになっていた。できることなら妹が働いて会社の何らかの役を引き受ければ、父の遺産相続もスムーズだろうと思っていた。
しかし、妹たちはそんな教育を受けなかった。誰かの妻になって、その夫を会社に入れる算段だった。それはそれでよかった。ところが継母が、娘たちの縁談が進まないのに業を煮やした形だ。もっと本気で妹たちの縁談に気を配るべきだった。
続く
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「実はインドネシアの取引先から調査依頼が来た。その物件がこれだ。」と見せられたのは、なんと俺の実家だった。東京郊外の住宅地でその地域では大きな家でいかにも若い世代が喜びそうな洋館だった。国内ではなく海外で売り出されている。名義人は母になっている。実家の名義など確認したこともないが要するに俺には何の相談もなく継母に移っていたわけだ。
もともと父の名義なのだから父が了解していれば法的には何の問題もない。しかし、父が自分に一言の相談もなく家の名義を変えるとは思えなかった。思いたくなかった。屈辱だった。ただ継母に奪われただけでも許しがたいのに、それが売りに出されているとはどういうことだろうか?自分の実家が情けなかった。
「ご実家の事業はどうだ?資金繰りに問題はないか?急いで調べるんだ。私に相談してほしい。私としては、君に傷を負わせたくない。」「いえ、会社の資金繰りには問題はありません。実務者は私です。どうして売りに出したのかよくわかりません。」
「そうだな。会社の資金繰りの問題ならお義母さんの名義にする必要はないな。お義母さん焦っておられるんじゃないのかね。君がうちへ来てしまって、浜野興産の事業も君が仕切っているとなれば、自分は何もなくなるんじゃないかと焦っておられるんじゃないのかね。
君とは芳しくないそうだから心配になってしまわれたのかな。うちに乗っ取られるような気がしておられるのかもしれん。それで、自宅だけでも確保しようとされたのかもしれん。」家の中の事情を言い当てられて恥ずかしかった。
俺の実母は浜野の家付き娘だった。父を婿養子に迎えたが、父は母の両親との折り合いが悪く、仕事を口実にして東京で別宅を持った。結婚して3年後にはもう別居していたのだ。俺は鎌倉の浜野の本宅で母に育てられた。その母は俺が9歳の時に亡くなった。
それからずっと祖父母に育てられた。11歳の時に祖母が亡くなり13歳の時に祖父が亡くなった、祖父の遺産は全て俺が相続していた。それから東京の父の家に移った。家には妹がいた。もちろん分かっていたが、俺は長い間妹たちは母の連れ子だと思っていた。父の実子は自分だけだと思っていた。
俺が13歳の時、妹たちは6歳と4歳だった。でも、父が再婚したのは母が亡くなって2年後なのだから子供の知恵ではどう考えても連れ子のはずだった。母の存命中によそで父の子供ができているとは夢にも思っていなかった。父は仕事で東京に暮らしていると教えられて育った。
妹たちが父の実子だということを知ったのは14歳の時だった。この後は父も継母も妹も嫌いになった。俺は家の中で一人ぼっちだった。資産を持っているという理由で引き取られたということに気が付き始めていた。俺の資産は父の事業につぎ込まれるようになっていた。
父の事業は成功していった。そして、当然のように俺は大学を卒業すると父の会社に入って30代になった時には役員になり、結婚を機に常務取締役になっていた。会社は俺がいなければ回らないだろう。会社は俺が継ぐ、これは当然だし、事実、会社の資産で俺の名義のものは多かった。
その俺が田原の家に入ってしまえば、浜野興産はほぼ田原のものになってしまう。会社には妹たちの入る余地がなくなってしまう。継母は不安になってこんなみっともない真似をしたのだ。
母は大嫌いだった。俺の実母が亡くなった年に妹を出産した。好きになれるはずもなかった。妹も嫌いだった。しかし、梨央と結婚してから俺はずいぶんいい人になっていた。妹に責任がないことが理解できるようになっていた。できることなら妹が働いて会社の何らかの役を引き受ければ、父の遺産相続もスムーズだろうと思っていた。
しかし、妹たちはそんな教育を受けなかった。誰かの妻になって、その夫を会社に入れる算段だった。それはそれでよかった。ところが継母が、娘たちの縁談が進まないのに業を煮やした形だ。もっと本気で妹たちの縁談に気を配るべきだった。
続く
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