2019年08月06日
THE THIRD STORY純一と絵梨 <33 真梨の最期>
真梨の最期
母は、時々勝手に外へ出てしまっては絵梨を慌てさせた。たいていは庭周りで花を眺めて突っ立っている。道に迷って立ちすくむ少女のようにも見える。口には出さないが、多分、父を探しているのだ。
いつも決まって白バラの花壇の前だ。母は白バラが大好きで自分で丹精して育てていた。この花をよくテーブルに飾っていたが摘むのは父だった。母は必ずバラの棘に刺されるからだ。母が、「そこそこその蕾とそのちょっと開いた花、そうそう、それそれ」と言いながら父に摘ませる。今思えば、母が父に甘える口実にしていたのかもしれない。
亡くなった父も僕たち夫婦も母はあまり寂しさを感じないかもしれないと期待していた。母は父が亡くなるころには物忘れの症状が出ていた。父が亡くなると認知症は一気に進んだ。神様は母があまり寂しくないように、母の心が穏やかでいられるように母の記憶を無くしてくれたのだと思っていた。
しかし、母はあらゆる記憶をなくしているのに父を忘れられない。名前も覚えていないかもしれない。それでも、白薔薇の花壇の前へ来れば愛しい男に会えるかもしれないと思うのだ。母は普段は穏やかで笑顔が多い。ただ時折、寂しさに襲われて矢も盾もたまらなくなってしまう。白薔薇の花壇の前に立ちすくむ母を見るとかわいそうでならなかった。
ある初夏の日、また母が無断で外に出てしまった。その日は午前中に雨が降ってまだ花壇には露が残っていた。慌てて庭周りを探したが見つからない。絵梨がすぐ気が付いて、昔住んでいた家に走っていった。
いつもよく行き来した道だ。案の定、母の靴がきれいにそろえて脱いであった。僕か絵梨がカギをかけ忘れていたようだ。父が仕組んだと思った。母は寝室のベッドでほほ笑むように眠っていた。幸福そうな顔だった。
母のそばには白バラが落ちていた。母が摘んで持ってきたのだろう。その日は、棘に刺されなかったようだ。それが母の最期だった。父は母を待ちきれなかったのだろう。
母は亡くなって家は寂しくなった。しかし、それは父母にとってはハッピーエンドだ。寂しいがホッとしていた。母は生涯にたった一人の恋男を追って逝った。
続く
母は、時々勝手に外へ出てしまっては絵梨を慌てさせた。たいていは庭周りで花を眺めて突っ立っている。道に迷って立ちすくむ少女のようにも見える。口には出さないが、多分、父を探しているのだ。
いつも決まって白バラの花壇の前だ。母は白バラが大好きで自分で丹精して育てていた。この花をよくテーブルに飾っていたが摘むのは父だった。母は必ずバラの棘に刺されるからだ。母が、「そこそこその蕾とそのちょっと開いた花、そうそう、それそれ」と言いながら父に摘ませる。今思えば、母が父に甘える口実にしていたのかもしれない。
亡くなった父も僕たち夫婦も母はあまり寂しさを感じないかもしれないと期待していた。母は父が亡くなるころには物忘れの症状が出ていた。父が亡くなると認知症は一気に進んだ。神様は母があまり寂しくないように、母の心が穏やかでいられるように母の記憶を無くしてくれたのだと思っていた。
しかし、母はあらゆる記憶をなくしているのに父を忘れられない。名前も覚えていないかもしれない。それでも、白薔薇の花壇の前へ来れば愛しい男に会えるかもしれないと思うのだ。母は普段は穏やかで笑顔が多い。ただ時折、寂しさに襲われて矢も盾もたまらなくなってしまう。白薔薇の花壇の前に立ちすくむ母を見るとかわいそうでならなかった。
ある初夏の日、また母が無断で外に出てしまった。その日は午前中に雨が降ってまだ花壇には露が残っていた。慌てて庭周りを探したが見つからない。絵梨がすぐ気が付いて、昔住んでいた家に走っていった。
いつもよく行き来した道だ。案の定、母の靴がきれいにそろえて脱いであった。僕か絵梨がカギをかけ忘れていたようだ。父が仕組んだと思った。母は寝室のベッドでほほ笑むように眠っていた。幸福そうな顔だった。
母のそばには白バラが落ちていた。母が摘んで持ってきたのだろう。その日は、棘に刺されなかったようだ。それが母の最期だった。父は母を待ちきれなかったのだろう。
母は亡くなって家は寂しくなった。しかし、それは父母にとってはハッピーエンドだ。寂しいがホッとしていた。母は生涯にたった一人の恋男を追って逝った。
続く
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