2019年06月07日
家族の木 THE SECOND STORY 俊也と真梨 <23 記念のワイン>
記念のワイン
叔父に何度か僕たちの家へ来るように勧めたが、叔父が自分たちの家から離れることは無かった。「まだ梨花がそのあたりにいるだろうから寂しくはない。」と言ってきかなかった。叔父は几帳面で清潔好きだ。洗濯も掃除も自分でしたが食事はいい加減になっていった。
僕たちの家から近いので、なんとなく家族が出入して賄っていた。叔父の大ファンだった純一だけは叔父の家を離れることができずにいた。深夜に叔父の部屋をのぞくこともあったようだ。
叔父は純一に「心配性だね。梨花に似たんだね。」と言って、それなりに喜んでいた。僕たちは叔父のこの言葉を不自然に思わなくなっていた。
叔母の35日法要をすませて二日後の夜、みんなで叔父の家で夕食をした。叔父が叔母の大切にしていたワインを開けるから来てほしいと皆を集めたのだ。叔母が自分たちの金婚式用に取っておいた年代物のワインだ。叔父と二人で開けるのを楽しみにしていた。
普段飲まない叔父が、この日は、おしゃべりをしながらワイングラス一杯を空けた。食事は叔母の好物の寿司だった。「みんなご苦労だったね。色々お世話をかけた。おばあちゃんも喜んでると思うんだ。このワインは梨花から俊也と真梨へのお礼だよ。」といった。
珍しく孫たちに昔の話をした。「おじいちゃんの両親は早く亡くなって、おばあちゃんと出会うまでは、ずっと一人だったんだ。ちっとも寂しくなかったんだよ。でも、おばあちゃんと出会って一緒に暮らして、今じゃ凄い寂しがり屋になっちゃったんだよ。それなのに先に居なくなっちゃうんだから罪だね、おばあちゃんは。」といった。
叔父が叔母に甘いのは子供たちも慣れていた。ただ叔父が、いわゆるお惚気を言うようなことはなかった。ところがこの日、唐突にお惚気を言われて子供たちも少し驚いたようだった。
真梨は見えないところへ行って涙ぐんだ。絵梨はうつむいて何も言わなかった。純一は黙って叔父をみつめた。この時家族全員が、なんとなく叔父も近いうちに逝ってしまう、そんな覚悟めいた感情をもっていた。
叔父は、そのまま自室に入った。その直後に薬を飲んだようだ。なかなか風呂に入らないので呼びに行った純一が見つけた。すぐ救急車を呼んだが、多分ダメだろう事は分かっていた。錠剤を入れていたジップロックとコップと水差し、遺言書が丁寧にセンターテーブルに並べてあった。
僕は救急隊員に「明徳第二病院にお願いいします。叔母がそちらで待っていると思います。」と口走っていた。真梨も同じように「そうなんです。母が待っているんです。」と言っていた。
救急隊員は「多分そうなります。ここからだと一番早いから。」と言って一瞬不思議そうな顔をして「この方の奥さんですか?」と聞いた。それから、慌てて叔父を救急車に搬入した。真梨が同乗して僕と純一と絵梨が車で追いかけた。みんな慌てていたが動転はしていなかった。
叔父が叔母の耳元で「すぐ行く」と言っていたことは家族の中で周知のことになっていた。みな覚悟を決めていた。
叔父は亡くなる前にも、うわごとで「行く、僕が行く、行くから」と何度も言った。叔父の死因は睡眠薬の過剰摂取によるショック死だった。睡眠薬だけなら胃洗浄で何とか持ち直せたかもしれないが高齢の身にワインが効いたようだった。
叔母の死後、叔父は眠れないと訴えて医師から睡眠薬の処方を受けていた。何度も眠れないといっては医師を困らせていた。周到に睡眠薬の調達をしていたのだ。明徳第二病院を選んだのは叔父の意思だ。叔父が僕たち夫婦に言わせたに違いなかった。叔父のすることには抜けがなかった。
叔父は、友人の少ない人だった。妻と娘が何よりも大切、親戚が大事、あとは親しい友人が少し。仕事関係の付き合いは多かったが、それらの付き合いは利害優先で深く付き合うことはなかった。
この周到さや抜けのなさは、時には仕事関係の人間に煙たがられた。こんなに、きっちり段取りをつけてくる人間と付き合うのは誰でもしんどい。友人が少ないのも無理もない話だった。僕が45歳、真梨が42歳の冬だった。
THE SECOND STORY 俊也と真梨 <24 継父の最期>
叔父が亡くなった時、継父は自分の姉が亡くなった時よりも、もっと落胆した。「終わってもたなあ。おもろい付き合い。」とつぶやいた。その継父も、それから5年後に亡くなった。叔父と同い年で逝った。
継父は遺言書とは別に僕宛てに遺書を残していた。「自分は、俊也と聡一の二人とも可愛かった。俊也が自分に恩義を感じているとしたら、それは筋違いだ。」と書かれていた。
そして、「聡一と仲良くお互いの家族を守ってくれ。」と書かれていた。誰が見てもいいように、はっきりと名前を出してはいなかったが、それが純一のことを指しているのが、僕や真梨にはよくわかった。
僕の母は長命だった。今は亡くなった祖母と似てきたような気もする。祖母と僕の母は嫁と姑で血縁ではないのだが、なんとなく似て見える。神経質そうに見えた母も今は、どっしりとした大奥様になっていた。
真梨のことは下にも置かないように大切にした。真梨の誕生日にプレゼントを欠かすことは無く、季節ごとに高価な食べ物を届けてきた。真梨は、それらの贈り物に秘めたメッセージをしっかり受け止めていた。絶対に言葉に出してはいけないメッセージだった。
続く
いつまでもきれいでいたい、あなたのために
高濃度プラセンタとアスタキサンチンがお肌を内側からケア
叔父に何度か僕たちの家へ来るように勧めたが、叔父が自分たちの家から離れることは無かった。「まだ梨花がそのあたりにいるだろうから寂しくはない。」と言ってきかなかった。叔父は几帳面で清潔好きだ。洗濯も掃除も自分でしたが食事はいい加減になっていった。
僕たちの家から近いので、なんとなく家族が出入して賄っていた。叔父の大ファンだった純一だけは叔父の家を離れることができずにいた。深夜に叔父の部屋をのぞくこともあったようだ。
叔父は純一に「心配性だね。梨花に似たんだね。」と言って、それなりに喜んでいた。僕たちは叔父のこの言葉を不自然に思わなくなっていた。
叔母の35日法要をすませて二日後の夜、みんなで叔父の家で夕食をした。叔父が叔母の大切にしていたワインを開けるから来てほしいと皆を集めたのだ。叔母が自分たちの金婚式用に取っておいた年代物のワインだ。叔父と二人で開けるのを楽しみにしていた。
普段飲まない叔父が、この日は、おしゃべりをしながらワイングラス一杯を空けた。食事は叔母の好物の寿司だった。「みんなご苦労だったね。色々お世話をかけた。おばあちゃんも喜んでると思うんだ。このワインは梨花から俊也と真梨へのお礼だよ。」といった。
珍しく孫たちに昔の話をした。「おじいちゃんの両親は早く亡くなって、おばあちゃんと出会うまでは、ずっと一人だったんだ。ちっとも寂しくなかったんだよ。でも、おばあちゃんと出会って一緒に暮らして、今じゃ凄い寂しがり屋になっちゃったんだよ。それなのに先に居なくなっちゃうんだから罪だね、おばあちゃんは。」といった。
叔父が叔母に甘いのは子供たちも慣れていた。ただ叔父が、いわゆるお惚気を言うようなことはなかった。ところがこの日、唐突にお惚気を言われて子供たちも少し驚いたようだった。
真梨は見えないところへ行って涙ぐんだ。絵梨はうつむいて何も言わなかった。純一は黙って叔父をみつめた。この時家族全員が、なんとなく叔父も近いうちに逝ってしまう、そんな覚悟めいた感情をもっていた。
叔父は、そのまま自室に入った。その直後に薬を飲んだようだ。なかなか風呂に入らないので呼びに行った純一が見つけた。すぐ救急車を呼んだが、多分ダメだろう事は分かっていた。錠剤を入れていたジップロックとコップと水差し、遺言書が丁寧にセンターテーブルに並べてあった。
僕は救急隊員に「明徳第二病院にお願いいします。叔母がそちらで待っていると思います。」と口走っていた。真梨も同じように「そうなんです。母が待っているんです。」と言っていた。
救急隊員は「多分そうなります。ここからだと一番早いから。」と言って一瞬不思議そうな顔をして「この方の奥さんですか?」と聞いた。それから、慌てて叔父を救急車に搬入した。真梨が同乗して僕と純一と絵梨が車で追いかけた。みんな慌てていたが動転はしていなかった。
叔父が叔母の耳元で「すぐ行く」と言っていたことは家族の中で周知のことになっていた。みな覚悟を決めていた。
叔父は亡くなる前にも、うわごとで「行く、僕が行く、行くから」と何度も言った。叔父の死因は睡眠薬の過剰摂取によるショック死だった。睡眠薬だけなら胃洗浄で何とか持ち直せたかもしれないが高齢の身にワインが効いたようだった。
叔母の死後、叔父は眠れないと訴えて医師から睡眠薬の処方を受けていた。何度も眠れないといっては医師を困らせていた。周到に睡眠薬の調達をしていたのだ。明徳第二病院を選んだのは叔父の意思だ。叔父が僕たち夫婦に言わせたに違いなかった。叔父のすることには抜けがなかった。
叔父は、友人の少ない人だった。妻と娘が何よりも大切、親戚が大事、あとは親しい友人が少し。仕事関係の付き合いは多かったが、それらの付き合いは利害優先で深く付き合うことはなかった。
この周到さや抜けのなさは、時には仕事関係の人間に煙たがられた。こんなに、きっちり段取りをつけてくる人間と付き合うのは誰でもしんどい。友人が少ないのも無理もない話だった。僕が45歳、真梨が42歳の冬だった。
THE SECOND STORY 俊也と真梨 <24 継父の最期>
叔父が亡くなった時、継父は自分の姉が亡くなった時よりも、もっと落胆した。「終わってもたなあ。おもろい付き合い。」とつぶやいた。その継父も、それから5年後に亡くなった。叔父と同い年で逝った。
継父は遺言書とは別に僕宛てに遺書を残していた。「自分は、俊也と聡一の二人とも可愛かった。俊也が自分に恩義を感じているとしたら、それは筋違いだ。」と書かれていた。
そして、「聡一と仲良くお互いの家族を守ってくれ。」と書かれていた。誰が見てもいいように、はっきりと名前を出してはいなかったが、それが純一のことを指しているのが、僕や真梨にはよくわかった。
僕の母は長命だった。今は亡くなった祖母と似てきたような気もする。祖母と僕の母は嫁と姑で血縁ではないのだが、なんとなく似て見える。神経質そうに見えた母も今は、どっしりとした大奥様になっていた。
真梨のことは下にも置かないように大切にした。真梨の誕生日にプレゼントを欠かすことは無く、季節ごとに高価な食べ物を届けてきた。真梨は、それらの贈り物に秘めたメッセージをしっかり受け止めていた。絶対に言葉に出してはいけないメッセージだった。
続く
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