2019年06月04日
自分史A(病になったばかりだった)
自分史@の続きを行きます。
さて生まれた後は、どうなったのかと
いいますと、非常に私は病弱でした。
いわゆる身体が大変弱かったです。
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@は、5月下旬にブログ内にのせております。
不定期ですが、自分史は、継続的に更新はしていきます。
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少し風邪を引いただけで肺炎や急性胃腸炎をおこし、何度も熱に苦しんだり、嘔吐を起こしておりました。
そのたびに両親は病院へ何度も何度も
連れてってくれました。重い時は入院をしました。
しかし入院しても、注射や点滴は嫌がって大泣きしました。
周囲にいた方も
「おい、静かにしてくれ」
「ほかの子が泣きますから、なだめて下さい」
大きな声で注意をし、何度も両親があやまってました。
しまいには家に帰りたいという「自家中毒」にもなり、治療や食事も一切できない状態だった為
病院側もサジを投げ、一時帰宅を許してもらいました。
それでも両親は愛をもって、元気になれる様に接して下さった事に心から感謝をしております。
今でも覚えているのが私が入院中に同じ位の子とシャボン玉で遊んだ事です。
幼少期の頃は、外へ出て遊ぶという経験がほとんどなかったです。なので今でも小さい子を
見て歩き回っている子をみると不思議と思います。
「あ、羨ましいな。あの頃に戻って元気になって外を歩き回ったり遊べたら」とつい感じる事もあります。
さて、その後はどうやって身体が丈夫になったのかを次回載せます。
実はこれは今でもやっている事でして、私の基礎作りの様なものです。
さて生まれた後は、どうなったのかと
いいますと、非常に私は病弱でした。
いわゆる身体が大変弱かったです。
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@は、5月下旬にブログ内にのせております。
不定期ですが、自分史は、継続的に更新はしていきます。
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少し風邪を引いただけで肺炎や急性胃腸炎をおこし、何度も熱に苦しんだり、嘔吐を起こしておりました。
そのたびに両親は病院へ何度も何度も
連れてってくれました。重い時は入院をしました。
しかし入院しても、注射や点滴は嫌がって大泣きしました。
周囲にいた方も
「おい、静かにしてくれ」
「ほかの子が泣きますから、なだめて下さい」
大きな声で注意をし、何度も両親があやまってました。
しまいには家に帰りたいという「自家中毒」にもなり、治療や食事も一切できない状態だった為
病院側もサジを投げ、一時帰宅を許してもらいました。
それでも両親は愛をもって、元気になれる様に接して下さった事に心から感謝をしております。
今でも覚えているのが私が入院中に同じ位の子とシャボン玉で遊んだ事です。
幼少期の頃は、外へ出て遊ぶという経験がほとんどなかったです。なので今でも小さい子を
見て歩き回っている子をみると不思議と思います。
「あ、羨ましいな。あの頃に戻って元気になって外を歩き回ったり遊べたら」とつい感じる事もあります。
さて、その後はどうやって身体が丈夫になったのかを次回載せます。
実はこれは今でもやっている事でして、私の基礎作りの様なものです。
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