2020年01月30日
鶴ヶ城に行きました。
滅多に行く機会のない郡山に仕事で行くことになりました。郡山は兄が大学時代に住んでいたので、何度か行ったことがあります。また、約50年前の話ですが、小学校の修学旅行で訪れたことがあるので、とても楽しみにしていました。
加えて大学時代の友人がたまたま郡山で仕事をしていると聞いたので、本来なら日帰り出張ですが、翌日休暇を取り、一晩泊まることにしました。
出張の当日は市内で一杯飲んで、翌日は友人の運転で福島観光をすることにしました。
今年は暖冬ですが、出張の2〜3日前に寒波が来て雪が降っていたようなので、冬のこの時期に車で、しかも太平洋側でも豪雪地帯で有名な会津方面に出かけるのは、危ないからのではないかと、友人に事前に打診したのですが、「車は4WDで雪道も慣れているから大丈夫だよ。」「それに走れないほど雪ないよ。」とのことだったので、そんなに気にせずに出かけることにしました。
友人は卒業してから土木関係の会社に勤めて、現場で長く施工管理の仕事をしているので、安心して運転を任せることができそうです。
朝8時に郡山の駅前ロータリーで待ち合わせをして、先ずは鶴ヶ城を目指しました。
郡山中央スマートICから高速道路に入り、新潟に向かう高速道路に乗りました。友人が言っていた通り、雪は遠くの山の上の方に微かに見えるだけで、道端には全く雪はありませんでした。
途中、磐梯山SAで休憩をしました。平日の9時過ぎなので、人影はほとんどありませんでした。お土産屋さんを眺めていると、この地方では有名な張り子の赤べこが置いてありました。
懐かしさを感じながらしばらく眺めていると、丁度いい大きさで千両箱を背負った赤べこが有ったので、お土産に買いました。
我が家にも千両箱をもたらしてくれると良いのですが…。
この辺りに来ると、数日前に降った雪が軒先に集められていて、雪国に着た感じがしてきました。
そして車で走ること30分ようやく鶴ヶ城に着きました。駐車場は貸切状態で、会津若松市内には全くと言っていい程、雪はありませんでした。
雪景色の鶴ヶ城を想像していたのですが、その風景は春間近かの鶴ヶ城でした。
お堀や桜に囲まれて城址公園として、今は綺麗に蘇っている鶴ヶ城ですが、昔は難攻不落の名城とうたわれていました。
戊辰戦争の時に新政府軍の猛攻を受けて籠城すること一ヵ月、旧幕府派(東軍)として最後まで抵抗したのですが遂に敗れて、白虎隊の悲劇を生みました。しかし、その時も城は崩壊しなかったそうです。
後にボロボロになったお城は、石垣だけ取り残して解体されました。そして寄附金により何度かの改修工事を行い、今に至っています。
お城の一番上まで上がって行くと、周囲を一望することができました。
今でも高い建築物がないこの場所は、とても見晴らしが良く、お城としては立地の良い場所なのだなと感じました。
また、飯盛山も近くに見えて、その当時十代の若い戦士が、自決しなければならなかったことに、深い悲しみを感じました。
その後下に降りて、春になったら桜が満開できれ公園を歩いて、茶室燐閣(りんかく)に行きました。
苔むした簡素な庭と茅葺屋根の茶室は穏やかな空気が流れる空間で、庭の隅に作られたテントを改造したスペースで抹茶を飲んで休憩しました。
その抹茶についていたお菓子がまた上品な甘さで、抹茶の苦みと良く調和していました。
そのお菓子のおかげでパワーが一気に回復して今度は飯盛山に向かいました。(続く)
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