新潟県中越地震は、2004年10月23日17時56分、新潟県中越地方を震源として発生したM6.8、最大震度7、震源の深さ13キロの直下型の地震である
〜ニュース記事抜粋〜
私はその頃震源に近い工場の4階で働いていました
すると突然、今まで体験した事もない揺れが襲ってきました
これが地震なんだと分かるまでに20秒ほどかかったと思います
頭が理解するまでに時間がかかりました
その間、体はフリーズ状態
人間てビックリすると固まるんですね
その後、誰が号令かけたわけでもく
みんな退避を開始していました
この尋常じゃない揺れに対して
みんなすぐ避難だと判断したんだと思います
会社には有毒なガスや薬品を使用していましたので
潜在的に危険だと思ってましたからね
❶建物から出ようと出口に差し掛かり、押して開くドアが押しても開かないんです
これには少し焦りましたが、その時はアドレナリンが出ていたのか、すぐドアを蹴破って退避しました
火事場のくそ力ってこの事か!?
建物の外に出た私たちはその後何度も同レベルの余震を体験、その度に起こる地響き、ガラスが割れる音、ビクビクしながらやり過ごしました
その後自宅に帰ることになりましたが、
車の鍵がない!
❷そうです、工事のロッカーに入れてあったので
取りに行けなくなってしまい途方に暮れてました
そうしたら同じ方面に帰る方が声をかけてくれ
同乗させてもらえることになりました
感謝しかない
20キロ離れた自宅へ帰る途中、国道の道路はヒビ割れ、マンホールは飛び出て、まともに走れない状態になっていました
傾いている家もあったり、信号機は斜めになっていたり一変した周囲に唖然としながら帰宅
家に入るとタンスは倒れ、食器は散乱して割れてました
もう電気もつかなくなっていましたので
家の中にいるのは怖いと感じ、家にあった食料を持って車中泊することにしました
その間も何度も何度も余震が襲い、電信柱が倒れるんじゃないか?家が崩れるんじゃないか?とヒヤヒヤしながら過ごした覚えがあります
❸その後2日経ち、家って潰れないんだな?!って事に気付いて、家で過ごす事に
家に戻ったものの、水道、電気、ガス、全てのライフラインがストップ
❹情報もたまたま家にあった電池式ラジオだけが頼りでした
スーパーは自宅から10キロ離れたスーパーが開いているとわかり、少しホッとしました
食料やカセットコンロはそこで調達
これで、食べれる!安堵しました
家があるので寝れる!安堵しました
トイレ・・・アレ?流せない!!!
❺そうです、水洗トイレは水が無いと流せないんです
まさか飲料水で流す訳にはいかないですよね
その時助かったのが、風呂に溜めてあった水なんです!これは重宝しました
バケツにくんでトイレに置いておくんですね
❻そうこうして過ごしていると、一週間経ったか、二週間経ったか、記憶が定かでは無いが
電気がまず復旧、その後水道、ガスという順番で
全てのライフラインが復旧しました
まとめると
❶大地震の時はドアが開かなくなる事があるということ
❷車の鍵は常に手元に置いておくべき
❸家自体は意外と頑丈にできてるので、慌てるな
ただ古い建物は崩れる可能性もあるので注意は必要
新建築基準法の建物はほぼ大丈夫
周囲の建物もほとんど外観は無傷でしたが、古い高床式の家で一部傾いている家があったのは事実
地盤の硬さによっても違いはあります
これを機に調べておくのもいいかもですね
❹電池式ラジオは重宝するので備えておきましょう
❺風呂桶の水は溜めておくべき!これは本当にたすかった
❻復旧はガスが1番遅い
地震て、ある日、突然やって来ます
それまでは他人事のように感じていました
備えあれば憂いなし
最低限の備えはしておきましょう
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