2015年12月05日
☆雲の中から 日の出 桜島
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今日は晴れています。
雲の中から日の出がありました。
以下、ブログ「季節のお便り」からの引用です。
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■12月5日「納めの水天宮」です。■
111130_15.jpg「水天宮:すいてんぐう」は、福岡県久留米市の水天宮「久留米水天宮」を総本社として、古来、農業、漁業、航海業者間に信仰が篤いのみならず、子供の守護神、安産の神として、病難、火災などの除災招福の神として信仰されてきました。
明治天皇御降誕の砌(みぎり:執り行われるところ、場所)、孝明天皇が御祈誓されたことで有名。霊験あらたかなるを以て、明治元年に禁裏御祈祷所(勅願所)とされた名社です。
「水天:すいてん」は、仏教における天部※の一人で須弥山の西に住んでいるとされます。十二天※の一つ、水の神。竜を支配するとされます。古代のイラン・インドのヴァルナという最高神で、バラモン教の聖典「ヴェーダ」の神話にも登場。ゾロアスター教ではこの神をアフラマズダとして称えます。
◇水天起源◇
今から700年程前、平清盛の血をひく安徳天皇は、源氏の厳しい追及に京都から西へ西へと逃げていきました。しかし、壇ノ浦の合戦で源氏の軍船に取り囲まれ、祖母の「二位の尼」に抱かれて母の「建礼門院」と共に波間に身を躍らせました。
お仕えしていた官女の「按察使局:あぜちのつぼね」も壇ノ浦で共に入水しようとしましたが、二位の尼に止められ「お前は生きて、われらの霊を慰めよ」との命を受けます。局は川のほとりに小さな祠を建て、安徳天皇とその一族の霊を慰める日々を送りました。これが水天宮の起源と伝えられています。
◇東京水天宮縁起◇
江戸時代には、大名には参勤交代が義務付けられていました。藩主は、領地を離れて江戸詰をしなくてはなりません。その間、水天宮にお参りができない為、久留米藩第九代藩主、有馬頼徳公は久留米から分霊をして、江戸屋敷内(現在の港区)に、水天宮を祀りました。文政元年(1818)これが東京水天宮のはじまりです。
本来、水天宮は殿様の屋敷神として祀られたもので、一般の人が参拝することは出来ませんでしたが、江戸時代の人々の信仰は次第に高まり、塀越しに賽銭を投げ込む人が後を絶ちません。遂に「五の日」に限り、江戸屋敷が開放され参拝が許されました。
◇情けありまの水天宮、恐れ入りやの鬼子母神◇
人々は「情け深い」ことを感謝する際に、有馬家と水天宮を洒落て「情けありまの水天宮」と囃しました。「恐れ入りやの鬼子母神」と共に、江戸の流行語になりました。
明治4年(1871)水天宮は屋敷の移転と共に赤坂に移り、さらに翌年に現在の日本橋蛎殻町に移転しました。日本橋蛎殻町界隈は、人影もまばらな寂しい場所でしたが、水天宮が移ると共に商店が増え始め、大変な賑わいを見せるようになりました。
拝殿で神様をお呼びする「鈴」を鳴らす布地(サラシ)の鈴紐のことを「鈴乃緒」(すずのお)と呼びますが、この鈴乃緒のおさがりを妊婦が腹帯にしたところ、大変に安産だったとか。水天宮では「戌の日」に安産祈願を済ませた腹帯を「鈴乃緒」と呼んで、授与しています。戌の日には安産祈願の妊婦さんがたくさんお参りします。
納めの水天宮は、今年1年の無事を感謝する参拝者や、古いお札を納めに来る人で賑わいます。
…………(引用ここまで)
The 5th Dimension Age of Aquarius 1969
https://www.youtube.com/watch?v=kjxSCAalsBE
Aquariusは水瓶座です。
豊かな自然の恵みに心から感謝です。
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