2014年10月25日
☆明くれど閉ざす雲暗く…妙円寺参り
昨日24日に伊集院の徳重神社にお参りに行ってきました。
雲一つない秋晴れで、たいへん気持ち良く参拝できました。
今日25日が妙円寺参りの日ですが、すでに中学校や小学校から
学校ぐるみでお参りに来ていました。
参道の両側には、関ケ原合戦時の東軍西軍に参加した武将たちの幟が
立てられ風にはためいていました。
ここで、境内に立てられている由緒書きをご紹介します。
………………………
徳重神社由緒
鎮座地 鹿児島県日置郡伊集院町徳重一七八七番地
御祭神 島津義弘(第一七代藩主)神号精矛巌健雄命
(くわしほこいつたけおのみこと)
由緒 本社は今から約600年前の元中七年(1390)に
伊集院城主長門守忠国の第十一子石屋眞梁(せきおくしんりょう)
禅師が故あって長州大守(山口県)大内義弘の娘法名法智妙円
の霊を弔うため建立した妙円寺(禅寺)がありましたが、明治二年
十一月藩内一般廃仏の制令により廃寺され、(明治十三年に再建)
その跡に同年十二月二十八日建立された神社(後県社)であります。
祭神義弘公は天文四年(一五三五)七月二三日、伊作城(吹上町)に
生まれ天文五年二才の頃から父貴久公(松原神社祭神)と此の伊集院
壱宇治城に移り一六才頃まで十余年をすごされ深くこの地を愛され
ました故に慶長九年(一六〇四)妙円寺を自分の菩提寺に指定し自ら
五百石の寺領を寄進し自己の木像を京都の康厳(こうがん)という者に
作らせて安置されました 本社のご神体がそれであります
旧暦九月一四日の例大祭は義弘公が慶長五年(1600)関ケ原合戦に
於て激戦苦斗され敵の囲みを破り千辛万苦の末帰国されたその苦斗を
偲び戦いの前夜旧藩志氏が泰平の世に志気を鼓舞し心身を鍛錬する
ために鎧甲冑に身を固め遠く五里の山路を往復し、或いは近郷より
陸続して公の霊前に参詣するようになって行なわれる祭典でこれが
妙円寺詣り行事であります。これも義弘公が武勇だけでなく学問の
道にも産業の道にも秀でた徳望の高い御神であるからであります。
公は元和五年(一六一八)七月二一日八五歳をもって加治木で薨(こう)
ぜられました。
公の逝去に際して、これに殉死するもの一三名その霊を慰めるために
地蔵等が西の方に一三基建立されております。
………………………
最後に妙円寺参りの歌を、二十三番までありますが、一番だけご紹介
します。
「妙遠寺参りの歌」 池上真澄作詞
一 明くれど閉ざす雲暗く
すすき刈る萱(かや)そよがせて
嵐はさっと吹き渡り
万馬いななく声高し
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