持ち前の粘り腰は波に乗って鍛えたもの。「(サーフィンのおかげで)土俵際で、残りギリギリで踏ん張れています」と強調する。地元三重・市後(いちご)浜や国府白浜に通い詰めて培った体幹の強さを武器にしている。
開催中の秋場所でもその力を存分に発揮したのが、3日目の二番相撲。68・9キロの白猿は、体重238・8キロの謙豊(33=時津風)と対戦した。体重差は成人男性の約3人分? に匹敵する約170キロ。それでも、力強く、「前に、前に」と攻め立てた。押し込まれながらも土俵際で粘り、最後は軍配差し違えで勝ち名乗りを受けた。まさにサーフィンで鍛えた体の強さが生かされたような一番だった。
6人きょうだいの次男で、入門前は「相撲は全然やっていなくて、ほぼ毎日サーフィンでしたね」という。ボードの上では、左足が前のレギュラースタンス。時には大会に出たり、東京オリンピック(五輪)男子日本代表の大原洋人が講師を務めるスクールを受講したりし、腕を磨いた。勢いよく波から飛び出して空中で横回転する「エアリバース」が好きな技で、大技を成功さようと、複数所有するマイボードで練習を重ねた。
そんな日々は高校2年の頃に変わった。かつて佐渡ケ嶽部屋にいた元琴浦崎で兄の浦崎恭乃介さんの背中を追い、高校を中退して大相撲の世界に飛び込んだ。相撲の経験はほとんどなかったが、土俵上で奮闘する兄の姿に引かれた。
家族も背中を押してくれたことで立浪部屋の門をたたき、昨年の夏場所で初土俵。兄2人を追うようにして、三男で東序二段54枚目の豈亜(がいあ)も同部屋に入り稽古相手として切磋琢磨(せっさたくま)している。
6日目に東大相撲部出身の須山との三番相撲に敗れ「いやぁ〜、強かったですね」と悔しさをかみしめた。まだまだ、大相撲という荒波にテイクオフしたばかり。将来の目標は「翔猿関、翠富士関や炎鵬関のような小兵力士として活躍して、関取になりたい」。そう語る17歳の目は、故郷・伊勢志摩の光る真珠のようにキラキラと輝いていた。【平山連】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)
◆白猿(びゃくえん) 本名・浦崎太陽。2004年(平16)10月5日、三重・志摩市生まれ。高校2年で中退し、立浪部屋に入門。昨年5月の夏場所で初土俵。しこ名は「申(さる)年」などが由来。趣味は映画を見ること。体重は公式では68・9キロだが、「今は72、73キロ」を目指し増量中。
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