2021年12月01日
激辛 クリスチャンライフ
スローライフ の 森
義人が かろうじて
助かるならば
我々は どうすればいいでしょう
義人は いない
一人も いない
しかし
信仰による 義人は 生きる
人が
罪を 犯せば 法的な
裁きを 受けますが
そのあとも
神の前には 依然 罪びとです
未信者は 罪を おかせば
罪が 重なり
さらに
罪が 足を 引っ張り
繰り返しがちに
なってしまいます
クリスチャンは
洗礼を受けたとき
罪 赦されましたが
それは
信じて 洗礼を 受けた人だけ
また 主イエスの 十字架は
現在 過去 未来 の 私たちの
罪を ただ 一度で
贖って くださいましたが
その後 は
罪を 犯してしまった その都度
主に すみません
と 悔い改めを 行い
赦していただくという意味で
罪を 犯していいんでは ありません
不品行なものは
御国に入れない
エペソ4章18節
彼らは その知性において
暗くなり
彼らのうちにある
無知と
かたくなな 心 とのゆえに
神の命 から 遠く離れています
道徳的に 無感覚となった彼らは
好色に身を ゆだねて
あらゆる 不潔 な 行いを
むさぼるようになっています
しかし
私たちは
キリストのことを
このようには まなびませんでした
私も 悩みが あります
男も 女も
そして
若い世代 だけでなく
年を取ると
新たな 悩みがあります
罪を 犯していいのではなく
病人に 必要なのは 医者
罪びとに 必要なのは 神
治るためですよ
やがて来る 栄光の時代に比べたら
今の 世の 悩みなんか
問題ではないです
そして
終わりの 時代に 生きている
クリスチャン
携挙のチャンスが まだある クリスチャン
教会時代の 終わりが 近づいている今
伝道 する仕方に
率先悔い改め これも
今の 不品行な 時代には
立派な 伝道ではないですか
放蕩にふけっているところに
主が お戻りにならないよう
ちゃんと 目を覚ましていましょう
こうかけば
目を覚まして 居なさい の
意味が分かりますか
私は 艱難前 携挙を 信じています。
激辛だろ!
めにゅー
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