2019年02月12日
サイモンとガーファンクル(;’∀’)
サイモン&ガーファンクル
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サイモン&ガーファンクル
Simon & Garfunkel
SimonandGarfunkel.jpg
1981年ダブリンでのコンサートにて。
ポール・サイモン(右)、アート・ガーファンクル(左)。
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国・ニューヨーク
ジャンル フォークロック
ポップ
活動期間 1964年 - 1970年
以後断続的に再結成している
レーベル コロムビア・レコード
公式サイト 英語のオフィシャルサイト
メンバー ポール・サイモン (ボーカル、ギター)
アート・ガーファンクル (ボーカル)
サイモン&ガーファンクル(Simon & Garfunkel, サイモンとガーファンクル)は、1960年代に活躍した、ユダヤ系アメリカ人のポール・サイモンとアート・ガーファンクルによるポピュラー音楽ユニット。
1964年にデビューし1970年に活動を停止するまで、フォーク、フォーク・ロックを代表するユニットとして数々のヒット曲を世に送るとともに、その美しいハーモニーとギターによるアンサンブルは後続のアーティストに多大な影響を与えた。以後も折に触れて2人で活動している。1990年にロックの殿堂入りを果たした。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第40位。
目次
1 略歴
2 ディスコグラフィー
2.1 シングル(日本編集盤)
2.2 シングル(米国)
2.3 アルバム
2.4 アルバム(米国)
3 日本公演
4 関連項目
5 外部リンク
略歴
ニューヨークの小学校時代からの親友だった、ポールとアートは、1957年に「トム&ジェリー」を結成(ポールはジェリー・ランディス(Jerry Landis)、アートはトム・グラフ(Tom Graph)という芸名を使用)し、デビュー曲「ヘイ・スクールガール」を小ヒットさせた。その後、2人は大学での学業に専念するが、1963年に再びコンビを組み、1964年にグループ名をサイモン&ガーファンクルと改めて、アルバム『水曜の朝、午前3時』でデビューした。
しかし、発売初年度の売上が3,000枚と惨憺たるものであったので、ポールはヨーロッパ放浪の旅へ出てしまい、アートもデビュー前に通っていた大学院へと戻ってしまったが、プロデューサーのトム・ウィルソンが、アルバム収録曲「サウンド・オブ・サイレンス(The Sound of Silence)」にエレキギターやドラムなどを加えてシングル発売したところ、これが大ヒット。サイモン&ガーファンクルは、一躍人気フォークロック・デュオとなる。
なお、「キャシーの歌(Kathy's Song)」は、ポールがイギリスに長期滞在していた際に交際していたガールフレンドに贈った曲である。キャシーは、ポールが歌っていたパブで券もぎ係をしていた女性であった。また、「アメリカ」の歌詞で触れているKathyと同一人物で、2人でアメリカ旅行に出掛けた際に書いたとされている。ポールのアルバム『ポールサイモン・ソングブック(Paul Simon Song Book)』に、若かりし頃のポールとキャシーが写っている。
その後も、ポールの作り出す哲学的・思索的な深い内容の詞・曲とアートの美しい歌声、そして2人の絶妙なハーモニーが受けて「スカボロー・フェア/詠唱 (Scarborough Fair/Canticle)」「ミセス・ロビンソン (Mrs. Robinson)」などが大ヒット。1967年12月公開の映画『卒業』の音楽を担当し、映画の成功と共に劇中歌「サウンド・オブ・サイレンス」が大ヒットし、日本をはじめ世界的にも大きな成功を収めた。当時は「サイモンとガーファンクル」と表記されていた。
だが、1970年発表のアルバム『明日に架ける橋 (Bridge Over Troubled Water)』の制作中に、ポールとアートの音楽に対する意見の違いが表面化した。『明日に架ける橋』は、全世界で売上が1,000万枚を超える大ヒットとなり、グラミー賞の最優秀レコード賞・最優秀アルバム賞を受賞したものの、このアルバムを最後に2人はそれぞれのソロ活動に入った。
1972年6月14日、民主党大統領候補ジョージ・マクガヴァン支援コンサートに揃って登場し「スカボロー・フェア」、「ボクサー」、「明日に架ける橋」などを歌った。
1975年には「マイ・リトル・タウン」をS&Gで録音し、それぞれのソロ・アルバム(ポール『時の流れに』、アート『愛への旅立ち』)に収録しているほか、1978年にアートが発表した『ウォーターマーク』に収録されている「ワンダフル・ワールド」では、ジェームス・テイラーと共にギターとボーカルでポールも参加しており、透明感あふれる3人のハーモニーを披露している。
1981年9月19日には、ニューヨークのセントラル・パークで再結成チャリティコンサートを開いて53万人もの観衆を動員し、世界ツアーを行った(1982年にはS&Gとして初来日し、後楽園球場と大阪スタヂアムでコンサートを行っている)。この時、ポールの作品にアートが参加する形でアルバム制作が行われたが、作品に対する意見の食い違いから、結局ポールのソロ・アルバム(『ハーツ・アンド・ボーンズ』)としてリリースされた。このアルバムに収録された曲のいくつかは、アートも録音に参加し、発売直前まで完成していた。その後、2人の間は疎遠になっていった。2003年には、ポールがソロとしてロックの殿堂入りした際に、わざわざ「ガーファンクルとは仲直りしたい」とスピーチで述べているほど、2人の関係は冷え切っていた。しかし、この疎遠な関係はあくまで音楽家としてであり、音楽を離れたプライベートでは、一緒にスイスへスキー旅行へ行くなど、旧友としての親交はその間も続いていたと言われている。
近年は1993年、2003年と度々再結成を行い、全米ツアーなどを行っている。1993年12月1日には「Event of a lifetime Tour」の東京公演・福岡公演としてそれぞれ東京ドームと福岡ドームで再来日公演を行なった。この際、南こうせつが前座を務めた。2009年7月には16年ぶりの来日公演を行い、約15万人を動員する成功を収めた。2人の年齢からして最後の来日公演となるのではと言われている。ポール本人も「2人とも年齢の事もあるし」と、今回の再結成が最後になることを示唆した発言をしている。その一方で、2015年5月にはアートがインタビューでポールの事を「馬鹿者」と言いながらも、再始動を望んでいることを明らかにしている。
彼らの作品は多くのミュージシャンにカバーされ、歌い継がれている。「明日に架ける橋」はアレサ・フランクリンやエルヴィス・プレスリーのバージョンがよく知られ、「冬の散歩道」はバングルスのバージョンが全米2位を記録した。
ディスコグラフィー
シングル(日本編集盤)
サウンド・オブ・サイレンス - The Sound of Silence (1966年、1968年)
アイ・アム・ア・ロック - I Am a Rock (1966年)
早く家へ帰りたい - Homeward Bound(1966年)
冬の散歩道 - A Hazy shade of Winter(1967年)
フェイキン・イット - Fakin It (1967年)
動物園にて(CBSソニーでのアルバム『ブックエンド』でのタイトル)夢の動物園(日本コロムビアでシングル盤として 発売された当時のタイトル)At the Zoo (1967年)
スカボロー・フェア (1968年)
ボクサー - The Boxer (1969年)
明日に架ける橋 - Bridge over Troubled Water (1970年)
いとしのセシリア - Cecilia (1970年)
コンドルは飛んで行く - El Condor Pasa (If I Could) (1970年)
バイ・バイ・ラブ (1970年)
アメリカ (1971年)
エミリー・エミリー (1972年)
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