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2024年02月05日

1・3 ジョン・スノウ−疫学の始まりといわれるジョン・スノウは三要素を用いた記述研究をしたのか?誰も教えてくれない疫学の始まりを紹介します−

「疫学の歴史は、1850年代のイギリス(ロンドン)におけるコレラの流行をもって始まるといわれている」1)とされるように、疫学の始まりはイギリスでコレラの流行を終わらせたジョン・スノウであるとほとんどの疫学の本で記述されています。
そして、ジョン・スノウが疫学3要素を用いた記述的な研究により因果関係の仮説を立ててコレラの危険因子を明らかにして流行を収めたかのような記述がよくみられます1)2)。確かに記述研究は原因不明な疾病が流行しているときに最初に行う研究だということが知られています。しかし、記述研究で得られた結果の科学的根拠は弱く仮説のレベルにすぎないこともよく知られていることです3)。特にスノウの業績として紹介される「スポット地図(spot map)については記述的な研究のイメージが強いと思われますが実はそうではないようです。

スポット地図は、コレラ患者の死亡者の家を黒く塗りつぶした地図のことをいいます。1854年9月の初旬の死亡者が歴史的多数となった流行時(時間)のスポット地図を見ると、ブロード・ストリートにコレラ死亡者の家が集中(場所)していることがわかります。そして、ブロード・ストリートの人々(人)はブロード・ストリートの井戸を飲んでいた。そこで井戸の水が原因ではという仮説に基づいて井戸を封鎖したら流行が収ったというような話が語られることが多いようです1)2)。
しかし、ジョン・スノウは、スポット地図の三要因から推測した因果関係では証拠の力が弱いと考え、比較対照のデータが必要であること。さらにその感染源であろうブロード・ストリートの井戸水を他の流行のない地域の人に曝露させて罹患の有無を確認する必要があると介入研究の必要性も考えました。介入研究は最も科学的根拠が強い研究デザインです。そこで、ブロードストリートの場所で生き残っている事例とブロードストリート以外の場所で死んでいる事例を調べました。すると、ブロード・ストリートで生き残っている救貧院やライオン醸造所などの人々は独自の井戸を持ちブロード・ストリートの井戸の水を飲んではいませんでした。また、クロス・ストリートやハムステットのようなブロード・ストリートから離れた場所での死亡事例はブロードストリートの井戸水をおいしいくきれいだから(他の井戸水より澄んでいた)という理由などでわざわざ運んで飲んでいたことが明らかになりました4)。
これにより、コレラの流行していない場所でもブロード・ウエイの井戸水を飲んだ人は死亡すること。コレラの流行している場所でもブロード・ウエイの井戸水を飲まないと死亡しないことを確認されました。これは、非計画的な曝露の有無の比較試験という実験(介入研究)が自然に行われてしまったものを観察することで、記述研究のような仮説レベルではない強い因果関係の証拠を手に入れたと考えられます。 
ジョン・スノウからこの話を聞いたセント・ジェームズ教区役員は、ブロードストリートの井戸水の水質の高さを自負してたことや当時の通説である瘴気説(空気感染)を信じていたことから信じられなかったものの、これに代わる予防策もないため、井戸水を閉鎖することにしました。井戸水の柄を取り外してからすぐにコレラの流行は終わりました5)。

スポット地図以外にスノウの有名な研究は、水道会社の利用者の比較研究によるものです。それは、30万人の地域住民を対象とした大規模な非計画的なランダム化比較試験のブラインド法(介入研究)によってコレラの原因は汚染された水だということを明らかにしたものです。このランダム化比較試験は現代の疫学で最も科学的根拠が強いと考えられている実験デザインです。

スノウは過去の流行時のデータ(時間)を調べた結果、テムズ川の南側はコレラの罹患が多く、北側は少ないことに気がつきました(場所)。そして南側はテムズ川の下流で採水している水道の水を飲んでいる(人)ことから汚染された水が原因でコレラに罹患するのではという仮説を立てました(記述研究)。当時のテムズ川は無処理でし尿など下水を流していたため汚染されて問題になっていました。この仮説を論文にして発表したもののあまり評価されませんでした。南部に罹患が多い事は明らかになったが、その原因が水ではなく汚染された空気が原因(当時の通説)ではないかと批判されました。当時のロンドンは糞尿が水だけでなく山積みにされて空気も汚染(悪臭)していました。スノウも汚染されたであろう水の水質検査を何度も行いましたが当時の顕微鏡のレベルでは原因らしきものは何も見つかりませんでした。

そこで、スノウは、空気の汚染がないとされるコレラの流行のない地域で汚染された(であろう)水を運び、それを飲んだ人と飲まない人で比較対照実験を行う必要があると考えるに至りました6)。そしてその実験は実際に非人工的に行われてしまったのです。
テムズ川南部は、S&V社とランベス社の2社の水道会社が支配していました。この2社はテムズ川下流で取水していましたがテムズ川がし尿などで汚染されていたため取水を上流にする行政指導がありました。ランベス社はすぐに取水管を上流に移したもののS&V社はなかなか移動しませんでした。
この時、まさしく、対象となる南部地域の30万人の人々の水道菅は地域単位ではなく「完全に無作為に7)」「無秩序8)」に連結されていたために、「下水に汚染された水の曝露群」と「汚染されていない水を曝露する群」に無作為割付されてしまったのです(非計画的)。しかも、本人たちが危険因子の曝露と非曝露の2群に割付けられたことを知らないままに行われてしまいましたことからブラインド法までもが非人工的に用いられました。そして、その結果、「下水に汚染された水の曝露群」は「汚染されていない水を曝露する群」と比較しておよそ8倍コレラの死亡率が高かったことが確認されました9)。このことから汚染された水の曝露がコレラの原因であることがわかりました。汚染された水にコレラ菌があることがわかったのは、それから27年後でした。

 ジョン・スノウの疫学研究は、単に、時間、場所、人と疾病の頻度や分布を記述して因果関係の仮説を形成するだけでなく、非計画的ではありましたが、無作為比較試験という最も科学的根拠の強い実験を行い、コレラの因果関係を明らかにしました。ジョン・スノウが疫学の始まりであるというのは、当時の単なる保健統計学にとどまっていた記述的な研究から「人間集団での因果関係を明らかにする科学」という「疫学」を確立したからだと考えられます。

1)中村好一 「基礎から学ぶ楽しい疫学」医学書院、2007年、3〜5項
2)牧本清子ら「標準保健師講座・別巻2 疫学・保健統計学」医学書院、2023年、2頁
3)坂本尚正ら「はじめて学ぶ やさしい疫学−疫学への招待−」南江堂、2007年 第5版、35頁
4)スティーヴン・ジョンソン「感染地図−歴史を変えた未知の病原体」河出書房新社、2,008年 第2版、86〜151頁
5)スティーヴン・ジョンソン「感染地図−歴史を変えた道の病原体」河出書房新社、2008年、第2版、169〜170頁
6)スティーヴン・ジョンソン「感染地図−歴史を変えた道の病原体」河出書房新社、2008年、第2版、82〜85頁
7)William Anton Oleckno「しっかり学ぶ基礎からの疫学」(柳川洋、萱場一則監訳)南山堂、 2000年、16貢
8)スティーヴン・ジョンソン「感染地図−歴史を変えた道の病原体」河出書房新社、2008年、第2版、118頁
9)牧本清子ら「標準保健師講座・別巻2 疫学・保健統計学」医学書院、2023年、9頁
7)William Anton Oleckno「しっかり学ぶ基礎からの疫学」(柳川洋、萱場一則監訳)南山堂、 2000年、17貢

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