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2021年10月05日
戦争で右腕を失ったピアニスト パウル・ウィトゲンシュタイン
ウィトゲンシュタイン家の人びと [ アレグザンダー・ウォー 著]
ウィトゲンシュタイン家の人びと [ アレグザンダー・ウォー ]
少し、自分のことに縛られて記事の更新を怠けていましたが、久々の投稿です。グロトリアンは僕の口実でしか無いので、また、関係ないこと書いてるなぁと思ってください。いずれまた、その記事も書かせていただきます。
ウィトゲンシュタイン家の人々
「ウィトゲンシュタイン家の人々」という本があります。そこには18世紀から20世紀をウィーンで過ごし、自らが芸術家や哲学者として、また、パトロンとして多くの著名な芸術家などを輩出した一族の物語が描かれています。彼ら一族は富豪でもありながら、数奇な運命を背負った一族です。今回はその一族の中から、戦争で右腕を失ったピアニスト「パウル・ウィトゲンシュタイン」について紹介します。
※面倒くさい人は、「最後に」だけ読んでください。
パウル・ウィトゲンシュタインの人物像
【パウル・ウィトゲンシュタイン(Paul Wittgenstein)】1887年5月11日 - 1961年3月3日
今回から気が向いたら生年月日なども記載します。同じ誕生日の方などいたら、私と同じ日に生まれたとか、同じ日に亡くなったんだとか感じてみてください。
彼は、オーストリア生まれのピアニストで、ユダヤ人の血を引いています。
第一次世界大戦、ポーランド戦線で、ロシア軍の捕虜となりましたが、この時負った傷のため、右腕は切断することになってしまいました。大戦が終わり、右腕を失った後も練習を重ね、演奏活動を続け、様々の作品を左手だけのために編曲し、かつて師事したヨーゼフ・ラボール(このラボール自身も盲目)がパウルのために作曲した作品を習得しました。こうして再びコンサート活動を再開したパウルは「片腕のピアニスト」として有名になり、多くの人々に愛されました。また、ヨーゼフだけでなく、多くの著名な作曲家(私もあまり知らないし、みなさんも知らないと思いますので端折ります)に依頼して左手だけで演奏可能な作品を残しました。「左手のためのピアノ協奏曲」(作曲:モーリス・ラベル)
彼の遺したこの人生は、今もなお、腕を失った多くのピアニストの励みとなっています。
【経歴】
アシュケナジム・ユダヤ人の実業家「カール・ウィトゲンシュタイン」※の息子としてウィーンに生まれ、2歳年下の弟には哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインがいます。ってあまり知らないですよね。面白いですけどね、今日はどうでもいいです。詳しくは例のWikipediaででも調べてください。1946年にアメリカ合衆国の市民権を取得しています。
※カール・ウィトゲンシュタイン(Karl Wittgenstein, 1847年4月8日 - 1913年1月20日)
カール・ウィトゲンシュタインは大変興味深い方です。
19世紀オーストリアにおける芸術家のパトロンとしても著名であった人です。法律家であり芸術にも造詣が深かった兄パウルの紹介により、彼の邸宅にはヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms、1833年5月7日 - 1897年4月3日)やパブロ・カザルス(Pablo Casals、1876年12月29日 - 1973年10月22日)などの音楽家やウィーン分離派に属する画家、建築家が出入りしていました。
セセッション館(独:Secessionsgebäude)
ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ(Joseph Maria Olbrich、1867年12月22日 − 1908年8月8日)の設計によるセセッション館(分離派会館)はウィトゲンシュタインの援助により建設されている。ウィトゲンシュタインは事業においても芸術作品の興味についても反伝統主義的であった。親交を持った人物には、ヨーゼフ・ホフマン(Josef Franz Maria Hoffmann、 1870年12月15日 - 1956年5月7日)、フェリックス・メンデルスゾーン(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809年2月3日 - 1847年11月4日)、オーギュスト・ロダン(François-Auguste-René Rodin、1840年11月12日 - 1917年11月17日)などがいます。カールの子供や甥、姪の住むアパルトメントの室内装飾の多くはヨーゼフ・ホフマンが手がけており、グスタフ・クリムト(以前紹介済み)には娘たちの肖像画を依頼しています。
やっぱり、文章の中に入れると見にくいですね。あとで作り直そうかな。
最近、やっつけで丁寧に作っていなくて申し訳ありませんが、名前の方たちのことについては、本を読むか、ご自分で調べてみてください。
【その他の片腕のピアニスト】
・レオン・フライシャー(Leon Fleisher, 1928年7月23日 - )は、アメリカ合衆国のピアニスト・指揮者。この方もユダヤ系の方です。
・舘野泉さん(たての いずみ、1936年11月10日 - )は、東京生まれのフィンランド在住のピアニスト。この方は腕が無いわけではありません。2002年1月9日、フィンランド・タンペレでのリサイタル中に脳溢血で倒れ、その後遺症として右半身に麻痺が残り右手が動かなくなってしまいました。2003年8月のオウルンサロ音楽祭で復帰を果たしました。⇒舘野泉さん公式サイト
“舘野泉の左手”のために捧げられた作品は、10ヶ国の作曲家により、80曲にも及びます。
舘野泉さんによる演奏です。
ほかにも、最近ではニコラス・マッカーシーさん(1989年生まれ、生まれつき右腕が半分ほどしか無い)という方など沢山いらっしゃいますが、「戦争で失う」ってのは悲しいですね。
勿論、病気や生まれつき、事故で腕や指を無くされた方も思いは同じだと思いますが・・・
でも、みんな頑張って活躍されています。
心身に障がいが無い方は負けないように頑張ってください。
障がいのある方も頑張って働いています。
その方たちの気持ちを本当に解かってあげることは、私にはできませんが、応援はできます。
大きなお世話かもしれませんが・・・。
最後に
何故だか、解かりませんが、『左手のピアニスト』が多いのは何故でしょう?
神様・・・私は良い神様などの存在を信じません。
『右手のピアニスト』には、樋上眞生さんという方がいらっしゃいます。
その他にも「指の無いピアニスト」
「発達障害を抱えたピアニスト」もいます。
親御さんも、さぞ、喜んだと思います。
健常者の皆さんは、頑張ってください。
以上。
今日はここでやめておきます。
別に、こんな本はこのサイトで買ってくれなくてもいいです。
私が伝えたいこと、やりたいことはそんなことじゃありません。
働け。
後の追記は、いつものやつです。興味のある方だけ読んでください。
⇒あなたの不要になった楽器が新たな価値を生み出します。
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