2011年05月25日
幻の謝恩会
今年、長女が小学校を卒業しましたが というお話。
311の東日本大震災で、予定されていた謝恩会が中止になりました。
それはそれで役員の懸命な判断だったと今でも思っています。
娘が通った小学校では、クラス毎に父兄が出し物をするのが伝統です。
(子供は参加しません)
今日、中学校、1学年の懇親会がありました。
同じ学校のクラスメイトだった親同士が集まると、幻の謝恩会(出し物)の
話で盛り上がります。
父兄の集まりには殆ど顔を出さなかったパパス(夫)ですが、謝恩会の余興練習
だけは毎回出席し、一生懸命に練習していました。
そのとき、彼が言った印象的な言葉があります。
「子供は6年間頑張った、でも俺は何も貢献できなかった・・・」
「先生とも、他の親御さんとも、もっと近い存在でいられたら、この卒業は
もっと、もっと感動的だったと思う」と。
仕事で忙しく、集まりには私が出席していたので、パパスは自分が何もして
こなかったこと(できなかったこと)を、とても悔やんでいる様子だった。
せめて最後くらい・・・ 彼なりに一生懸命だった。
そして、それも幻となった。
でも彼が馬鹿げた余興に一生懸命だった事は、今日の懇親会で改めて痛感した。
声をかけてくれる元同級生の父兄の方々。
「今日はパパスは来ないの・・・」
「謝恩会残念だったね・・・ 旦那さん頑張ってたのにね・・・」
そして今年、パパスは二女の学年の役員に立候補した。
同じ後悔は二度としない。
自分の人生も品質管理している人。
311の東日本大震災で、予定されていた謝恩会が中止になりました。
それはそれで役員の懸命な判断だったと今でも思っています。
娘が通った小学校では、クラス毎に父兄が出し物をするのが伝統です。
(子供は参加しません)
今日、中学校、1学年の懇親会がありました。
同じ学校のクラスメイトだった親同士が集まると、幻の謝恩会(出し物)の
話で盛り上がります。
父兄の集まりには殆ど顔を出さなかったパパス(夫)ですが、謝恩会の余興練習
だけは毎回出席し、一生懸命に練習していました。
そのとき、彼が言った印象的な言葉があります。
「子供は6年間頑張った、でも俺は何も貢献できなかった・・・」
「先生とも、他の親御さんとも、もっと近い存在でいられたら、この卒業は
もっと、もっと感動的だったと思う」と。
仕事で忙しく、集まりには私が出席していたので、パパスは自分が何もして
こなかったこと(できなかったこと)を、とても悔やんでいる様子だった。
せめて最後くらい・・・ 彼なりに一生懸命だった。
そして、それも幻となった。
でも彼が馬鹿げた余興に一生懸命だった事は、今日の懇親会で改めて痛感した。
声をかけてくれる元同級生の父兄の方々。
「今日はパパスは来ないの・・・」
「謝恩会残念だったね・・・ 旦那さん頑張ってたのにね・・・」
そして今年、パパスは二女の学年の役員に立候補した。
同じ後悔は二度としない。
自分の人生も品質管理している人。