2015年10月06日
大村智教授 逆転の発想で熱帯病治療薬開発 ノーベル医学・生理学賞
ノーベル医学・生理学賞に輝いた北里大特別栄誉教授の大村智さん(80)は、固定観念にとらわれない柔軟さと行動力で、微生物が作り出す天然化合物を次々に発見。
熱帯の人々を失明の恐怖から救った画期的な治療薬は、常識破りの逆転の発想から生まれた。(黒田悠希)
20代のとき高校教師の傍ら東京教育大(現筑波大)の研究生になった大村さんは、天然物有機化学の研究で著名な中西香爾(こうじ)氏の講義を聴き、学問への興味を深めていった。
中西氏の紹介で東京理科大大学院に進学。当時、日本に1台しかなかった核磁気共鳴装置(NMR)を使って、有機化合物の構造を決定する研究を積む。この技術習得が研究人生を大きく支えた。
昭和38年、山梨大の助手になり、酵母を使った研究に取り組んだ。ブドウ糖が一晩でアルコールに変わるのを見て、微生物の面白さに目覚めた。
40年に北里研究所に技師補として入り、抗生物質研究室で本格的に研究者としての道を歩み始めた。天然化合物の構造を決定し、多くの研究者から注目を浴びる論文を執筆した。しかし、それは他人が見つけた化合物だった。「楽をしているだけではないか。自分で物質を見つけたい」。この決心が、後の歴史的な新薬誕生につながった。
48年に米国から帰国し、北里研究所の室長として、本格的に微生物が作り出す化合物を探し始めた。研究チームはどこにでも小さなポリ袋を持参。ありとあらゆる場所で土を採取しては微生物を探す日々が続いた。
当時の抗生物質の研究は、天然の化合物から役に立つ性質を見つけ、その後に構造を決定するという流れだった。しかし大村さんはその定石を無視し、逆をいった。化合物を見つけて構造を決定し、その後に性質を解明する作戦だ。
熱帯の多くの人々を病魔から救った化合物「イベルメクチン」も、この逆転の発想がなければ見つからなかったと振り返る。「他人と同じことをやっていてもだめだからね」
当初は家畜の寄生虫駆除剤として製品化されたが、その後の研究で、失明をもたらす「オンコセルカ症」という熱帯病にも有効なことが判明。熱帯病治療薬開発につながった。
「動物だけでなく人間にも効くと分かったとき、とてもうれしかった」。風土病の撲滅に向けた貢献は世界的に評価され、科学者としての最高の栄誉に輝いた。
この化合物は静岡県伊東市内の土壌中にいた新種の放線菌から見つかったが、“発見者”は不明だという。「研究室のメンバーでとにかく土を取りまくっていたから、誰がこの土壌を持ってきたのか分からない」と笑う。
大村さんは「研究を経営する」という独自の考え方を持つ。企業から研究資金を得て有用な化合物を見つけ、使用権を企業に渡す。実用化されたら売り上げに応じた特許料を研究室に入れるというものだ。この方式で米国留学中に米製薬大手メルクと共同研究を始めたことが、イベルメクチンの医薬品化につながった。
「当時は今のように企業との共同研究は推進されていなかったし、むしろ嫌がる雰囲気があった」。柔軟で独創的な研究戦略は、日本の成長戦略の柱でもある産学連携の先駆けだった。
研究室が見つけた化合物は実に500種類近くに及ぶ。英語名の頭文字はAからZまであり、うち26種類が実用化された。これだけ発見するのは並大抵のことではなく、「世界でもうちくらいだろうね」
実験はいつも長時間に及んだが、つらいと思ったことはない。スポーツで培った体力や精神力に加え、持ち前の明るさで乗り越えてきた。「子供時代の野良仕事と比べれば、特段大変じゃないんだよ」と笑った。
熱帯の人々を失明の恐怖から救った画期的な治療薬は、常識破りの逆転の発想から生まれた。(黒田悠希)
20代のとき高校教師の傍ら東京教育大(現筑波大)の研究生になった大村さんは、天然物有機化学の研究で著名な中西香爾(こうじ)氏の講義を聴き、学問への興味を深めていった。
中西氏の紹介で東京理科大大学院に進学。当時、日本に1台しかなかった核磁気共鳴装置(NMR)を使って、有機化合物の構造を決定する研究を積む。この技術習得が研究人生を大きく支えた。
昭和38年、山梨大の助手になり、酵母を使った研究に取り組んだ。ブドウ糖が一晩でアルコールに変わるのを見て、微生物の面白さに目覚めた。
40年に北里研究所に技師補として入り、抗生物質研究室で本格的に研究者としての道を歩み始めた。天然化合物の構造を決定し、多くの研究者から注目を浴びる論文を執筆した。しかし、それは他人が見つけた化合物だった。「楽をしているだけではないか。自分で物質を見つけたい」。この決心が、後の歴史的な新薬誕生につながった。
48年に米国から帰国し、北里研究所の室長として、本格的に微生物が作り出す化合物を探し始めた。研究チームはどこにでも小さなポリ袋を持参。ありとあらゆる場所で土を採取しては微生物を探す日々が続いた。
当時の抗生物質の研究は、天然の化合物から役に立つ性質を見つけ、その後に構造を決定するという流れだった。しかし大村さんはその定石を無視し、逆をいった。化合物を見つけて構造を決定し、その後に性質を解明する作戦だ。
熱帯の多くの人々を病魔から救った化合物「イベルメクチン」も、この逆転の発想がなければ見つからなかったと振り返る。「他人と同じことをやっていてもだめだからね」
当初は家畜の寄生虫駆除剤として製品化されたが、その後の研究で、失明をもたらす「オンコセルカ症」という熱帯病にも有効なことが判明。熱帯病治療薬開発につながった。
「動物だけでなく人間にも効くと分かったとき、とてもうれしかった」。風土病の撲滅に向けた貢献は世界的に評価され、科学者としての最高の栄誉に輝いた。
この化合物は静岡県伊東市内の土壌中にいた新種の放線菌から見つかったが、“発見者”は不明だという。「研究室のメンバーでとにかく土を取りまくっていたから、誰がこの土壌を持ってきたのか分からない」と笑う。
大村さんは「研究を経営する」という独自の考え方を持つ。企業から研究資金を得て有用な化合物を見つけ、使用権を企業に渡す。実用化されたら売り上げに応じた特許料を研究室に入れるというものだ。この方式で米国留学中に米製薬大手メルクと共同研究を始めたことが、イベルメクチンの医薬品化につながった。
「当時は今のように企業との共同研究は推進されていなかったし、むしろ嫌がる雰囲気があった」。柔軟で独創的な研究戦略は、日本の成長戦略の柱でもある産学連携の先駆けだった。
研究室が見つけた化合物は実に500種類近くに及ぶ。英語名の頭文字はAからZまであり、うち26種類が実用化された。これだけ発見するのは並大抵のことではなく、「世界でもうちくらいだろうね」
実験はいつも長時間に及んだが、つらいと思ったことはない。スポーツで培った体力や精神力に加え、持ち前の明るさで乗り越えてきた。「子供時代の野良仕事と比べれば、特段大変じゃないんだよ」と笑った。