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2020年01月01日

島根には古いものが残っている、文化が残っている

島根は古くから栄えたところだ。
神在月がある唯一の地域でもある。
また、松江城という国宝もある。
そもそも、国宝だったのに、取り消されて63年ぶりに復活したということ。
もともと古くからの歴史が残っているということだ。
お茶の世界ではやはり不昧公。
来年もさらなる新しい発見があるのではないか?期待したい。

Yahoo!より、
63年ぶりの国宝! 松江城天守の“特殊構造”を編み出した名将の築城術とは?
9/14(土) 11:00配信文春オンライン
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190914-00014003-bunshun-life
記事より、
 松江城(島根県松江市)を訪れるのは、6度目、3年ぶりのこと。以前『城の科学〜個性豊かな天守の「超」技術』という著書を出版した際、国宝指定されて間もない松江城天守を取材させてもらったのです。松江城天守は平成27年(2015)、5つめの国宝天守に指定されました。国宝天守の誕生は実に63年ぶりでした。
 実は、日本の城は謎だらけで、犬山城(愛知県犬山市)や彦根城(滋賀県彦根市)の天守も、国宝だからといってすべてが解明されているわけではありません。松江城天守の国宝指定は、調査・研究の賜物。放射性炭素年代測定(ウィグルマッチング法)による部材の年代測定調査など最新の調査方法も導入されており、天守解明の新たな1ページがめくられたといっていいでしょう。
苦肉の策で編み出された天守の構法
 国宝化の決め手のひとつは、独自の建築技法が明らかになったことです。建築上の最大の特色は、通し柱の使い方。下の図にあるように、地階と1階、1と2階、2と3階、3と4階、4と5階、というように、2階分の通し柱を交互に配することで天守を一体化しています。姫路城(兵庫県姫路市)の天守は地階から6階の床までを貫通する2本の通し柱(心柱)が支えているのに対し、松江城天守は2階ずつを通し柱で支えて均一に荷重をかけているのです。
 2階分の通し柱をずらすように配置することで、天守の荷重が下の階に直接かからないしくみです。逆Tの字のように、荷重を外方向へ分散させながら、下方向に伝えます。おそらく、姫路城天守ほどの長大な通し柱が調達できず、代替策としてこの方法が編み出されたのでしょう。
 松江城天守の構法は天守の発展にも大きく影響し、その後の丸亀城(香川県丸亀市)や宇和島城(愛媛県宇和島市)の天守などでも採用され、やがて大坂城(大阪府大阪市)や名古屋城(愛知県名古屋市)の天守にも用いられるようになったと推察されています。
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