その後80まで生きたとしても20年間は果たして体が思ったように動くのか先の保証はありません。
そう考えてみると何をしなければならないのか、何の為にこの世に自分が生まれて来たのか、疑問が湧いてきます。
そんな中から一日でも無駄に出来ない、ワンカットの積み重ね、いわゆる鼓動哲学の原点を見出したのです。
あれから55数年、今78歳ですが自分ながらよくぞ己の鼓動と対話をし無駄のない日々を過ごして来たものだと感心しております。
これから世に出て活躍する若い人達に是非鼓動哲学、これを頭の隅に置いて自分の鼓動をどう使い切るか本気で考えて欲しい。
願いを込めて今回鼓動哲学を公表しました。
常に若かろうが年をとろうが鼓動という側面から己を見つめ、そして周りを見つめてワンカットワンカットの人生アルバムを積み重ねて欲しいと切に願うものです。
我々は普段哲学と言うと頭の問題、脳の事しか浮かんで来ませんが、その先には鼓動があります。
鼓動の上に脳があり、一輪の素晴らしい花が咲くのです。
鼓動が止まったらお終い、へったくれもありません。
だから原点を突き詰めた鼓動哲学が重要であると主張します。
若い人は学業と鼓動であったり、鼓動と結婚であったり、鼓動と家族、夫婦と鼓動、50代と鼓動、80代と鼓動、病と鼓動、田舎暮らしと鼓動、趣味であったり、何んでも結構でしょう。
一人何種類もの鼓動哲学があって良いのではないか。
ぜひ朝起きたら胸に手を当て、鼓動と対話してみましょう。
本当に昨日から一晩ぐっすり寝ていたのにこの鼓動は1分たりとも休む事なく動いていたのです。
何んの意味があるのかと問いたくなります。
学生なら卒業論文に鼓動哲学を記し、記念に10年後20年後紐解いてみるのも いいのではないだろうか。
前記に人生を物差し上で考えるべきだと書きましたが鼓動哲学を実践する上でこの人生物差しは重要な役割を果たします。
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