2012年01月22日
今日を、今日として。
さて、先日 江原啓之さんの講演会に行って来ました。
私的に心に残ったポイントを ひとつだけ書いてみようと思います。
「今日、手を振って別れた人が、そのままもう二度と戻らないかも知れない事だってあるんです。
それを考えた事はありますか?」
「一日一生、と思って生きてください」
――江原さんは、そんな意味の事を言っていたんですが・・・。
そう、それは私がいつもいつも思っていたこと。
時間がこのまま続くと思っているから、「変えられない自分」をつい、甘やかしてしまう。
誰かと仲互いしたまま つい謝りもせず、ずるずると放ってしまったり、
繰り返してしまう自分の良くない癖を 分かっていながら正すことが出来ずにいたり、
私達は誰も、そんな弱さを持っています。
でも、時間がこのままずーっと続くなんて保証は どこにもないんですよね。
私の母も父も、ある日突然倒れ、そのまま意識を取り戻すことなく天国へと還りましたが、
そんな風に、誰も予期せぬまま 別れは突然にやって来るのかも知れないのです。
あの時、ああしておけば良かった・・・という気持ち。
自分が見送る側であっても、旅立つ側であっても、
出来たはずなのに、やらずに過ぎてしまった事への後悔は、
とても想いが残るものだと思うのです。
だからもしも、つい 繰り返してしまうお決まりのパターンに、ふと気が付いた時、
ほんの少しでもいい、それに向き合ってみて欲しいのです。
例え自分に言い訳をして逃れても、死にゆく「最後の時」には 必ずそれに向き合わされます。
(江原さんはそれを、「死に逃げは出来ない」と言っていました。)
私の母は以前、一度死にかけて生還した事があるのですが、
死にかけた時、それまで見て見ぬふりをしていた自分の直すべき点を、はっきりと知ったそうです。
「今まで忘れていた、もう全然覚えてもいなかった事まで全部思い出した」と言っていました。
それまでは、自分でも「あの人のせいで」とか、「あの人が悪いから」と思っていた事が、
魂の世界での真実は正反対で、「人のせいにして逃れようとしていた言い訳」だったのです。
――時間がどんどん過ぎて行って、大切な変化のタイミングを逃してしまわぬように・・・
「今日を、今日という日の中で生き切り、明日はまた新たな自分となってしっかり生きる」
そんな時間を、私もまた しっかり生きてみたいと思うのです。
私的に心に残ったポイントを ひとつだけ書いてみようと思います。
「今日、手を振って別れた人が、そのままもう二度と戻らないかも知れない事だってあるんです。
それを考えた事はありますか?」
「一日一生、と思って生きてください」
――江原さんは、そんな意味の事を言っていたんですが・・・。
そう、それは私がいつもいつも思っていたこと。
時間がこのまま続くと思っているから、「変えられない自分」をつい、甘やかしてしまう。
誰かと仲互いしたまま つい謝りもせず、ずるずると放ってしまったり、
繰り返してしまう自分の良くない癖を 分かっていながら正すことが出来ずにいたり、
私達は誰も、そんな弱さを持っています。
でも、時間がこのままずーっと続くなんて保証は どこにもないんですよね。
私の母も父も、ある日突然倒れ、そのまま意識を取り戻すことなく天国へと還りましたが、
そんな風に、誰も予期せぬまま 別れは突然にやって来るのかも知れないのです。
あの時、ああしておけば良かった・・・という気持ち。
自分が見送る側であっても、旅立つ側であっても、
出来たはずなのに、やらずに過ぎてしまった事への後悔は、
とても想いが残るものだと思うのです。
だからもしも、つい 繰り返してしまうお決まりのパターンに、ふと気が付いた時、
ほんの少しでもいい、それに向き合ってみて欲しいのです。
例え自分に言い訳をして逃れても、死にゆく「最後の時」には 必ずそれに向き合わされます。
(江原さんはそれを、「死に逃げは出来ない」と言っていました。)
私の母は以前、一度死にかけて生還した事があるのですが、
死にかけた時、それまで見て見ぬふりをしていた自分の直すべき点を、はっきりと知ったそうです。
「今まで忘れていた、もう全然覚えてもいなかった事まで全部思い出した」と言っていました。
それまでは、自分でも「あの人のせいで」とか、「あの人が悪いから」と思っていた事が、
魂の世界での真実は正反対で、「人のせいにして逃れようとしていた言い訳」だったのです。
――時間がどんどん過ぎて行って、大切な変化のタイミングを逃してしまわぬように・・・
「今日を、今日という日の中で生き切り、明日はまた新たな自分となってしっかり生きる」
そんな時間を、私もまた しっかり生きてみたいと思うのです。
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