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2021年05月01日
炎上した車椅子での鉄道乗車拒否ブログの是非
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先月(2021年4月)上旬、とあるコラムニストの「JRで車いすは乗車拒否されました」が話題に登っています。
詳細は、あちこちのニュースサイトなどにありますので、内容をここで先に紹介することはしません。
ただ、読んで頂ければ書いてあることの概要は充分伝わるとは思います。
様々な点が批判の対象となっていますが、私は問題ないと感じている点も多くあります。
まず、啓発とか声を挙げていくことは大切なことです。周囲の顔色をうかがって反感を受けないようにしつつ共存することを強いられている場合が多い少数者の中で、先鋭的な主張を臆せずするその声も大切にしなければいけない。まずはその視点です。「わきまえる障害者になりたくない」、こういう方が声を挙げること、本当に大変だと思いますし、この声を受け止めて社会とか、いわゆる常識は変えていかなければならないと思います。
批判の中には、「乗車拒否」というのは言い過ぎではないかというものもありました。しかし、目的の駅までは案内できないと言われたことは事実。目的地の駅は無人駅であったり、バリアフリー設備がなかったりという事情はあろうが、それは利用者には関係ないこと。目的地の近くの、設備や人員がある駅までは案内を約束してもらえたとして、目的地までの乗車は拒否されたというのは誤りではなく事実。
結果的には、目的地に駅員を集めて対応してもらえたとのことですが、乗車駅では、対応不可と案内を断られているので、この時点での話として「乗車拒否」とのタイトルが不適切ではありません。
次に、事前に話して対応をお願いしていれば対応してもらえたのに、それすらしない車椅子ユーザーが悪いという点について。現状車椅子の対応ができる駅は限られていて、活動家であるならそれも分っているはず。連絡がいることぐらい理解し、それぐらい受け入れるべきという批判がある。
たしかに、連絡一本すれば、すぐに対応してもらえたことでしょう。しかし、障害者だから、事前に旅行計画をちゃんと立てておくことを強いられることはない。もちろん、障害によってはいわゆる健常者以上に計画に気を使わなくてはいけない部分は出てくるでしょうが、それをしなくていいような環境を求めて声を挙げるのは大切なこと。
気ままな旅がしたいと無計画に行く旅行であっても、車椅子で行けるようになった方がいいに決まっている。
そのために多数を占める歩ける人の負担が生じてもいいのか、共存のためのコストはどうするのか、という議論はあろうが、当事者が声を挙げることの大切さは尊重されなければならない。
対応できる範囲で対応してくれたことに対するお礼やら感謝の気持ちが感じられないという声もあるが、これも問題とは思わない。現地で対応してくれた方へはその場で直接御礼すべきだし、忘れてしまったとしても、電話するなどして直接伝えること。SNSなどで大衆にあらわすのが適切ではない。
というわけで、この方がブログで問題提起したことについては、大方支持、賛成している。
ただ、反対なところもある。
それは、以下の5点である。
・社名、駅名を出した。
・マニュアル外の気遣いを公開した。
・素人には危険なお願いをした。
・新聞社に連絡したことを公開した。つまりは力の誇示である
・鉄道会社の対応だけの問題にしている。
まず、社名、駅名を出したという点。
現状可能な対応を周知して問題を提起するなら、社名、駅名はいらない。記すことで、その会社、その駅への苦情とイコールになる。つまり、全体の問題を、一企業の問題へと矮小化する愚行である。
無人駅では対応が難しい、乗降者数が少ない駅まで手が回らない現状。これは非常に問題で、身体が不自由な方に不便を強いるなんてあってはいけない。ましてやこれから益々の超超高齢化社会。皆で考えていかなければいけない。それは分かる。
しかしそれが、個人が悲しかったと綴るならまだいい。けれど、彼女は巨大な影響力を誇るインフルエンサー。コラムニストとして名が知られていて、政党要件を満たす数少ない政治団体の幹事なのだ。
この書き方は、問題提起では済まず、その鉄道会社への攻撃になってしまっている。明らかに、営業妨害の域に達しているとすら感じられる。
また、駅名社名を出して批判しておいて、ほかの面、例えば車椅子対応タクシーが1か月前に予約しておかないと難しいといった点は問題視する記述がない。
現場対応、鉄道会社だけの対応には限界がある。車でとか、駅員とは別にすぐにヘルパー会社がサポートに行けるようにとか、もっと広く考えていかなければならない問題だと思う。しかし、それらには言及せずに、駅の対応だけしか書かれていない。事実を伝える目的だったとしても、感情論と聞こえて仕方がない記事を書くのは、解決から遠ざかる効果しかないと感じる。
不平不満程度も書くのは自由、しかし彼女は、影響力を持っていて、電話ひとつで記者が集まる人なのだ。
車椅子ユーザーがいわゆる健常者と同じように電車で移動できなければいけない。これはそのとおり。声をあげていかなければいけない、そこは大いに同意なんですけれど、反感買う書き方をしているなと思う。
続いて、マニュアル外の気遣いを公開した点。
彼女は、乗車駅と受け入れ駅の対応が違った点を問題視していましたが、この理由は、会社で働いた経験がある人なら、推測できるでしょう。管轄が違う駅に、マニュアル外の対応を指示できるわけがない。
受け入れ駅で、乗車駅ではできないと言われた対応を受けられたとのことですが、それは受け入れ駅の職員の独断、好意。「今回は私がいたので」と対応してもらえた、つまり「私」がフリーでしたのでということ。いつもできるとも限らない。もしかしたら、乗車駅が押し問答で時間を稼いだからできたのかもしれない。
こんな記事上げたら、いつもその特別行為が受けられると誤解されませんか。無理に無理を重ねて応えたことなのに、〇〇駅でいつならやってくれたと記事が出ているのに、なぜここでしてくれないのかと。
車いす利用者がいつでも乗降できる環境を目指すことは大事ですが、現状無理な行為であれば、黙って受け取っておくべきです。
素人には危険なお願いをした。無人駅に駅員を3~4人集めてください。駅員3人で、100Kgの電動車椅子を持って階段を下ろさせる、鬼です。実際に集められた駅員は、車椅子の持ち運び経験がしっかりある人たちではないと彼女のブログに書かれていました。であれば、4人でも危険です。
運送業とか工事現場などで重い物を日常担いでいる人たちならまだしも、鉄道の駅員、腕力は一般の人と同じです。正直、引き受けた駅長に疑問があるぐらい。落として車椅子を壊したら、あるいは下にいた人がケガをしたら、どう責任を取るつもりだったんでしょう。駅長としては、断るのが正解だった気すらします。もちろん、断るのは間違いかもしれません。このギリギリの判断に対して、写真なんか撮っていないで、せめて緊張感を持って見守るべきなのではないですか。
私がたまに働いている倉庫の掲示では、次の重量を越えるものはひとりで運ばないこと、男性25Kg、女性16Kg、となっています。平面で、ごく短距離の移動です。駅の階段を3人で持って降りるというのがいかに無茶苦茶か、呆れます。3〜4人集めてではなく、6人ぐらい集めてと言うべきでしょう。
旅行には4人連れがいたんですよね。せめて手伝ったらと思わざるを得ません。
新聞社に連絡したこと、これは書くべきではないでしょう。
声を挙げる目的で、新聞社に協力を求めるのはアリかとは思います。が、ここに書くこととは思えません。力の誇示としか、嫌味としか感じられません。私にはこんなに力があるの、私にちゃんとした対応をしなかったらどうなるか、との見せしめの香り。必要以上のケンカ腰、嫌味、言うことないではないですか。啓発したいならそれに徹すべきで、明らかに余計な追加攻撃をやらかしたと断じざるを得ません。
書くべきではないことまでガンガン記し、現場を萎縮させたり業務を妨げたりする書き方になっていると感じる。人員を割いて対応が回らない無人駅はその地域のためには支えていかなければならないのに、廃止検討ということにもなりかねない。
きっとそれはだれも望まない。
鉄道会社に投げるのではなく、社会福祉の問題として、国民全体が考えなくては何も解決しない。
彼女は先天性の難病を持っている方ですが、現在いわゆる健常者であっても、いつ事故に遭って自力で歩けなくなるか分からない。ひとりひとりがこの現状を捉えつつ、駅での限界を踏まえた上で、どうしていくべきか考えていかなければいけないと思う。
バリアフリー化が唱えられて年数は経っているけれども、現状乗降者数が少なく改装が後手に回っている駅や、駅員による介助できない無人駅が多くある問題点を指摘することは大切。改善されて行って欲しい。
次は、先日発表された、社民党の見解について書きたい。
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