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2019年01月05日
第3章:イスタンブールの洗礼
どうもメルハバ!
今回は第二章の続きで、いよいよイスタンブールでの生活が始まります。初めての方は、先に第一章から読むことをお勧めします。
↓↓
https://fanblogs.jp/emirturkiye/archive/3/0
福島の田舎で育ちで、英語もトルコ語も話せない男がトルコ最大の都市で一体どんな洗礼を受けたか?
それではどうぞ!
。。。。。。。。。。。。。。。。。。
日本で身の回りの整理を終え、家族にも事情を伝えしばらく会えないことを説明し、僕は再びイスタンブールに戻ってきました。カッパドキアにて会社の社長に働く旨を伝えていたので、日本からの片道切符を手配してもらっていましたが、実は出国前成田空港のカウンターにて早速これから起きる困難の兆しが見え始めるエピソードがあります。
チケットカウンターにて搭乗手続きをしようとした際「片道しかチケットがない状態で、行先の国の在留許可証がない場合は誓約書を書いていただきます」と言われ、初め何でこんなこと言われてるのか分かりませんでした。「帰国のチケットがない場合は、入国の際に拒否される場合があります。お客様は滞在許可証等をお持ちですか?
はい????
そう、僕はこの時まだ滞在許可証というものを知らなかったのである。
「持ってませんが、向こうで働くことになっているので会社が手配してくれることになっています」
と、強がりを言いましたが、内心物凄くビビっていました。
会社からは何も言われていないので、現地に行ったら最初に解決しないとまずいことになる・・・と焦りました。とりあえず誓約書を書いて出国し、そして夕方にイスタンブールに到着し、とりあえずヨーロッパサイドのレベントという地区に向かいます。
理由は事前にカッパドキアで知り合ったガイド友達の好意で、イスタンブールに住んでいる別な友達が迎えに来てくれる段取りになっていたので、指定の場所らしきところに来た時点で連絡を入れました。
しかし、何回メッセージを送っても、一向に返事がありません。
「まぁ見たらそのうち心配して来てくれるだろう」
等と考えていましたが、それは甘い考えだったと後で気づかされます。待てども待てどもそれらしき人が誰も来ません。そこはレベント地区の地下鉄4レベント駅の目の前で、そこはヨーロッパサイド一のオフィス街のようなところです。到着してから数時間は駅から出てくる人たちがごまんといますが、さすがに11時を過ぎると少なくなります。何百人と人の行き来を見て、その場で待っている自分のことを考えた時、まるで忠犬ハチ公にでもなった気分でした。最終的に僕はその場でおそらく5時間は待ったと思いますが、結局誰も来ませんでした。ここでようやく気付きます。どうやら僕はすっぽかされたようです。
言葉も分からない、誰も助けがいない、そんな状況で物凄く不安でしたが、もうどうしようもないと思った僕は近くの地下鉄駅で野宿することにしました。すでに時計は夜の12時を回っており、シャッターは閉まっていましたが、持ってきたスーツケースを椅子代わりにして壁に寄りかかり、待ってる間に買ったゴマ付きリングパン「スィミット」をかじり飢えをしのぎます。このスィミットは、それだけで食べるのは僕はあんまり好きではありませんでしたが、その時はご馳走のように美味しかったのは忘れられません。
イスタンブール生活一日目、僕は見事にトルコの洗礼を受けたのです。
「なんて幸先の悪いスタートなんだろう、先が思いやられるなぁ・・・」と考えながらウトウトし始めます。しかし、野宿しようと思ったものの、勝手がわからない外国の地で野宿するということを考えれば考えるほど怖くて寝れません。しかし、そこでなんと救いの手が現れます。壁に寄り添って寝ようとしていましたが、怖くて一向に寝れない僕に、駅の前で客を待っていた流しのタクシーのおっちゃんが声をかけてきたのです。
何を言ってるのか理解出来ませんでしたが、しきりに「ホテル&’#’$#%&ホテル&%$」とホテルと言ってるのだけは分かったので多分連れてってくれるんだろうと思いましたが、同時にタクシーの運転手は信用するなと言われていたので躊躇しました。
しかし、このまま外で野宿するのは怖いし、これで騙されたならもうそれまでだと腹をくくり乗せてもらうことにしました。移動中、分からないながらも話をしようとして、自分が日本人だと言ったらなんだかおっちゃんは少しテンションあげて喋っていました。
数分後、地下鉄駅からそんなに離れていない場所のホテルに到着しました。ホテルといっても2つ星くらいの小さなホテルですが、その時の僕にとっては立派なホテルでした。
到着後タクシーのおっちゃんは降りて中までついてきてくれて、なんと僕の代わりにレセプションに話をつけてくれたのです。疑った自分がちょっと恥ずかしくなりました。僕はおっちゃんに感謝し、ちょっと多めにタクシー代を払い、僕はようやく暖かいベッドに横たわることができました。
一日で天国と地獄を味わった気分でした。こんなスリルは福島で経験したことないし(普通あるわけないけど)、初日からこれではこの先どうなるんだろうと不安になりますが、とにかく明日会社に行かないと始まらないと思い、もう寝ることにしました。
かくしてトルコのイスタンブールでの一日目は、予想だにしないハプニングとおっちゃんの優しさに触れ、まるでこれから起きる山あり谷ありのイスタンブールライフを体現しているかのようでした。
今回はここまでです。こんなことあったな〜と今では笑い話ですが、なかなかできない貴重な体験をしたと思います(笑)
まだまだイスタンブールでの生活は始まったばかりです。これからどういう展開になるのか、続きはまた次回にご期待ください。
それではホシュチャカルン!
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今回は第二章の続きで、いよいよイスタンブールでの生活が始まります。初めての方は、先に第一章から読むことをお勧めします。
↓↓
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福島の田舎で育ちで、英語もトルコ語も話せない男がトルコ最大の都市で一体どんな洗礼を受けたか?
それではどうぞ!
。。。。。。。。。。。。。。。。。。
日本で身の回りの整理を終え、家族にも事情を伝えしばらく会えないことを説明し、僕は再びイスタンブールに戻ってきました。カッパドキアにて会社の社長に働く旨を伝えていたので、日本からの片道切符を手配してもらっていましたが、実は出国前成田空港のカウンターにて早速これから起きる困難の兆しが見え始めるエピソードがあります。
チケットカウンターにて搭乗手続きをしようとした際「片道しかチケットがない状態で、行先の国の在留許可証がない場合は誓約書を書いていただきます」と言われ、初め何でこんなこと言われてるのか分かりませんでした。「帰国のチケットがない場合は、入国の際に拒否される場合があります。お客様は滞在許可証等をお持ちですか?
はい????
そう、僕はこの時まだ滞在許可証というものを知らなかったのである。
「持ってませんが、向こうで働くことになっているので会社が手配してくれることになっています」
と、強がりを言いましたが、内心物凄くビビっていました。
会社からは何も言われていないので、現地に行ったら最初に解決しないとまずいことになる・・・と焦りました。とりあえず誓約書を書いて出国し、そして夕方にイスタンブールに到着し、とりあえずヨーロッパサイドのレベントという地区に向かいます。
理由は事前にカッパドキアで知り合ったガイド友達の好意で、イスタンブールに住んでいる別な友達が迎えに来てくれる段取りになっていたので、指定の場所らしきところに来た時点で連絡を入れました。
しかし、何回メッセージを送っても、一向に返事がありません。
「まぁ見たらそのうち心配して来てくれるだろう」
等と考えていましたが、それは甘い考えだったと後で気づかされます。待てども待てどもそれらしき人が誰も来ません。そこはレベント地区の地下鉄4レベント駅の目の前で、そこはヨーロッパサイド一のオフィス街のようなところです。到着してから数時間は駅から出てくる人たちがごまんといますが、さすがに11時を過ぎると少なくなります。何百人と人の行き来を見て、その場で待っている自分のことを考えた時、まるで忠犬ハチ公にでもなった気分でした。最終的に僕はその場でおそらく5時間は待ったと思いますが、結局誰も来ませんでした。ここでようやく気付きます。どうやら僕はすっぽかされたようです。
言葉も分からない、誰も助けがいない、そんな状況で物凄く不安でしたが、もうどうしようもないと思った僕は近くの地下鉄駅で野宿することにしました。すでに時計は夜の12時を回っており、シャッターは閉まっていましたが、持ってきたスーツケースを椅子代わりにして壁に寄りかかり、待ってる間に買ったゴマ付きリングパン「スィミット」をかじり飢えをしのぎます。このスィミットは、それだけで食べるのは僕はあんまり好きではありませんでしたが、その時はご馳走のように美味しかったのは忘れられません。
イスタンブール生活一日目、僕は見事にトルコの洗礼を受けたのです。
「なんて幸先の悪いスタートなんだろう、先が思いやられるなぁ・・・」と考えながらウトウトし始めます。しかし、野宿しようと思ったものの、勝手がわからない外国の地で野宿するということを考えれば考えるほど怖くて寝れません。しかし、そこでなんと救いの手が現れます。壁に寄り添って寝ようとしていましたが、怖くて一向に寝れない僕に、駅の前で客を待っていた流しのタクシーのおっちゃんが声をかけてきたのです。
何を言ってるのか理解出来ませんでしたが、しきりに「ホテル&’#’$#%&ホテル&%$」とホテルと言ってるのだけは分かったので多分連れてってくれるんだろうと思いましたが、同時にタクシーの運転手は信用するなと言われていたので躊躇しました。
しかし、このまま外で野宿するのは怖いし、これで騙されたならもうそれまでだと腹をくくり乗せてもらうことにしました。移動中、分からないながらも話をしようとして、自分が日本人だと言ったらなんだかおっちゃんは少しテンションあげて喋っていました。
数分後、地下鉄駅からそんなに離れていない場所のホテルに到着しました。ホテルといっても2つ星くらいの小さなホテルですが、その時の僕にとっては立派なホテルでした。
到着後タクシーのおっちゃんは降りて中までついてきてくれて、なんと僕の代わりにレセプションに話をつけてくれたのです。疑った自分がちょっと恥ずかしくなりました。僕はおっちゃんに感謝し、ちょっと多めにタクシー代を払い、僕はようやく暖かいベッドに横たわることができました。
一日で天国と地獄を味わった気分でした。こんなスリルは福島で経験したことないし(普通あるわけないけど)、初日からこれではこの先どうなるんだろうと不安になりますが、とにかく明日会社に行かないと始まらないと思い、もう寝ることにしました。
かくしてトルコのイスタンブールでの一日目は、予想だにしないハプニングとおっちゃんの優しさに触れ、まるでこれから起きる山あり谷ありのイスタンブールライフを体現しているかのようでした。
今回はここまでです。こんなことあったな〜と今では笑い話ですが、なかなかできない貴重な体験をしたと思います(笑)
まだまだイスタンブールでの生活は始まったばかりです。これからどういう展開になるのか、続きはまた次回にご期待ください。
それではホシュチャカルン!
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2019年01月04日
トルコ一有名な男
どうもメルハバ!
皆さんはトルコで一番有名なのは誰か知っていますか?
僕の中での有名の定義は、今ならやはりSNS のフォロワー数の多さでしょう。
それで考えると、もう一人しかいません。
それは。。。。。。。
「Nusret(ヌスレット)」です。フルネームは「Nusret Gökçe(ヌスレット・ギョクチェ)」通称トルコ肉屋界のゴッドファーザー。
2019年1月現在のインスタグラムフォロワー数は、約18.5M (1850万人)で、日本で一番フォロワー数が多いであろう渡辺直美さんの約2倍です!
そしてツイッターのフォロワー数は35.8K(358万人)です。
特にインスタグラムのフォロワー数は、有名なスポーツ選手でだいたい1M〜5M(100万~500万)なので、それを考えると物凄い数です。
その雪を降らせるような華麗な塩振りポーズから、「塩兄貴」とか「塩の恋人」なんて呼ばれてる超有名人で、ここ数年で一躍時の人となりました。
彼のステーキハウスはトルコ国内だけでなく、今ではドバイやアメリカに数店舗、国外にも多数の店舗を構えており、連日彼に会うためお客さんが押し寄せお店は満員。彼も世界中を飛び回っているセレブです。しかし、若いころは貧乏な家庭に育ち苦労したようで、彼自身は小学校までしか出ていません。その後13歳で家計を助けるため、イスタンブールにある肉屋で働き始めます。そして16歳まで働きながら修行し、その後2009年に渡米。さらにそこで修業し、トルコに戻り最初の自分の店を持ったときは店の前に出て、男泣きしたんだそう。
ちなみに名前のNusretの最後がEtで、これはトルコ語で肉という意味なので、産まれた時から肉屋になることは運命だったのかもしれません(笑)
彼は塩振りポーズも有名ですが、彼自身がインスタグラムに投稿している調理動画ももうエンターテイメント性抜群です。
実際に「nusr_et」で検索して見ていただけると分かりますが、その鍛え上げられた肉体と長年培った包丁スキルを駆使しての肉さばきは圧巻の一言。そして肉を叩きつけ、飛ばし、豪快にオーブンに放り投げ、出来上がった肉にお決まりのポーズで塩を振るまでが彼のシグネイチャームーブ、一連の動作として有名です。マフィアな雰囲気と豪快な調理、そしてファンサービスも人気で、最後は目の前に運んできた肉をノールックで切り、有名人に塩を振らせるのがウケているよう。
でも何でこんなに有名になったのかは、僕が知っている限り有名なバスケットボール選手が、あの塩振りポーズを真似したからだと思います。
僕はアメリカのプロバスケットボールNBAをよく見ます。
で、ゴールデンステートウォリアーズと言うチームに、ステフィン・カリーというスーパースターがいます。
その彼が、2年ほど前に敵チームを軽く蹴散らした表現として、ツイッターでこの塩降りポーズの写真を使ったところ一気に爆発したんです。
以後このポーズを見に(やりに)彼のお店には有名人が後を絶ちません。その来店した面々を一部紹介します。
リオネル・メッシ
ディエゴ・マラドーナ
ポール・ポグバ
デビッド・ベッカム
レオナルド・ディカプリオ
DJキャレード
等々スポーツ選手だけでなく、著名な俳優やエンターテイナーも数多く来店してます。
過去にレアルマドリードの優勝式?にも参加して、ロナウドやウィリアン、モドリッチとのツーショットもあります。
まあ僕も最初は「なにやってんだこの人」と思いましたが、今では調理動画のファンです。
こんな有名な人が日本で無名だなんて、僕は信じられません。ネットでは一部で人気のようですが、まだまだ有名とは言い難いと思います。でも近い内に、日本にも進出して一躍有名になるんじゃないかと思います。。。
皆さんも是非フォローして、この肉屋が織り成すエンターテイメントを堪能してください。一度ハマったら最後、中毒性抜群です(笑)
それではホシュチャカルン!
お名前.com
皆さんはトルコで一番有名なのは誰か知っていますか?
僕の中での有名の定義は、今ならやはりSNS のフォロワー数の多さでしょう。
それで考えると、もう一人しかいません。
それは。。。。。。。
「Nusret(ヌスレット)」です。フルネームは「Nusret Gökçe(ヌスレット・ギョクチェ)」通称トルコ肉屋界のゴッドファーザー。
2019年1月現在のインスタグラムフォロワー数は、約18.5M (1850万人)で、日本で一番フォロワー数が多いであろう渡辺直美さんの約2倍です!
そしてツイッターのフォロワー数は35.8K(358万人)です。
特にインスタグラムのフォロワー数は、有名なスポーツ選手でだいたい1M〜5M(100万~500万)なので、それを考えると物凄い数です。
その雪を降らせるような華麗な塩振りポーズから、「塩兄貴」とか「塩の恋人」なんて呼ばれてる超有名人で、ここ数年で一躍時の人となりました。
彼のステーキハウスはトルコ国内だけでなく、今ではドバイやアメリカに数店舗、国外にも多数の店舗を構えており、連日彼に会うためお客さんが押し寄せお店は満員。彼も世界中を飛び回っているセレブです。しかし、若いころは貧乏な家庭に育ち苦労したようで、彼自身は小学校までしか出ていません。その後13歳で家計を助けるため、イスタンブールにある肉屋で働き始めます。そして16歳まで働きながら修行し、その後2009年に渡米。さらにそこで修業し、トルコに戻り最初の自分の店を持ったときは店の前に出て、男泣きしたんだそう。
ちなみに名前のNusretの最後がEtで、これはトルコ語で肉という意味なので、産まれた時から肉屋になることは運命だったのかもしれません(笑)
彼は塩振りポーズも有名ですが、彼自身がインスタグラムに投稿している調理動画ももうエンターテイメント性抜群です。
実際に「nusr_et」で検索して見ていただけると分かりますが、その鍛え上げられた肉体と長年培った包丁スキルを駆使しての肉さばきは圧巻の一言。そして肉を叩きつけ、飛ばし、豪快にオーブンに放り投げ、出来上がった肉にお決まりのポーズで塩を振るまでが彼のシグネイチャームーブ、一連の動作として有名です。マフィアな雰囲気と豪快な調理、そしてファンサービスも人気で、最後は目の前に運んできた肉をノールックで切り、有名人に塩を振らせるのがウケているよう。
でも何でこんなに有名になったのかは、僕が知っている限り有名なバスケットボール選手が、あの塩振りポーズを真似したからだと思います。
僕はアメリカのプロバスケットボールNBAをよく見ます。
で、ゴールデンステートウォリアーズと言うチームに、ステフィン・カリーというスーパースターがいます。
その彼が、2年ほど前に敵チームを軽く蹴散らした表現として、ツイッターでこの塩降りポーズの写真を使ったところ一気に爆発したんです。
以後このポーズを見に(やりに)彼のお店には有名人が後を絶ちません。その来店した面々を一部紹介します。
リオネル・メッシ
ディエゴ・マラドーナ
ポール・ポグバ
デビッド・ベッカム
レオナルド・ディカプリオ
DJキャレード
等々スポーツ選手だけでなく、著名な俳優やエンターテイナーも数多く来店してます。
過去にレアルマドリードの優勝式?にも参加して、ロナウドやウィリアン、モドリッチとのツーショットもあります。
まあ僕も最初は「なにやってんだこの人」と思いましたが、今では調理動画のファンです。
こんな有名な人が日本で無名だなんて、僕は信じられません。ネットでは一部で人気のようですが、まだまだ有名とは言い難いと思います。でも近い内に、日本にも進出して一躍有名になるんじゃないかと思います。。。
皆さんも是非フォローして、この肉屋が織り成すエンターテイメントを堪能してください。一度ハマったら最後、中毒性抜群です(笑)
それではホシュチャカルン!
価格:2,880円 |
お名前.com
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2018年12月27日
第一章:僕がトルコに行った訳
メルハバ!
今回はそもそも僕が何でトルコに行ったかについてです。
一言で言うと・・・運命なんです。
冗談ではなく、時々本当にそう思う時があります。なぜならトルコ行きを決めた直接の原因が、2011年に起きた東日本大震災だからです。
あの当時、僕は福島にいるどこにでもいる青年でした。それが被災し、避難所や親せきの家を転々とし、人生がめちゃくちゃになったあの事件のあと、ひょんなことからトルコに行くことにしたのです。キッカケは震災のすぐ後、HISが出した「被災者支援プラン」という被災者限定の旅行パッケージを目にしたことから始まります。
内容は被災した人が、少しでも心と体を休める目的で外国に一か月、格安で滞在できるというものでした。
韓国や台湾など、ほとんどのプランが近場の国でしたが、その中になぜかトルコがあり、目にした瞬間とても興味が沸いたんです。
ちょうど震災が起きる前、たまたまトルコに関する記事を見て、親日の国だとか(この思いは後にぶち壊されるんですが)、串本町のエルトゥールル号事件のことなどを耳にし、いつか行ってみたいなと思った矢先に被災、そしてこのプランを見つける・・・なんて偶然だと思いませんか。
それからすぐ行動を開始しました。なんせ参加締め切りが残り二日とあって、すぐに最寄りのHISに行って申し込みをし、パスポートもすぐに更新するため50km離れた福島市に行ったりと、超ギリギリで参加に間に合いました。
二日でよく間に合ったなと、今でも時々思い返します。これがだめだったら、今の僕はいない訳ですからね。
申し込みを済ませた後は、両親を説得しなきゃなりません。急だったから何も相談しなかったので、何を言われるか覚悟してましたが、いざ打ち明けると「行きたいなら行ってこい」と一言。
震災でめちゃくちゃな状況の中、なに考えてるんだと言われるとばかり思っていたので、正直面食らいました。多分この両親の応援がなかったら、諦めてたかもしれないと思うと感謝せずにはいられません。
そして2011年4月15日、震災から約1か月後、僕は初めてトルコの大地に立ちました。
到着は夜だったんでよく分かりませんでしたが、すぐに乗り継ぎの飛行機に乗り、滞在先のカッパドキアに向かいます。こうして僕の1ヶ月のトルコ滞在が始まりました。
しかし次の日、早速この旅行プランの盲点が浮かび上がりました。このプランは超格安で一か月間滞在できるというものでしたが、それ以外何もないのです。
滞在中一日だけ、カッパドキアツアーがありましたが、それ以外何もなく、ノープランで来た僕は最初の一週間は何もせず、ただホテルに引きこもっているしかありませんでした。
他の参加者の人たちは、旅慣れていたり友人と来ていたりとで、楽しんでいるようでしたが、僕は一人参加でしかも当時トルコ語はもちろん英語も全く話せないので、何をするにも気が乗らない感じでした。
そんなんで最初の一週間が過ぎたころ、当時やってたミクシィで一人のトルコ人とメッセージのやり取りを開始しました。
アイハンという人で、ここカッパドキアでトルコ人に日本語を教えているとのことで、よければ是非クラスに来て欲しいとのこと。何もやることがない僕にとっては、正に渡りに船とあって、二つ返事で承諾。場所も滞在先のホテルから徒歩範囲なので、早速その日の授業に顔を出すことになります。
この出会いが、僕のトルコ滞在への第一歩になるとは、この時はまだ僕自身も想像していませんでした。。。
続きはまた別の回で。
皆さんホシュチャカルン!
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今回はそもそも僕が何でトルコに行ったかについてです。
一言で言うと・・・運命なんです。
冗談ではなく、時々本当にそう思う時があります。なぜならトルコ行きを決めた直接の原因が、2011年に起きた東日本大震災だからです。
あの当時、僕は福島にいるどこにでもいる青年でした。それが被災し、避難所や親せきの家を転々とし、人生がめちゃくちゃになったあの事件のあと、ひょんなことからトルコに行くことにしたのです。キッカケは震災のすぐ後、HISが出した「被災者支援プラン」という被災者限定の旅行パッケージを目にしたことから始まります。
内容は被災した人が、少しでも心と体を休める目的で外国に一か月、格安で滞在できるというものでした。
韓国や台湾など、ほとんどのプランが近場の国でしたが、その中になぜかトルコがあり、目にした瞬間とても興味が沸いたんです。
ちょうど震災が起きる前、たまたまトルコに関する記事を見て、親日の国だとか(この思いは後にぶち壊されるんですが)、串本町のエルトゥールル号事件のことなどを耳にし、いつか行ってみたいなと思った矢先に被災、そしてこのプランを見つける・・・なんて偶然だと思いませんか。
それからすぐ行動を開始しました。なんせ参加締め切りが残り二日とあって、すぐに最寄りのHISに行って申し込みをし、パスポートもすぐに更新するため50km離れた福島市に行ったりと、超ギリギリで参加に間に合いました。
二日でよく間に合ったなと、今でも時々思い返します。これがだめだったら、今の僕はいない訳ですからね。
申し込みを済ませた後は、両親を説得しなきゃなりません。急だったから何も相談しなかったので、何を言われるか覚悟してましたが、いざ打ち明けると「行きたいなら行ってこい」と一言。
震災でめちゃくちゃな状況の中、なに考えてるんだと言われるとばかり思っていたので、正直面食らいました。多分この両親の応援がなかったら、諦めてたかもしれないと思うと感謝せずにはいられません。
そして2011年4月15日、震災から約1か月後、僕は初めてトルコの大地に立ちました。
到着は夜だったんでよく分かりませんでしたが、すぐに乗り継ぎの飛行機に乗り、滞在先のカッパドキアに向かいます。こうして僕の1ヶ月のトルコ滞在が始まりました。
しかし次の日、早速この旅行プランの盲点が浮かび上がりました。このプランは超格安で一か月間滞在できるというものでしたが、それ以外何もないのです。
滞在中一日だけ、カッパドキアツアーがありましたが、それ以外何もなく、ノープランで来た僕は最初の一週間は何もせず、ただホテルに引きこもっているしかありませんでした。
他の参加者の人たちは、旅慣れていたり友人と来ていたりとで、楽しんでいるようでしたが、僕は一人参加でしかも当時トルコ語はもちろん英語も全く話せないので、何をするにも気が乗らない感じでした。
そんなんで最初の一週間が過ぎたころ、当時やってたミクシィで一人のトルコ人とメッセージのやり取りを開始しました。
アイハンという人で、ここカッパドキアでトルコ人に日本語を教えているとのことで、よければ是非クラスに来て欲しいとのこと。何もやることがない僕にとっては、正に渡りに船とあって、二つ返事で承諾。場所も滞在先のホテルから徒歩範囲なので、早速その日の授業に顔を出すことになります。
この出会いが、僕のトルコ滞在への第一歩になるとは、この時はまだ僕自身も想像していませんでした。。。
続きはまた別の回で。
皆さんホシュチャカルン!
地球の歩き方 E03 イスタンブールとトルコの大地 2016-2017 【分冊】 5 トルコ旅行のガイダンス/旅の準備と技術【電子書籍】 価格:756円 |
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僕が見たトルコ人
メルハバ!
今回はちょっと僕が住んでいたトルコについてです。
まず、皆さんトルコと聞くと何を連想しますか?
ドネルケバブ?
イスタンブール?
カッパドキア?
こんなところでしょうか?
こないだ久しぶりに、日本のトルコを紹介する番組を見て感じた感想を率直に言うと「なんて冒険心のない番組だろう」と思いました。要は紹介内容がいつもと同じで、新鮮味がなかったってことです。
日本に住んでいて手に入る情報は片寄っていて、こんなんでトルコの本当の魅力が伝わってるのか疑問に思いました。もっと紹介することいっぱいあるのに。。。
そういうことで、ちょっともう在り来たりのことは書きたくないので、僕が肌で感じ、経験したことを書きます。
トルコのイメージが変わるかもしれませんよ?
まず、ご存知だと思いますが、国民の9割がイスラム教徒です。ただ、イランとかと違うのは、敬虔な人もいればそうじゃない人もいるということです。毎日欠かさずお祈りや金曜日の礼拝も欠かさない人、普段はお祈りしないけど、断食月はきちんと断食する人、酒も豚肉も飲み食いする人、ホント様々です。これについては長くなるので、また別な機会に書こうと思います。
僕的に接してて思ったのは、トルコ人は仲間意識が強いということです。
トルコ語で喋ると良く分かるんですが、僕は初めて会ったトルコ人と5分もあれば友達になれます。彼等は「自分達の言語を喋る外国人」がかなり好きで、自分達のように喋る人には格別心を開きます。
喋れないと、いつまで経っても仲間だと認識されず、良いことはありません。むしろこれでもかと吹っ掛けてきます(笑)
日本にいるトルコ人は、日本語で喋る時とトルコ語で喋る時とで、全く違うキャラになるのもいたりで面白いです。
当たり前かも知れませんが、彼等の言語を知り、彼等の様に振る舞った結果、僕は普通の在住者が経験しないようなことを沢山味わいました。
その甲斐があって、現在日本人に見られないという後遺症に悩まされてますが(笑)
例えばイスタンブールの観光地であるガラタ塔に行った時のことです。あそこは入場料が「旅行者」と「現地人」とで値段が違います。そして僕はというと、現地人の値段で入れてもらってました(笑)
その他食べ物奢ってもらったり、一度ですがタクシーの運ちゃんと話が弾んで料金タダにしてもらったこともあります。あれには驚いた。
しかし残念なことに、それでも現地ではカモにされる場合があります。彼等の中には、ハイエナのようにチャンスを逃さない人達もいて、こないだ僕の友人のイスタンブール在住韓国人が面白いこと言ってました。その彼は、幼少の頃からトルコにいるのでトルコ語はネイティブ並みにも関わらず、見た目アジア人なのでこないだ35リラ(2018年12月現在で約730円)のメニューを食べて精算するとき、90ユーロ請求されたそうです。怖え。。。
タクシーなんかは言うまでもなく凶悪で、トルコ人でも地方出身者はカモにされることもあるんだとか。一回汚いなと思ったのは、空港で爆弾事件があったときです。突然の出来事でみんな逃げたい人で溢れていた状況を利用して、「一回200リラで送迎」なんてやってました。実に正規の値段の4~5倍の値段です。これを見てトルコ人じゃない僕ですら「Allah beranız vermesin(アッラーが罰を与えないように祈っとけ)」って口走るほど怒りを覚えたもんです。なので先ほど書いた料金タダなんてのは、奇跡中の奇跡です。まあ文句言えばすぐ手のひら返すんですが。
ただ、これはほんの一部です。
在住中、酸いも甘いも経験したので、言い合う力は付きます。とりあえず何か納得いかないことがあったら言うべきです。それはここ日本でも同じですよね?
一つ衝撃の事実として、ぶっちゃけて言うと一般の人はそんなに日本のこと良く知りません。寿司、侍、芸者と、他の国の人達と何ら変わりませんし、挙げ句の果てに中国と日本の違いが分かっておらず、混同してます。
よくあるネタとして、
「小さい時日本の映画を見て育った」
とか言って詳しく聞くとジャッキーチェンの映画だったと言うのはお約束。
僕なんか結婚式で盛り上げ隊のDJが「親愛なる日本の花婿に俺達からのプレゼントだ!」って言ってガンナムスタイル流されたときは一人顔引きつってました。でも周りのみんなは、あのお決まりの両手をクロスさせてのステップをしてて、僕は更にドン引きしてました。
よく「トルコ人は日本のことが大好き」とかいう日本のテレビの情報が頭にあったので、こんなものかとちょっと幻滅してた時期もありました。
ただ、確かに日本に対して悪いイメージを持っている人は、今のところ聞いたことがありません。高度なテクノロジー、敬いの心を持つ礼儀正しい国民といったイメージがあるようで、一応尊敬の念は持ってくれているようです。
こないだのオリンピック誘致の時も、負けたとき、ほとんどの人が「日本ならしょうがない」と思ったそうです。
中国人は問答無用で嫌いだというトルコ人はいたるところにいます(これは歴史的背景があるようで、あの万里の長城はトルコ人の侵略を防ぐために作られたなんて言う人もいます)
でもインターネットの普及で、間違った情報からか、噂で知りもせずに聞いてくるのが以下の質問。
・日本人は虫を食べる
・日本人は犬を食べる
・ジャッキーチェンは日本人
・麺類を食べるとき、ズーズー音を立てれば立てるほど美味しいという意味になる。
・日本ではいたるところでドリフトをしている。
・テコンドーの動画を見て「これ空手だろ?」と言う
なんか書いてて悲しくなるんで、これでやめときます。これらの質問から分かる通り、中国や韓国と混同してます。ていうか過度に期待した僕がバカだったと、今では悟りを開きました。そのそのくらいの気持ちでいてください。
あと、トルコ人は皆が皆歌える歌があるのが面白いです。居酒屋的なところ行くと、必ず何処からともなく楽隊が現れ、トルコの古い曲を弾くと皆歌い始めます。あの一体感は素晴らしく、僕も仲間に入りたくていくつか覚えました。
歌もそうですが、ダンスも欠かせません。結婚式では躍りに始まり、躍りに終わります。かく言う僕も、自分の結婚式で勿論踊り倒しました。以後友人の結婚式に行ったら必ず踊ってたし、今も曲が流れれば妻と一緒に踊りだします。楽しいんですよこれが。
そして何より、喜怒哀楽が激しいのが特徴。それが彼等の良いところでもあり悪いところでもあるんです。僕はそんな彼等が好きなんで、たったの6年半で同じようになりました。後悔は全くないです(キリッ!)
と、まあ書いたらキリがないんですが、今回はこの辺にしておきます。これはまだまだ触り程度なので、このお題ほまだまだ続きます。時に憎たらしく、時に尊敬心すら抱く摩訶不思議なトルコ人についての解説は、まだまだ始まったばかりです。皆さんこうご期待!
それでは皆さん、ホシュチャカルン
今回はちょっと僕が住んでいたトルコについてです。
まず、皆さんトルコと聞くと何を連想しますか?
ドネルケバブ?
イスタンブール?
カッパドキア?
こんなところでしょうか?
こないだ久しぶりに、日本のトルコを紹介する番組を見て感じた感想を率直に言うと「なんて冒険心のない番組だろう」と思いました。要は紹介内容がいつもと同じで、新鮮味がなかったってことです。
日本に住んでいて手に入る情報は片寄っていて、こんなんでトルコの本当の魅力が伝わってるのか疑問に思いました。もっと紹介することいっぱいあるのに。。。
そういうことで、ちょっともう在り来たりのことは書きたくないので、僕が肌で感じ、経験したことを書きます。
トルコのイメージが変わるかもしれませんよ?
まず、ご存知だと思いますが、国民の9割がイスラム教徒です。ただ、イランとかと違うのは、敬虔な人もいればそうじゃない人もいるということです。毎日欠かさずお祈りや金曜日の礼拝も欠かさない人、普段はお祈りしないけど、断食月はきちんと断食する人、酒も豚肉も飲み食いする人、ホント様々です。これについては長くなるので、また別な機会に書こうと思います。
僕的に接してて思ったのは、トルコ人は仲間意識が強いということです。
トルコ語で喋ると良く分かるんですが、僕は初めて会ったトルコ人と5分もあれば友達になれます。彼等は「自分達の言語を喋る外国人」がかなり好きで、自分達のように喋る人には格別心を開きます。
喋れないと、いつまで経っても仲間だと認識されず、良いことはありません。むしろこれでもかと吹っ掛けてきます(笑)
日本にいるトルコ人は、日本語で喋る時とトルコ語で喋る時とで、全く違うキャラになるのもいたりで面白いです。
当たり前かも知れませんが、彼等の言語を知り、彼等の様に振る舞った結果、僕は普通の在住者が経験しないようなことを沢山味わいました。
その甲斐があって、現在日本人に見られないという後遺症に悩まされてますが(笑)
例えばイスタンブールの観光地であるガラタ塔に行った時のことです。あそこは入場料が「旅行者」と「現地人」とで値段が違います。そして僕はというと、現地人の値段で入れてもらってました(笑)
その他食べ物奢ってもらったり、一度ですがタクシーの運ちゃんと話が弾んで料金タダにしてもらったこともあります。あれには驚いた。
しかし残念なことに、それでも現地ではカモにされる場合があります。彼等の中には、ハイエナのようにチャンスを逃さない人達もいて、こないだ僕の友人のイスタンブール在住韓国人が面白いこと言ってました。その彼は、幼少の頃からトルコにいるのでトルコ語はネイティブ並みにも関わらず、見た目アジア人なのでこないだ35リラ(2018年12月現在で約730円)のメニューを食べて精算するとき、90ユーロ請求されたそうです。怖え。。。
タクシーなんかは言うまでもなく凶悪で、トルコ人でも地方出身者はカモにされることもあるんだとか。一回汚いなと思ったのは、空港で爆弾事件があったときです。突然の出来事でみんな逃げたい人で溢れていた状況を利用して、「一回200リラで送迎」なんてやってました。実に正規の値段の4~5倍の値段です。これを見てトルコ人じゃない僕ですら「Allah beranız vermesin(アッラーが罰を与えないように祈っとけ)」って口走るほど怒りを覚えたもんです。なので先ほど書いた料金タダなんてのは、奇跡中の奇跡です。まあ文句言えばすぐ手のひら返すんですが。
ただ、これはほんの一部です。
在住中、酸いも甘いも経験したので、言い合う力は付きます。とりあえず何か納得いかないことがあったら言うべきです。それはここ日本でも同じですよね?
一つ衝撃の事実として、ぶっちゃけて言うと一般の人はそんなに日本のこと良く知りません。寿司、侍、芸者と、他の国の人達と何ら変わりませんし、挙げ句の果てに中国と日本の違いが分かっておらず、混同してます。
よくあるネタとして、
「小さい時日本の映画を見て育った」
とか言って詳しく聞くとジャッキーチェンの映画だったと言うのはお約束。
僕なんか結婚式で盛り上げ隊のDJが「親愛なる日本の花婿に俺達からのプレゼントだ!」って言ってガンナムスタイル流されたときは一人顔引きつってました。でも周りのみんなは、あのお決まりの両手をクロスさせてのステップをしてて、僕は更にドン引きしてました。
よく「トルコ人は日本のことが大好き」とかいう日本のテレビの情報が頭にあったので、こんなものかとちょっと幻滅してた時期もありました。
ただ、確かに日本に対して悪いイメージを持っている人は、今のところ聞いたことがありません。高度なテクノロジー、敬いの心を持つ礼儀正しい国民といったイメージがあるようで、一応尊敬の念は持ってくれているようです。
こないだのオリンピック誘致の時も、負けたとき、ほとんどの人が「日本ならしょうがない」と思ったそうです。
中国人は問答無用で嫌いだというトルコ人はいたるところにいます(これは歴史的背景があるようで、あの万里の長城はトルコ人の侵略を防ぐために作られたなんて言う人もいます)
でもインターネットの普及で、間違った情報からか、噂で知りもせずに聞いてくるのが以下の質問。
・日本人は虫を食べる
・日本人は犬を食べる
・ジャッキーチェンは日本人
・麺類を食べるとき、ズーズー音を立てれば立てるほど美味しいという意味になる。
・日本ではいたるところでドリフトをしている。
・テコンドーの動画を見て「これ空手だろ?」と言う
なんか書いてて悲しくなるんで、これでやめときます。これらの質問から分かる通り、中国や韓国と混同してます。ていうか過度に期待した僕がバカだったと、今では悟りを開きました。そのそのくらいの気持ちでいてください。
あと、トルコ人は皆が皆歌える歌があるのが面白いです。居酒屋的なところ行くと、必ず何処からともなく楽隊が現れ、トルコの古い曲を弾くと皆歌い始めます。あの一体感は素晴らしく、僕も仲間に入りたくていくつか覚えました。
歌もそうですが、ダンスも欠かせません。結婚式では躍りに始まり、躍りに終わります。かく言う僕も、自分の結婚式で勿論踊り倒しました。以後友人の結婚式に行ったら必ず踊ってたし、今も曲が流れれば妻と一緒に踊りだします。楽しいんですよこれが。
そして何より、喜怒哀楽が激しいのが特徴。それが彼等の良いところでもあり悪いところでもあるんです。僕はそんな彼等が好きなんで、たったの6年半で同じようになりました。後悔は全くないです(キリッ!)
と、まあ書いたらキリがないんですが、今回はこの辺にしておきます。これはまだまだ触り程度なので、このお題ほまだまだ続きます。時に憎たらしく、時に尊敬心すら抱く摩訶不思議なトルコ人についての解説は、まだまだ始まったばかりです。皆さんこうご期待!
それでは皆さん、ホシュチャカルン
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メルハバ!初めまして!
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このブログは、2011年の東日本大震災に被災し、その後運命のトルコに渡った一人の福島県民の物語です。
2011年〜2017年の間トルコのイスタンブールに在住し、そこで経験した様々な出来事と、そこから学んだ人生観を主に発信していくつもりです。
具体的に次のような事について書いてきます。
・トルコとトルコ人について
・トルコでのタレント生活
・トルコ人達との付き合い
・トルコ生活中のハプニング
・諸外国の友人達とのエピソード
・トルコ語について
・女性への尊敬心
・居合道について
等々
全体的にトルコ関連が多いですが、趣味や関心事なども垂れ流します(笑)
トルコとトルコ人に興味がある方、日常に退屈している方、時間をつぶしたい方・・・どうぞご覧になって下さい!
それでは別なまた別なブログで・・・ホシュチャカルン、さようなら。
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